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穴のむこうに見える未来の頭文字はエフ――多和田文学を「重ね読み」してみた

穴のむこうに見える未来の頭文字はエフ――多和田文学を「重ね読み」してみた

文:岩川 ありさ (早稲田大学文学学術院准教授)

『穴あきエフの初恋祭り』(多和田 葉子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『穴あきエフの初恋祭り』(多和田 葉子)

「胡蝶、カリフォルニアに舞う」(初出「文學界」二〇一八年七月号)は縦書きで書かれることが「慣例」となっている日本語の近現代文学を問う小説である。一〇年のあいだ、アメリカに留学した後、日本での就職面接のために帰国した「I」と、空港に迎えにきてくれた「優子」を軸にした小説は、「Iは優子のマンションで目を覚ました」という一文からはじまる。縦書きの小説の読み方に慣れている読者は、「I」を誰かの名前の頭文字だと思いながら、読みはじめるだろう。しかし、就職面接にむかう電車に乗っていた「I」は、「複数の線路」の「交差」に差しかかったとき、どの進路を選べばいいか迷う。英語と日本語の「複数の線路」の「交差」を思わせるこの場面の後で、「英語ならIも一人称になるかもしれないが、中央線の中ではそれはただの頭文字に過ぎない」と書かれている。読者は、この瞬間、日本語の縦書きという慣習にしたがって読み進めてきた自らの読み方に転換を迫られる。英語の一人称代名詞としては認識されなかった「I」は、頭文字「I」と一人称代名詞「I」の両方の意味内容を担うことになる。「I」というひとつの記号は、頭文字「I」と一人称代名詞「I」のあいだで、宙吊りにされる。だが、ふたつの言語を切り換えることは簡単にはできず、「正面衝突」したり、「脱線」するかもしれない危険に「I」はさらされている。また、この場面で、「そもそも日本語で思考する時さえ、自分自身のことをIという三人称で呼ぶIは、自分から逃げているのだ」と書かれている点も見逃せない。「その日、わたしはあなたに永遠の乗車券を贈り、その代わり、自分を自分と思うふてぶてしさを買いとって、「わたし」となった。あなたはもう、自らを「わたし」と呼ぶことはなくなり、いつも、「あなた」である。その日以来、あなたは、描かれる対象として、二人称で列車に乗り続けるしかなくなってしまった」という『容疑者の夜行列車』(青土社、二〇〇二年)の一節を思い出せば、「I」は頭文字になることで、「主体」となることを回避しようとしているともいえる。一方で、「I」の物語に乗せられないでいるのが「優子」だ。「優子のゆ」を「英語のユーかも知れないね。君のこと、ユーって呼んだらおかしいかな」と「I」がいうと、「優子」は、きっぱりと、「おかしいわよ」と答える。言語という虚構の列車、そして、その言語によってつくられた物語に乗るか、乗れるか、乗らないか。「胡蝶、カリフォルニアに舞う」は、言語によって対象化することでしか、自らについて把握できない「I」が、頭文字「I」として「主体」になることを迂回し、その後、「I」という、性別を持たない一人称代名詞によって女性へと変身してゆく変身物語でもある。日本語の一人称代名詞のジェンダー規範の強さを「I」という英語の一人称代名詞が解きほぐす。

「文通」(初出「文學界」二〇一八年一月号)は、作家、翻訳家の谷崎由依の書評「不在の穴を駆け抜ける」(『群像』二〇一八年一二月号)で指摘されているとおり、「源氏物語」の「宇治十帖」と重ねたくなる小説。しかし、「源氏物語」の登場人物である「浮舟」という名前は、「文通」では、浮子と舟子に分裂している。谷崎が書評で、「「浮舟」を連想する人物名だが、王朝時代の貴族よろしく交わす浮子との手紙は、恋文というよりむしろ恋愛を成就させないための文」であり、「ロマンスではなくその解体」を目論んでいると書いているが、うなずける。四一歳の誕生日が迫った頃、高校の同窓会が開催されることを知った陽太は小説を書く仕事をして生計を立てている人物。「源氏物語」の薫と匂宮は嗅覚にまつわる名前を持っているが、陽太は光や暖かさと結びつく名前であり、感覚が互換されている。通信手段が増える時代において、メールアドレスを公開していない陽太は、同窓会の知らせも、「葉書ルート」で受けとる。同窓会が開かれる日になると、現在の恋人である舟子との通信に用いている携帯電話の調子が悪くなり、「手書きのアドレス帳」に書いていた電話番号に電話をかけても、「この電話番号は現在使われていません」という機械の声。英文学者、評論家の武田将明が、「手紙や郵便という旧来の通信手段を登場させ、誤配に可能性を見出している」(「・言葉・によって世界に・穴・を穿つ七つの短篇集」「週刊新潮」二〇一八年一一月二九日号https://www.bookbang.jp/review/article/561081)と指摘するように、「文通」では、確かに「誤配」が起こっている。また、「文通」は、名前をめぐる小説でもある。特に、女性たちの名字。「源氏物語」の時代には、「女君」、「姫君」、「○○の娘」といった抽象化された存在だった女性たち。しかし、二〇二一年の現在においても、結婚するとき、ひとつの名字しか選べず、別姓が選べない状態は続いている。陽太が浮子に手紙を送るとき、「四文字の漢字」、つまり、明かされてはいない名字の存在が示唆される。陽太は名字と名の統合によってはじめて、浮子の姿の総体を見た気になるが、あくまでも、それは言葉でしか結ばれない像であることも示されている。「文通」は、浮子との手紙のやりとりが途切れるまでの出来事が、実は、「全国学生小説コンクールの恋愛小説部門」の「佳作」に入選した「小説」だったことが明かされて終わるが、現実と虚構の境目がわからなくなり、登場人物たちの言語交通回路では、「誤配」が起こりつづける。

文春文庫
穴あきエフの初恋祭り
多和田葉子

定価:726円(税込)発売日:2021年07月07日

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