岩井俊二が描く、生と死の輪郭線。 モデルが例外なく死に至るという“死神”の異名を持つ謎の絵師ナユタ。その作品の裏側にある禁断の世界とは。渾身の美術ミステリー。
5 絵師たち
さざなみ書房の雑誌『絵と詩と歌』は創刊から半世紀以上続く季刊誌で、その名の示す通り、絵と詩と音楽の専門誌である。と言っても、守備範囲はもっと広い。美術全般、文学全般、音楽全般、更には建築やインテリアなども扱う。時代の変化に柔軟に適応しながら、今ではその守備範囲は何でもありに近いかも知れない。そのちょっとデタラメなところが、ダイバーシティなところが楽しい雑誌であった。
トライアウトの私は、毎朝、十時に出勤し、フロアの掃除をし、十一時になると近くのカフェに移動して、あるいは公園に行ったり、街を歩き回りながら企画を考える。自分の机は会社にはない。アルバイトが二人いて、正規雇用の編集者をアシストしていたが、そういう仕事は私には降りて来ない。誰も何も教えてくれない、新人に何か教える時間はないのだと、編集トップの田村由子(ゆうこ)さんが教えてくださった。それが唯一教わったことで、そこから先は本当に誰も何も教えてくれなかった。企画を採用されるまでは報酬も出ない。掃除代は一回千円。東横線を中目黒で日比谷線に乗り換えて広尾下車。散りかけた桜並木を眺めながら歩いていると、かつてない不安にも苛(さいな)まれる。自分が何をしてるのか判らなくなる時もある。名刺を作って頂いたが、肩書きは“研修生”である。こんな肩書きでは取材相手にも訝しがられるばかりだろう。
後日、森川さんに送ったメッセージは、お礼がてら、半分はそんな愚痴になってしまった。
すると、こんな返信が返って来た。
[無理だと思ったら、すぐに連絡を。知り合いの映像プロダクションがスタッフ探してた]
なるほどプロダクションかあ。それも楽しそうだ。代理店は現場でも一歩引いた立場だった。思い切り汗をかけるプロダクションも悪くない。そう思うと少し肩の荷が下りる気がした。お前はどこまでも自由だ。森川さんはきっとそういう事が言いたかったのだろう。その優しさに感謝した。
とはいえまだ始めたばかりだ。暫くはここで頑張ろう。あの頃は、そんな風に思ったりしたものだ。
やっていればそのうちそんな仕事にも慣れて来るものである。会社という場所にも縛られず、自由に自分の企画を好きなだけ、ありったけの時間考えて居て良いなんて、こんな素晴らしいことってない。そんなポジティブな気分にもなって来た。しかし肝心の企画はなかなか通してもらえない。なにか微妙にありきたりなものしか拾えていないのは自分でもわかっていた。編集長の返信は極めて淡白で、「ちょっとイマイチ」とか「新鮮さに欠く」とか、そんな短い感想ばかりだった。
美術関係の情報を日々漁るうちに、SNSのタイムラインがあっという間にアートで溢れかえった。何か記事にできそうな作品はないかと探すうち、妙なバズり方をしている絵があった。川崎の美術館で展示中ということで、早速現地に向かった。私が見たかったのは、一枚の牛の版画だった。若手中心の作品が展示される会場の一隅にその作品はあった。他のカラフルな作品に囲まれて、モノクロームのその版画は、やや地味にも思えたが、縦一八二センチ、横二七三センチのボードに描かれたホルスタインの存在感は圧倒的としか言いようがなかった。
作者は室井香穂(むろいかほ)。
北海道の牧場で牛と共に暮らしているらしい。ブログに日常生活の写真を多数アップしていた。木版画だというが、本物の牛をそのまま貼り付けたような緻密さである。どうやって作り上げたのかがまず判らない。私は半ば放心状態のまま十分以上その絵の前に立っていた。そのさなかにもギャラリーが入れ替わり立ち替わりやって来る。高齢のカップルが私の横に並び立ち、男性の方が掠(かす)れた声でこう呟く。
「まるで本物の牛だね」
その通りなのだが、それだけでは片付けられない凄みがある。なんと表現したらいいか。言葉が見つからない。四人グループで現れた制服の女子学生の一群は見るなり、「ウケる!」「なんで牛?」などと喧(かまびす)しい声を上げている。落ち着きのない彼女たちを興奮させるパワーすらこの作品には在るのだと思うと、我がことのように嬉しくなる。暫くしてまた背後から別なギャラリーの声を聞く。
「生き物に対する畏敬の念を感じるんですよ、僕は」
「そうですか。ありがとうございます」
チラリと横目で見ると、眼鏡をかけた細身の中年男性と、ショートカットの若い女性が噛み合わないトークを展開していた。
「人間社会を支える資源としての動物。社会の縮図。そんなメッセージもあるんですかね?」
「いやあ、どうなんでしょう。私の中では牛がかわいいから描いてるんですけど」
「かわいい? 牛が?」
「かわいいですよ。かわいいしかっこいい。牛最高です!」
このショートカットの女性こそブログでも見た、室井香穂さん、その人であった。私は矢も盾もたまらず声をかけてしまった。
「あの、室井さんですか?」
その声の掛け方、割り込み方。今思い返せば、あまりに無作法極まりなかった。
「あ、そうですけど」
室井さんはしかし、怪訝な顔ひとつせず、無垢な視線を私に向けて下さった。もう一人の連れの男性は私にどんな視線を送っていたのだろうか。残念ながら、そこまでは思いが至らなかった。今にして思えば、彼のその表情をちゃんと見ておきたかったとは思うのだが。
「私、『絵と詩と歌』の編集の八千草と言います」
「あ、読んでます! 時々ですけど。好きな特集とかある時に」
そういう読者の多い雑誌である。ひとまず私は名刺を差し出した。
「すいません。こういう者です。ちょっとお時間があればお話を伺ってもいいですか?」
「え? あたしなんかでいいんですか?」
そのリアクションが初々しい。この大作を作り上げた人とは思えない。
「どうぞどうぞ。僕はもうちょっと、見て回ります」
そう言って男性はその場から立ち去った。
「あ、申し訳ないです!」
「いえいえ、全然」と室井さん。
ともかくこうして私は彼女の取材に成功した。カフェに移動し、お話を伺った。
「展示作品はどのくらいの創作期間だったんですか?」
「半年といったところでしょうか」
「版画ということですが、どういう工程なんですか? ちょっと見当がつかないんですよ」
「まず構図を決めてですね。実物大の下絵を鉛筆で描きます。次にシナベニヤという……シナ材が表面に貼ってある滑らかなベニヤ板があるんですけど、そこに黒くニスを塗り、下絵のアウトラインを転写します。この転写した線を手掛かりに、写真を見ながら彫刻刀で彫るわけです。インクをローラーで伸ばし、雁皮紙(がんぴし)という薄手の和紙にバレンで刷る。刷った和紙を、厚手の和紙を貼ったパネルに糊で貼り付けます。裏打ちという技法です。まあこんな工程を経ています。ちょっと分かりづらいかも知れませんが……」
「そもそも版画をはじめたきっかけは?」
「子供の頃から絵が好きで、小学生中学生と漫画を描いていましたが、ストーリーが書けない、オタクと馬鹿にされるのが嫌、という理由から高校の美術部の同級生に影響され美大の油絵学科進学を選びました。アートに詳しかったり好きだったというより、最初はイラスト描きたいくらいの理由でした」
「版画との出会いは?」
「版画は油絵学科の三年から版画コースを選択できて、なんとなく面白そうだからという理由でしたね」
「牛を描くようになったきっかけは?」
「大学時代の春休みに、北海道十勝の牧場で住み込みのアルバイトをしたのがきっかけでした。東京で生まれ育ったので、田舎の生活に憧れがあったんですね。牛や農業に興味があったわけではなく。でもそこですごく牛が可愛くなってしまい、帰ってからちょうど版画コースを選択していたので、版画で牛を描く、という事になりました」
「牛以外のモチーフを描いたこともあるんですよね?」
「牛に会う前は風景や人物などを描いていましたが、牛に会ってからは、ひたすら牛だけです」
「ブログを拝見しました。今は知床の牧場でバイトしながら創作活動をされてるんですよね。牛と暮らす生活と創作活動の共存はどんな感じですか? つまり、創作のために牧場生活があるのか? むしろ牧場の仕事がメインなのか?」
「今は酪農のバイトが週に三回くらい、あとは制作、という感じのスケジュールでやっています。牛も好きですが、牧場の仕事もけっこう好きなんですよね。体力的には厳しいですが。仕事を通して、牛の近くにいる事でしか感じられない事が制作の上で大事な気がしています。顔見知りの人間にしか見せてくれないリラックスした牛の生態などもありますし。なので、どちらも欠かせない、という感じです」
「今後も牛一本に絞ってやってゆくおつもりなんですか?」
「今のところ、牛一本でやっていくつもりです。まだやれる感じがするので」
インタビューを終えると、美術館の中庭に彼女を連れ出して、写真を何枚か撮らせて頂いた。
細身の中年男性は少し離れた所から笑みを浮かべながら、私たちを見守っていた。
「あちらの方は?」と私は室井さんに訊いた。
「あ、画商の方です。私もさっきお会いしたばっかりで」
「そうですか」
取材を終えると、私はこの男性と名刺交換をした。
根津杜夫(ねづもりお)。
青山にある卵画廊というギャラリーの社長だという。
「『絵と詩と歌』いつも読んでますよ」
「ありがとうございます」
「“研修生”……新人さんですね」
「はい、まだテスト生です。トライアウト中です」
「じゃあ、今のインタビューも記事になるかどうか判らないね」
「あ」
そんなところまで考えていなかった。顔から火が出る思いであった。
「そこは彼女に説明してあげたほうがいいかもですね」
そう言いながら彼は、私の名刺を自分の名刺入れにしまい込んだ。
「ありがとうございます」
私は近くにいた室井さんの許に急ぎ駆け寄り、自分がまだ研修中の身の上なので、今のインタビューが記事になるかどうか判らないのだと説明した。室井さんは笑顔で、「余計楽しみが増えました!」と言ってくださった。これは何としてもよい記事に仕上げないと。