『刑事学校』三部作を書き上げ、さて、次は何を書こうかね……と、担当T氏と打ち合わせていたところ、彼がこんなことを言いだした。
「あの二巻目に出てきた萩谷って、どういうヤツなんですか?」
萩谷というのは、窃盗団を率いて、暴虐の限りを尽くしてきた悪党で、私が描いてきた悪党の中でもなかなかの強者だ。
一方、涼やかな目を持ち、無邪気な子供のような笑顔を見せるといった変わったところもある男で、私の作品の登場人物の中でも異色の者だった。
「どういうヤツって……」
訊かれ、振り返ってみた。
最初は、ただ涼しい顔をして悪の限りを尽くす人物を描いてみたかったのだと思う。
しかし、改めて見つめてみると、そういうことでもなさそうだった。
自分で書いていて妙な話ではあるが、時々、登場人物が何を考えているのか、わからなくなる時がある。
いや、わからないというより、勝手に登場人物が動いているというべきか。
頭の中で創り上げた人物が、書き進めるほどに人格を持ち、その人物の背景と個性に基づいて走り始める。そうなると、私はその人物の言動を見聞きしながら、ある一時期の顚末を文章に起こしているだけの状態になる。
そうした領域に入っている時の登場人物の言葉や行動は、あとで読んでみると、自分が書いたものではないように感じることがある。
こいつ、案外いいこと言ってんな、と感心したり、むちゃくちゃやりよるな、と呆れてみたり。
登場人物のくせに、作者の想像を超える言動をしていることが多々ある。
萩谷信という男もそうだった。
何を考えているかわからないし、次にどういう行動を起こすのかも予想できない。
ただ、私自身の文章で書いている以上、彼の言動の源となる背景は、私にはわかっているはずなのだ。
はずなのに……。
「どういうヤツだろうね?」
私からの担当T氏への答えは、それだった。
担当T氏にしてみれば、おれに訊かれても……という話だ。
その後、ああでもないこうでもないと話しているうちに、だんだん、萩谷信という人物が見えてきた。
誰の目から見ても無謀な行動も、彼には彼なりの“理”があり、彼が発する言葉には“人生の背景”がある。
そして、その先には必ず、彼が求めてやまなかったものがあるはず――。
探ってみたくなった。
そう思い始めた時、担当T氏が言った。
「萩谷が主人公の話、やってみませんか?」
この担当T氏とは長い付き合いになるが、とぼけた顔をしていながら、こういうタイミングを計る目というか、勘“だけ”は抜群だ。
もちろん、首を縦に振っていた。
初めは、スピンオフ的に、萩谷を中心に描いていこうと思った。
だが、それより、萩谷に関わった者たちの証言などを中心に掘り下げていった方が、より彼に迫れるのではないか、というところに落ち着いた。
小説を書いていて、いつも思っていたことがある。
本人の胸の内は、本人にしかわからない。もっといえば、自分の胸の内は、自分自身にもわからない。
萩谷信は、私が生み出した人物ではあるが、私は萩谷信ではない。
彼の人生や言動の源となるきっかけを“他者の目”で探ることで、彼が求め続けた何かが見つかるかもしれないと感じた。
そして、萩谷がそこに到達していたのだとすれば、それはとても幸せなことなのだろうとも思った。
たとえそれが、世の幸福と違うものでも。
なので、タイトルは『幸福論』となった。
どこまで彼の人生に迫れるのか、はたして私の筆致で迫り切れるのか、少々不安ではあるが――。
全力で萩谷と向き合っていくつもりなので、楽しみにしておいてください。