- 2021.07.15
- インタビュー・対談
過去なき世界に、希望はあるのか? 破格のデビュー作を生んだ、歌舞伎町での出逢い
聞き手:「別冊文藝春秋」編集部
『擬傷の鳥はつかまらない』(荻堂 顕/新潮社)
出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ここではない何処かに行きたい――。
第七回新潮ミステリー大賞受賞作『擬傷の鳥はつかまらない』は、過酷な人生を歩む人々の切実な祈りを描いたハードボイルド小説だ。
タイトルにもなっている「擬傷」とは、捕食者に襲われたときに親鳥が自ら傷ついているふりをして、ヒナを守る行為のこと。著者の荻堂さんは初めてこの言葉を聞いたとき、人間にも「擬傷」ができるのだろうかと考えたという。この“ひとは他者のために生きられるのか”という命題が、本作を貫く大きなテーマとなっている。
主人公の沢渡幸は、事情を抱える顧客に偽物の身分を用意する「アリバイ屋」として生計を立てている。彼女はさらに、現世に絶望した者を、“門”の向こうの異世界に送る「逃がし屋」としての顔も持っていた。
子供たちだけで共同生活をせざるを得ない少女。違法行為を黙認するしかない風俗店の店長。新宿歌舞伎町に構えた幸の事務所を訪れる人々は、みな“ここではない何処か”への逃避を切望していた。
「彼らを助けたいと思う幸の気持ちに噓はないけれど、逃がし屋の仕事をしていると、この世はやはり生きる意味がないものだと思い知ることにもなる。別世界を希求するほどに追い詰められた人々の来し方に思いを馳せ、彼女はますます人生への希望を失っていくんです」
過去に縛られているのは、客だけではない。幸自身も、ある事件をきっかけに、それまでの人生を捨てていたのだ。名前を変え、身を隠しながら、贖罪として「逃がし屋」をしている。
本作の第二のテーマとなる「人間は過去を受け入れ、自分の人生を摑めるのか」という問いは、荻堂さんが抱えてきたものでもあった。
「家族の影響もあって、小説を濫読し、幼い頃から演劇や映画にも親しんできました。けれどもいつしか、そんなふうに与えられるまま教養的なものに囲まれていることへの気恥ずかしさや、罪悪感みたいなものを感じるようになって……それでも、僕がそれらを血肉としてきたことも事実です。でもどうしても、そうした環境によって育まれた思想や獲得した言葉について、これは借りものではないのかという疑念が拭えなかった。十代の頃の僕は、どうしたら自分なりの価値観が確立できるのかという葛藤を常に抱えていました」
二十歳を過ぎたころから、歌舞伎町に入り浸るようになった。ゴールデン街のバーで働き、様々なバックグラウンドの人たちと関わるなかで、いつしか自分を相対化できるようになり、考え方も柔軟になっていったという。小説を書き始めたのも、この頃だ。
「適度に優しくて、適度に冷たい歌舞伎町の人間関係は、僕に安らぎをくれました。あの街の人たちは、それぞれに背負っているものがあるから、相手のことをさりげなく尊重できる。今回、作品の舞台を新宿にしたことの根底には、彼らや、彼らが抱えていることについてもっと深く理解したいという思いもありました」
本作をただのハードボイルドではなく、唯一無二の物語にしているのが“門”の存在だ。“門”の向こうに行くためには、この世界で持っているものを全て放棄せねばならない。この仕掛けが、過去と折り合うことの本当の難しさを突き付けてくる。
“門”を前に露になる客たちの慟哭が、幸の気持ちを揺り動かす。新天地を求めながら、同時に自らが生きてきた痕跡を消し去りたくないという彼らの叫びが、幸に己の過去と向き合うことを決意させる。
「未来に進むためには、どこかで自分の過去を受け止めなくてはならない。そのためには、何に対して自分が鬱屈を感じているのか、感情を言語化して、自分の言葉を獲得する必要がある。もしかしたら小説には、そのための一歩を後押しする力があるのではないかと思っています」
次作はコロナ禍が終結した近未来を舞台に、反出生主義をテーマに据えたSF小説になる予定だ。
「『過去は乗り越えられる』と願いながら今回の作品を書き上げて、そのことに手応えを覚える一方で、そう言い切ってしまうことへの戸惑いもまた芽生えてくるのを感じました。はたして『過去は自分の責任なのか』ということについて、今度はまた別の角度から問い直したいと思っています」
おぎどう・あきら 一九九四年三月生まれ。東京都出身。早稲田大学文化構想学部卒業後、様々な職業を経験する傍ら執筆活動を続ける。現在は格闘技ジム勤務。二〇二〇年、『擬傷の鳥はつかまらない』で第七回新潮ミステリー大賞受賞。
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