- 2021.03.18
- インタビュー・対談
正しい推理を「しない」探偵!? ミステリ界の新旗手が発見した秘策とは
聞き手:「別冊文藝春秋」編集部
『蟬かえる』(櫻田 智也/東京創元社)
出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
二〇二〇年の年末ミステリランキングを席捲した櫻田智也さんの『蟬かえる』。G・K・チェスタトンの「ブラウン神父」や泡坂妻夫の「亜愛一郎」を彷彿させる飄々としたキャラクター、魞沢泉を探偵役とした、しみじみとした味わいの連作短篇集だ。
櫻田さんは一三年に「サーチライトと誘蛾灯」で第一〇回ミステリーズ!新人賞を受賞し、デビュー。同作を表題作とした連作短篇集を一七年に刊行した。『蟬かえる』はシリーズ二作目にあたる。
「『サーチライトと誘蛾灯』は泡坂妻夫さんの亜愛一郎シリーズからインスピレーションを受けて、自分が好きなものをすべて詰め込んで勝負した一作でした。それがシリーズ化できるとなって、それなら主人公としてもっと魞沢くんの内面を描きたいと考えました」
表題作「蟬かえる」の舞台は、十六年前に大規模な地震に襲われた山形県のある村で、当時、災害ボランティアに参加していた青年が語り手を務める。村を再訪中に魞沢に遭遇した彼は、かつて目撃したという、行方不明の少女の幽霊の話を始める。
魞沢が関わる事件の真相にはいつも、人間の切実な悲しみが秘められている。魞沢は事件関係者の語る言葉にじっと耳を傾け、彼らが背負った業を静かに受け止める。
「前作を執筆していたときは、話を素直に聞いてくれる無邪気な人物として魞沢くんを描いていました。ですが、今作を書き進めていく中で、『彼は無邪気なふりをしているだけなのかもしれない』と気付いたんです。それは彼が他人の痛みをわかりすぎるからであり、それゆえ自分が傷つかないための予防線を張るためでもあるのでしょう。とにかく、魞沢くんを一面的に捉えずに、彼の内面にある陰りと向き合わねば、と思いました」
昆虫を愛する魞沢は、行く先々で、虫を介した思いがけない出会いに遭遇する。年齢や立場を超えて、束の間でも彼らとふれあい、同じ世界を見ることのできる喜びが、みずみずしく描かれる。そして彼らが、どれほどその世界を大切に思っているのかということに触れるにつけ、それを守ることの難しさもまた、魞沢は知ることとなるのだ。
「僕自身、昆虫採集に心を弾ませてきた子供で、特に前作を書いていたときは夏にはカブトムシがいくらでも捕れるような岩手の山の中に住んでいたので、そういった環境もこのシリーズに影響を与えているのかもしれません。ただし、あくまで僕は人間の性を浮き彫りにするためにミステリを書きたいので、虫は仕掛けのひとつにすぎません。昆虫についての知識が直接的な謎解きの鍵にならないように、虫たちとは適度な距離で付き合うことを心掛けています(笑)」
前作刊行から三年。アイデアを形にするのには、長い時間がかかった。
「毎日の暮らしの中で引っ掛かりを感じたことを大事に覚えておいて、作品の核に育てていっています。それとは別に、謎のヒントになりそうな虫の生態についての情報も日々こつこつと集める。描きたいテーマと虫の知識、チャレンジしたいミステリとしてのギミックがかちっとはまると、ようやく書き始められるんです」
学生時代には講談社ノベルスを読みふけり、新本格ミステリの世界にどっぷりと浸かっていたという櫻田さん。その後、泡坂妻夫作品、なかでも亜愛一郎シリーズにのめり込んだのは、その「構造」でしか為し得ないことがあることに気付いたからだという。
「たとえば、ホームズとワトソンという人物配置だと、ワトソンが成長してホームズに追いつくわけにはいかないですよね。視点人物の変化を書きづらいんですよ。亜愛一郎シリーズでは、名探偵・愛一郎が推理をする過程で視点人物に影響を与え、最終的に視点人物が探偵と近い視座を手に入れる。これは発明だと思いました」
『蟬かえる』ではさらに一歩進めて、探偵役の魞沢には明かされない、語り手しか知り得ない事実を提示するという手法を用いている。ラストで語り手は、今までとは違った視点で物事を捉えられるようになった自らを発見する。
「登場人物たちが、魞沢くんがいなくても、事件を解決できるような人間に成長しているんですね。語り手しか知り得ない事実を提示することにより、魞沢くん自体もパズルの一ピースになり、読者もまた『探偵』を追い越していくことができる」
なぜここまで、探偵役の「立ち位置」にこだわりを持つのだろうか。そこには、櫻田さんの物語に対しての美学があった。
「当初から、『名探偵』として絶対的な存在をつくらない、ということは決めていました。探偵の出した答えは、一つの解釈に過ぎないよ、と。各話の語り手に新しい視点を提示し、彼らにとっての『真実』を見つける手助けをするのが魞沢くんの役割なんです。僕は、現実の世界においても、絶対的な正解を求めたり、善悪を断罪することにさしたる意味がないのではと思うことがあります。それよりも、一人では抱えきれない出来事に直面したとき、痛みを受け止める過程を共有できる人がいること、それこそが救いで、重要な気がしているんです。『蟬かえる』は、語り手たちが各々の『真実』を見出す瞬間を、読者の方にも一緒に味わってもらえるような作品を目指しました。ぜひ、彼らの人生に想いを馳せながら、一緒に謎解きを楽しんでもらえたら嬉しいです」
さくらだ・ともや 一九七七年北海道生まれ。埼玉大学大学院修士課程修了。二〇一三年「サーチライトと誘蛾灯」で第一〇回ミステリーズ!新人賞を受賞。一七年、受賞作を表題作にした連作短篇集でデビュー。一八年に「火事と標本」が第七一回、二〇年に「コマチグモ」が第七三回日本推理作家協会賞〈短編部門〉の候補に選出される。
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