気候変動、ウクライナ戦争、インフレ……、混迷を深める時代に希望はあるのか? エッセンシャルワーカーのストライキとクリスマスのCM、アナキズムとスピノザなど、哲学者と作家がいま目の前にある光景を観察し、考え、語り合った。(構成・斎藤哲也)
■看護師までがストを始めた
國分 大変ご無沙汰しております。今日は「文藝春秋100周年オンライン・フェス」というイベントの一環で、日本にいる僕とイギリスのブライトンにいるブレイディさんをつないで、お話しすることになったのですが、「〈沈みゆく世界〉から立ち上がる」という大変なタイトルをいただいています。
ブレイディ すごいタイトルですよね。
國分 世界が沈没しつつあることが大前提になっているわけですからね。でも、こういうタイトルが与えられても、僕らは特に驚かなくなっている。むしろ沈んでいることが当たり前ということが共通認識になっている気がします。
早速ですが、ブレイディさんは、いまイギリスにいらして、イギリス固有の、あるいはヨーロッパ固有の問題を肌身で感じていらっしゃると思うので、まずはそのあたりからお話しいただけますか。
ブレイディ 今日もそうだったんですが、最近は朝、起きてラジオを付けると、最初にストライキの話が出てきます。いま、ストライキが本当にすごいんです。私はこの国に四半世紀以上住んでますけど、こんなにいろんな人たちがストライキをやっていたことはないんですよね。
今年(2022年)のイギリスって、世界的に様々な話題を提供したじゃないですか。エリザベス女王の国葬があり、レタスの賞味期限より権威を失うまでの期間が短かったトラス首相の交代劇があり……。でも、そのように騒がれている派手な部分の底でずっと変わらずに進行してきたのが、物価高による貧困拡大、生活苦の問題です。「コスト・オブ・リビング・クライシス」という言葉が、今年はあちこちで飛び交いました。たとえばこの間、久しぶりにヤフーUKのサイトを見たら、ニュースサイトのトップに「コスト・オブ・リビング・クライシス」というページができている。隣のトピックはウクライナ戦争ですよ。それぐらいイギリスでは物価高がニュースのテーマであり続けたし、私たちの生活を揺るがす大変な問題になっています。
アメリカ英語のエッセンシャルワーカーをこちらではキーワーカーと言います。医療従事者や郵便局の職員など、在宅勤務やリモートワークでは仕事ができない人、外に出て働かなければいけない人、地域社会を支えている人たちのことです。コロナ禍のイギリスでは、たとえば木曜日の何時にみんな外に出て、キーワーカーへの感謝を伝えるために一斉に拍手しましょうという運動もありました。そうやって称賛されていた人たちが、物価高の時代に軒並み生活が苦しくなり、ストライキをするかどうかが切実な問題になりました。
それで夏ぐらいから、ついに鉄道がストを始めました。以降、鉄道はここ30年間で最大規模のストライキを断続的にやっています。高等教育の職員も一一月に始めて、うちの息子のカレッジもお休みになったりしました。そしてこの一二月には看護師さんたちがいよいよストに踏み切りました。彼らも組合でやるべきかやらざるべきかという議論と投票をやっていたんです。看護師さんって人の命を預かる仕事だし、コロナ禍もまだ収まっていない。だから自分たちが働かないと大変なことになるという意識が、普通のオフィスワーカー以上に強いじゃないですか。その人たちがストライキをやるって、よっぽどのことなんですよ。
イギリスでは、末端の公務員の方って、あまり賃金がよくないので、公務員もよくストをします。今朝も郵便局員が12月にストライキをするというニュースが流れていました。郵便局員はこれまでも断続的にストライキをやっていたんですが、クリスマス前週にもやると言い出して。クリスマスって、こちらではカードを送ったり、プレゼントを贈ったり、それこそ日本で言ったら年賀状を送る時期みたいな感じなんですね。そういう時期にストライキをされるとけっこうなダメージになるから、騒ぎになるわけです。それでも郵便局員たちはしなければならない。そこまで追い詰められているんですね。
実は私、今年、岩波新書から出た國分さんの『スピノザ』を最近ずっと読んでいます。そこで書かれていることといまのイギリスの状況とを照らし合わせると、考えさせられることがたくさんありました。
たとえば、スピノザが自由意志に疑問を投げかけたことを論じたくだりがありますね。國分さんは『中動態の世界』でも依存症の問題で触れていましたが、依存症の患者さんがアルコールや薬物に依存したり、やめられなかったりするのは本人の意志の問題だと思われている、けれども、本当にそれは自由意志だけの問題なのだろうかと。
私の身の周りにも看護師の友達がいて、そういう人って、やっぱり悩んでいるんです。あの人たちは責任感が強いから、自由意志でストライキをしているとは言い難い。だけど、賃金を上げてもらわないと本当に食べていけない、というギリギリのところまで追い詰められてしまった。それでやむなくストライキをする。逆にそういう状況でも、責任感の強さからストライキをしない人もいる。『スピノザ』を読みながら、ストライキと自由意志の問題をすごく考えましたね。
國分 『スピノザ』で自由意志を論じた部分をそんなふうに読んでもらえると思わなくて、びっくりしています。同時にスピノザも、もしかしたらそういうことを考えていたかもしれないとも思いました。非常に重要な問題がたくさん出てきましたが、素朴なことからいうと、アメリカや日本で言うエッセンシャルワーカーを、イギリスではキーワーカーと呼ぶんですね。これは非常に大きな違いです。
エッセンシャルワーカーという言葉が出てきたときに、そういう考え方は必要かもしれないけれど、この言い方にはちょっと気をつけるべきだという意見がありました。エッセンシャル(必要)なものとエッセンシャルじゃないものという区別ができてしまうからです。もちろんキーワーカーという言い方も、キーであるものとキーでないものという区別を生み出してしまうかもしれない。ただ、コロナで全世界的に同じ問題が同じように語られがちななかで、エッセンシャルワーカーという言い方一つ取っても、実はイギリスでは違った言い方をしていると知るだけでも、少し違う視点を得られる感じがしました。恥ずかしながら僕も知らなかったんですが、いまブレイディさんからうかがって興味深く思いました。
ストライキの話は現代の日本の人たちにとってはなかなか実感がつかみにくいかもしれませんね。とりわけヨーロッパでは公務員がストをするのは当たり前なんですね。僕もフランスに留学していたときに「公務員がストライキしないんだったら、誰がストライキするの?」と言われたことがありました。「だって、公務員がストライキするからインパクトがあって意味があるんだろう」って。
いま、おっしゃっていただいたように看護師のような仕事は命と直結するものだから、自分たちの権利を守るためにストライキをしようと簡単には言えない。でも、本当にギリギリのところで、そうせざるを得なくなったところでストライキという選択がなされている。イギリスがそういう状況になっているという情報は、あまり日本に入っていない気がします。
ブレイディ 入ってないですよ。私が一生懸命書いているぐらいで。
■イギリスの二枚舌
國分 そうですよね。それから自由意志の問題にも触れていただきました。『中動態の世界』という本で僕は「非自発的同意」という概念の話をしています。同意しているからといって、自発的にそうしているわけではないということを指す概念です。たとえば、ストライキという方針が決まってやることになったけど、自発的にやったのかというと、それはやらざるを得ないからやった。これはまさに「非自発的同意」ですね。
環境経済の分野で原発絡みの問題を研究している教え子が、「自主避難」という言い方も非自発的同意だということを言ってました。「自主避難」というと、自分の自由意志で避難したというニュアンスが出ますが、そうじゃないんです、と。追い詰められた上でのやむを得ない転居なのに、自主的な避難だと言われてしまう。この構造はイギリスでやむなくストライキに踏み切った公務員やキーワーカーと非常に似ていますね。
その発端になっている物価高は複合的な要因が重なっているのでしょうけど、やっぱりウクライナでの戦争が大きな要因になっていると思います。ウクライナでの戦争については、イギリスではどういうふうに捉えられているんでしょうか。
ブレイディ まず、メディアの報じ方にびっくりしました。こんなに大々的に報道するのかって。イギリスがシリアを空爆したときも、テレビで延々と国会中継をするなど、けっこうな騒ぎでした。でも今回は騒ぎ方の規模が全然違います。やっぱりヨーロッパで起きた戦争ということで、衝撃の度合いが違うんですね。
私の一番仲のいいイラン人の友人は、これでイギリスの視点が分かったとはっきり言ってました。EUを抜けたとはいえ、やっぱりヨーロッパなんですね。「シリア空爆の際は、自分たちが当事者であるにもかかわらず、今回のようにふだん放送されている番組をキャンセルしてまでディベート番組に変更するようなことはなかった。中東への空爆はいまよりも衝撃を受けてなかったのか」って。その感覚は私もよくわかります。
イギリスの二枚舌ぶりも実感しましたね。ロンドンがロシア・マネーの港になっているなんて、みんなわかっていたことです。マネーロンダリングをしているペーパーカンパニーを探っていったらロシアのオリガルヒだったというドラマもけっこうありますから。
わかっていたけど、放置していたんです。ところが遠い国で戦車が走り出すと、急に「やっぱり規制するべきだ」と手のひらを返して、ロシアの富裕層の資産を凍結し、「私たちはウクライナとともにある」なんて言うわけです。さすがこの国の二枚舌というか……。
國分 ロシアのウクライナ侵攻が、許されない側面を持っているのは間違いないと思うんですよね。それは大前提だけれども、日本ではゼレンスキー大統領をただ応援するような姿勢だけが出てきて、その単純化がすさまじいんです。特にSNSの中でのプレッシャーが強くて、全員が「炎上」におびえて生きているみたいだし、空気からズレるようなことは本当に発言しにくい雰囲気になっています。
現在は、ゼレンスキーがロシアとの情報戦において、ある種の勝利を収めたなかで戦争が続いている状況だと思います。ただ、いまのイギリスの二枚舌の話もそうですけど、もっといろんなことを考えなきゃいけないはずなのに、日本のSNSでは善対悪の単純な図式でしか語れなくなってしまっている。軍事の専門家は戦況を細かく分析していますけどね。
ロシア・マネーのことをみんなわかっていて放置していたという問題も考えさせられます。この対談は2022年12月9日に行なっていますが、昨日ちょうど、日本では旧統一教会の被害者救済法案が衆議院で可決されました。統一教会の問題も僕が大学生の頃からありました。当時から問題を指摘している人はいたけれど、国会議員はそういうカルト宗教から票を得るために、色々なかたちで、お墨付きを与えた結果、さまざまな被害が放置され、拡大していった。弁護士が頑張って被害を訴え、本を出したり陳情書を出したりしても、政治家はずっと無視してきた。結局、元首相の暗殺事件が起こったことでしか、この問題が広く世に知られるようにはならなかった。つまり、人が死ぬような事件がなければ動かないような社会に日本がなってしまっていた。今年、僕らはそのことをまざまざと見せつけられました。
ブレイディ 統一教会の問題は、あの事件後、こちらでも記事が出ました。統一教会は80年代、90年代はヨーロッパやイギリスでも活動していて「ムーニーズ」と呼ばれていました。「ムーニーズがまだ日本で活動しているということは、ここでもやってるんじゃないか。気をつけたほうがいい。もう一回思い出せ」という主旨の記事を出していたのは「テレグラフ」。保守派の新聞です。
國分 そうですか。保守派の新聞が積極的に取り上げたということなんですね。
ブレイディ 保守派って、ちゃんと教会に行っている感じの人が多いから、ああいうカルトに対しては「キリスト教の教義をそういう風に解釈してけしからん」と批判的になるんです。
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