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恐竜時代が終わらない

恐竜時代が終わらない

山野辺 太郎

文學界7月号

出典 : #文學界
ジャンル : #小説

「文學界 7月号」(文藝春秋 編)

 ただいまご紹介いただきました岡島謙吾です。ふだんは所沢のスーパーの鮮魚売り場で働いています。どうも皆さん、こんにちは。

 わたし、講演というのは初めてなんです。生まれてこのかた半世紀、誰かの講演を聴きに行ったことさえありません。講演とはどんなものかもよくわかっていないのに、こうしてしゃべりはじめているわたし。本当にこんなことが起こってるんでしょうか。自分でもびっくりしています。いま、話を聴いている皆さんこそ、この驚くべき現実の何よりの証人であり、この現実の一部でもあるわけです。どうか皆さん、そんなに驚かせないでください、このわたしを。

 どうしてこうなったのか。きっかけは一通の手紙です。差出人は、世界オーラルヒストリー学会の日本支部長でいらっしゃる、蓮田(はすだ)由理子先生です。正直に申しますと、封筒に記されていたこの学会の名前を見た時点で、身に覚えはないけれど、なんだか面倒なことに巻き込まれそうだな、と感じたものでした。そもそもオーラルヒストリーとは何か。まあ、ヒストリーというからには歴史に関係があるんだろうと思ったわけです。便箋を取り出しますと、蓮田先生というのは古風なかたのようで、文面は手書きでした。そのときには、とくに講演を頼まれたわけではなかったんです。ただ、恐竜時代の出来事のお話をぜひ聞かせていただきたい、と書いてありました。恐竜時代の出来事? なぜ、そのことを……。手紙を読んだときの驚きといったら、所沢中に響くほどの大声で「ウォーッ」と……、すみません、デカすぎましたか、それこそ恐竜みたいに雄叫びをあげたいくらいでした。でも、壁の薄いアパートのひとり住まいです。近所づきあいもほとんどなく、目立たないように、なんの変哲もない人間の一員としてひっそりと暮らしているものですから、トラブルの種をまくわけにもいかず、無言で驚きを噛み殺しました。

 歴史を研究する学者さんが、恐竜時代のことにまで首を突っ込むのか? 何しろ一億五千万年も昔の出来事です。この場に招かれたのがなんらかの手違いの結果でなければよいのですが、ここまで来たらわたしも突き進むよりほかはありません。恐竜たちよ、きっと大丈夫だから、記憶の底から出ておいで。そんなふうに胸のうちで呼びかけつつ、喉のウォーミングアップがてら、恐る恐る語りはじめているわけです。

 日頃は、皆さんのいる学問の世界とはあまり縁のないところで暮らしております。ですが、きょうはこうして大学の敷地に足を踏み入れまして、迷路に入り込んだみたいにだいぶうろちょろしたすえに、どうにかこの会場へたどり着きました。イチョウ並木のしたに、色鮮やかな落ち葉に交じって、ずいぶんギンナンが落ちていましたね。こんなことならビニール袋を持ってくればよかった。それでも帰り際に、ポケットに突っ込んでいくらか持って帰ろうかと思っています。

 高校生のころには、わたしも大学に進んで、原始人の石器やなんかを扱う考古学の勉強をしてみたい、なんて考えたこともあったものです。けれども家計に余裕がなかったものですから進学はせず働きに出まして、この三十年あまりのうちにずいぶんと職を変えました。本当に思い出したくもないことばかり……。自己紹介も兼ねて、思い出したくもない話を少しいたしましょう。

 若いころに健康食品の訪問販売をしたことがあったんです。謎めいた天然成分のあれこれからこしらえた薄茶色の錠剤みたいなものの瓶詰めで、けっこう高級な品でした。これをカバンに入れて一軒一軒、訪ね歩いたんですが、なかなか取り合ってもらえません。住民のかたが出てきてくれたと思ったら、玄関先で怒鳴られたり、延々とお説教を受けたり、ちりと一緒にほうきで掃き出されたり、あとは腐った柿の実ですか、そんなのをぶつけられたりもしました。さっぱりノルマは果たせず、営業所に帰ればひたすら所長に罵倒される始末です。それで追い詰められまして、体はだるいし、気持ちも上向かない。この仕事を続けていくことに、いや、ただ生きているということにすら、言い知れぬ空しさを感じるようになっていました。

 

この続きは、「文學界」7月号に全文掲載されています。

文學界(2021年7月号)

文藝春秋

2021年6月7日 発売

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