「森」が集まってきた。
時期で言えば、ちょうど東日本大震災前後あたりから、わたしの周りに「森」のつく名字の人が次々現れるようになった。それまでは友人知人にもほとんどいなかったのに不思議だ。特に「森田」という名字の多いこと。どの人とも現在進行形で仕事や友人としてお付き合いをしているから、ややこしいのなんのって。これは何かのメッセージだろうか。意味のあるようなないような、森の集合は単なる偶然ではないように思える。それでわたしは「森」について考え始めそれを歌にしようと思った。
森にはいくつものイメージがある。外国の映画を見ると森には魔物や無法者、妖精や精霊が住んでいるなど、奥深く立ち入っていけない恐ろしい場所として描かれていることが多い。一方日本の鎮守の森は、神聖で安心したり癒やされたりする場所として描かれたりもする。
『イメージ・シンボル事典』で「forest」を見ると、森は「大地のシンボルであり、太陽の反対物」とある。日がささない場所。あるいは、無意識。「森の中に潜む恐ろしい物や怪物は、無意識の危険な側面を表す」とある。森は心を表すこともあるのか。
目を閉じて自分の心の中に入ってみようとする。ひんやりとした森の中でさまようわたしはもう一人のわたしだ。いや、わたしかどうかはわからない。だって顔がないから。のっぺらぼうのわたしっぽい人が森の中でどっちへ行こうか迷っている。道は見えない。だって、目がないから。なあんて想像がふくらんでいく。何がなんだかわからない。でも書いてみたらわかるかもしれない。
あなたには顔がない あなたには顔がない
わたしには声がない わたしには声がない
二人っきりで はだしのままで
手と手をつないで 森へ 森へ 森へ行きましょう
「森へ行きましょう」
川上弘美さんに初めてお会いしたのは、多分2008年ごろで小泉今日子さんとおこなった「マイ・ラスト・ソング」という音楽舞台のあとの打ち上げの席だったと思う。
川上さんの本は「蛇を踏む」の時から小説もエッセイも好きで読んでいたし、小泉今日子さんが主演の「センセイの鞄」はドラマも見ていたので、お会い出来てとても嬉しかった。そのときは初対面だし、打ち上げの席だしで、ゆっくり話すことはできなかった。背のすらりとした、よく笑う、知的で、そしてそこはかとなく漂うお茶目な感じもかわいらしい人だと思った。