いま、詩はどこにあるのか。
詩人を詩人たらしめるものとは何なのか。
そして、詩と小説の境界について。
ともに第一詩集で中原中也賞を受賞した若手詩人による初対談。
■作風の違う二人
最果 はじめまして。今日はお話しできるのを楽しみにしてきました。マーサさんの作品は第二詩集の『雨をよぶ灯台』を先に読んで、次に第一詩集(『狸の匣』)の順番で読みましたが、とても面白かったです。散文の形をとっているものが多く、詩としての言葉のひとつひとつの強度に強い印象を持ちました。一行一行が、こう言ってしまうとよくないのかもしれませんが無駄がなくて、でも一方で書かれていること以外の部分を自然と読まされてしまう。私とは作風が全然違いますね。
マーサ そうですよね。
最果 どうしてこの二人で対談することになったのかと疑問に思うくらい作風が違う(笑)。だけどその分、現代詩の面白さとか幅の広さに改めて気づけた気がします。自分が現代詩を読み始めたころを思い出すような、新鮮な感じがありました。
マーサ ありがとうございます。私の方は、すごく正直にお話しすると、今まで最果さんの作品を意識的に読まないようにしていました。私は二〇一五年くらいに初めて「現代詩手帖」に名前が載るようになったのですが、そのころからもう、最果タヒさんの名前は現代詩において巨星というか、それくらいの存在感があったんです。最果さんの詩を読むと、これは私のイメージなんですけど、すごく細かくて鋭い光がキラキラキラキラと輝いて見える。独特の中性的な語り口も含めて、読んでいると自分自身が浸食されるような感覚もありました。そのころの自分はまだ作風が固まっていないというか、自分の書き方を模索していた時期でもあったので、なるべく最果さんの詩を遠ざけていたんです。私も最果さんになってしまうかもしれないという怖さ、独特の影響力が最果さんの詩にはあると思います。
最果 ありがとうございます。
マーサ それで今回対談するにあたって、いよいよ本腰を入れて最果さんの詩と対峙しようと思いました。まず、筑摩書房の「ちくま」というPR誌に掲載されているエッセイ(「最果からお届けします。」)を読んで、それは私も同じ時期に同じ雑誌で一緒にエッセイを書いていたことがあったからですが。
最果 そうでしたよね。
マーサ エッセイの書き方も、最果さんと自分とでは全然違うと思いました。最果さんの作品はひとつひとつに確かな発見があるというか、その発見を通り過ぎることで、読んだ方も世界の見方が変わる感覚があるんです。だから、自分が感じていた最果さんの作品を読む怖さというのは、言い換えれば確かさとも言えるのかなと思いました。すごく抽象的な話になりますが。
最果 いやいやいや。うれしいです。実際に、書く過程で何かを発見したいっていう欲求を持つことは多いんです。詩でもエッセイでも、書いているうちに、なんか今見え方が変わった、景色が変わったという瞬間があると完成できる。それが楽しくてやっているみたいなところがあります。
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