「織田信長を書いてください」
歴史小説、とりわけ戦国時代をメインに書いていると、そんな依頼をいただくことがしばしばあります。
信長といえば、戦国時代のみならず、日本史上でも一、二を争うネームバリューの持ち主であり、ファンも多い。(その是非はともかく)信長に憧れ、手本にしている企業家や政治家もたくさんいます。出版社としては、手堅く売れるコンテンツと言ってもいいでしょう。
ところがこの信長、書き手にとってはまさに鬼門。信長ほど書きづらい戦国武将はいないといっても過言ではないのです。
まずは言うまでもありませんが、膨大な数の先行作品です。古今の作家によって、信長はあらゆる角度から描かれてきました。
信長を真正面から捉えたものもあれば、はたまた女性になったり両性具有者だったり。こと歴史小説の世界において、信長はもはや書き尽くされ、手垢がつきまくった題材なのです。
それだけに、信長を主人公に小説を書くとなると、読者は新しい信長像や、斬新な切り口を期待します。この二十一世紀に信長を書くというのは、なまなかなプレッシャーではありません。
次に、信長のイメージです。「神仏を恐れず、新しい時代を切り拓いた革命児」、「天下布武を目指し、実現間近まで迫ったものの、部下の裏切りに倒れた非運の天才」、あるいは、「比叡山を焼き、何万もの一向門徒を撫で斬りにした残虐な魔王」。一般に流布した信長像というと、このあたりでしょうか。
ところが近年の研究では、そうした信長像が大きく見直されつつあります。従来のイメージほどの革新性は無く、むしろある種の保守性を持ち、当時の常識的な政策を推し進めた人物だったというのです。
こうなると、作家はますます書きづらくなってしまいます。従来通りの革命児として描けば「古臭い!」「研究成果を無視している!」とクレームが付くし、保守的、常識的な人物として描けば、小説としての面白みを削ぐことにもなりかねない。
何やら愚痴めいてきましたが、ことほどさように、信長を書くのは難しい。
前置きが長くなりましたが、本作『炯眼に候』は、そんな難題に真っ向から挑んだ意欲作です。
信長が探偵役を務める、ミステリー仕立ての連作短編。ざっくり言うとそういうことになるのだけれど、そこはトリッキーな作風を得意とする著者とあって、一筋縄ではいかない。「密室で不可能殺人が! 天才・信長の名推理はいかに!」みたいなよくある推理ものとは一線を画しています。
本作の信長が挑むのは、他ならぬ信長自身の業績にまつわる数々の謎です。
「なぜ、桶狭間で奇跡的な勝利を得られたのか」「勇猛な武田騎馬隊にどうやって勝利したのか」「信長の首はどこへ行ったのか」。これらは歴史好きなら誰もが気になる、戦国史における謎そのものと言い換えてもいいでしょう。
たとえば、有名な長篠の戦いでの鉄砲三段射ちは、現在の研究でほぼ否定されました。毛利水軍との戦いで活躍した鉄甲船も、本当に鉄で覆われていたのか、そんな重い船を海戦に使用できるのかと疑問視されています。
しかし、信長が武田騎馬隊や毛利水軍を打ち破ったのは、まぎれもない史実。その隙間を信長、いや、木下昌輝はどう埋めるのか。それが本作の読みどころです。
解説から先に読む方のために詳しくは書きませんが、どの答えも「実際にこうだったのかも」と思えるほどの説得力。歴史小説を書いている身からすると、「チクショウ、こんなやり方があったのか!」と歯噛みすることしきりです。
そして、読者としては嬉しいことに(同業者としては困ったことに)、本作の魅力は謎解きだけにとどまりません。
一口に歴史小説といっても、歴史の真相らしきものを描くだけでは小説たりえない。どれほど説得力のある、あるいは意外性に満ちた答えを用意しても、そこに描かれる人間たちの物語が陳腐では、小説としては失敗です。
もちろんそこは木下昌輝氏のこと、インパクトのあるトリックを用意しただけでは終わるはずがありません。メジャー、マイナー入り乱れた各章の主人公たちと信長が織り成す人間模様。それこそが本作の魅力の核となっているのです。
水鏡の呪いで死の恐怖に苛まれた荒川新八郎の最後の戦い。今川義元の首を獲った毛利新介と、とある事情から彼に引き取られた少年・夜叉丸の絆。信長を狙撃した杉谷善住坊の後悔と再生。時代遅れの弓を得意とする太田又助が手に入れる「新しい武器」。鉄甲船の建造を命じられ、激務に疲弊する九鬼嘉隆が垣間見る、信長と秀吉の恐ろしさ。織田家に仕えながら暗い情念に衝き動かされる明智光秀が、長篠の戦いを経てたどり着いた答え。
彼らは当然、信長のような炯眼は持っていません。だがそれだけに人間臭く、我々凡人にも共感できる部分が多くある。そんな彼らの視点を通すことによって、この小説を単なる「信長スゲエ小説」ではなくしているのです。
中でも特に唸らされたのが、最終章「首級」の主人公・弥助。黒人奴隷として日本に渡り、信長に引き取られて本能寺の変に立ち合うことになった、実在の人物です。
作者は彼に“ヤジル”という本名と、インドの戦場でイスパニア人医師のもとで働いていたという経歴を与えました。それがどんな意味を持つかは読んでのお楽しみですが、圧巻なのは、連作短編の一編とは思えない物語のスケール感。戦国小説を読んでいて、まさかムガール帝国が出てくるとは思わなかった。作者の想像力とそれにリアリティを与える筆力には脱帽するしかありません。
そんな木下昌輝氏ですが、本作の他にも信長を描く小説企画に参加しています。
その名もずばり「信長プロジェクト」。木下氏は信長を主人公にした『信長、天を堕とす』(幻冬舎時代小説文庫)、そしてわたくし天野純希が、信長と関わった様々な人物を主人公とする『信長、天が誅する』(幻冬舎時代小説文庫)を執筆、二〇二一年に刊行されました。ちなみに、どっちが信長を書くかとなった時に「信長はもう書いたからやりたくない。木下さん書いて!」と駄々をこねたのは他ならぬ私です。この場を借りて御礼申し上げます。
手前味噌になるので自作の紹介は控えますが、木下氏の『信長、天を堕とす』は本作と打って変わって信長自身の視点で、彼の内面を深く掘り下げた作品になっています。本作の信長と読み比べてみるのもまた一興かと。
さらにさらに、木下氏は小説のみならず、新書も執筆しているとのこと。こちらは『信長 空白の百三十日』(文春新書)。ノンフィクションの形式で本作にも登場する『信長公記』の謎に挑むというもの。
先輩作家も嫌がる信長に真っ向勝負を挑んでなお、斬新な切り口を見つけ出し、その中に濃厚な人間ドラマと小説的興趣まで織り込んでみせる。そんな木下昌輝氏はまさに、「炯眼に候」なのです。
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