岡田准一が主演として土方歳三を演じた映画でも話題沸騰の名作を、気鋭の歴史作家7名がさまざまな角度から検証。その魅力に迫った!
一、作家・司馬遼太郎の凄味
木下 僕が作家になる上で、司馬遼太郎はいちばんの指標になった人物です。司馬さんは、自身の小説作法については、ビルの上から下を歩いている人々を眺めるような文体だとエッセイで書いていますが、時代を俯瞰してみるのが、ものすごくうまい。『燃えよ剣』では、長州藩の志士たちが、新選組に多数惨殺、捕殺された池田屋事件について、「この変で明治維新がすくなくとも一年は遅れた、といわれるが、おそらく逆であろう」と言っています。これこそ、まさに司馬遼太郎がビルの上から、池田屋交差点で起きている事件を鳥瞰している視点で、こういった「司馬史観」に注目するとより面白さが感じられるはずです。
谷津 僕は『燃えよ剣』は小学校六年生の時に読みました。『るろうに剣心』の作者・和月伸宏(わつきのぶひろ)さんがすごく推していたのがきっかけで、いま思えばこの一冊との出会いが、歴史小説家としてのスタートだったかもしれません。司馬の作品は、初期は『梟(ふくろう)の城』のように伝奇や奇想の要素も多く、後期は『この国のかたち』や『街道をゆく』など、歴史や文明を追いかけ、司馬史観が強く打ち出されていく。中期にあたる『燃えよ剣』は、両方のいいとこどりをした傑作だと思います。
天野 司馬作品の代名詞でもある「余談だが」というフレーズは、まだほとんど出てきませんね(笑)。僕も中学時代、片っ端から歴史小説を読み漁っていて、当時は幕末には関心はあまりなかったんですけど、『燃えよ剣』と出会って一気にこの時代にハマりました。
武川 私は司馬作品はほぼ初心者なんですが、とても六十年前に書かれた作品とは思えませんでした。言葉遣いや漢字と平仮名の使いわけが非常に現代的だし、グロい描写も巧い。しかも『燃えよ剣』だけでなく、『新選組血風録』や『竜馬がゆく』『国盗(くにと)り物語』といった代表作を、いまの自分と同じ四十歳の頃に並行して書いていたと知り、「まじか!」と叫んでしまいました(笑)。
二、この登場人物に刮目せよ!
今村 僕は何といっても、お雪さんですね。この作品の主人公である新選組副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)の生涯の中で、特に後半以降、お雪さんの存在が、彼の救いになっている。彼女がいるかいないかで土方の人生はまったく別のものになったと思います。前半のお佐絵(さえ)さんも含め、土方と女性との関わり方をどう見るかは、読者の年齢によってもずいぶん変わってきますよね。僕は小学校で初めて読んでから、何度も繰り返し読んでいますが、今回改めて読み直してみると、共感できる場面がちりばめられていて、特に大坂城へ敗走した土方が、二日間だけお雪さんと二人きりの空間で過ごす。そこで「昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい」と言うシーンがたまらなく好きでした。
武川 私はノワールな世界観の中での権力闘争や男と男の因縁、そこで繰り返される暴力表現を読みながら、心が燃え上がったんですけど、その象徴的人物が甲源一刀流の師範代・七里研之助(しちりけんのすけ)だと思います。彼はライバルではありますが、土方を導いていく運命の糸のような存在ですよね。二条中洲での決闘を前にして、二人は与兵衛の店で差し向い、七里が「甘酒とは、優しいな」と土方に言うんですが、端的に土方自身のことを表しているようで、彼も同時に土方の理解者だと感じました。もちろん理解者としては、天真爛漫な沖田総司が真っ先に挙がるでしょうし、沖田が「にぶいな。土方さんは」と言うだけで、テンションが上がりまくりでしたけど(笑)。
木下 土方は作中で、自分自身を(おれはどこかが欠けた人間のようだ)と思っているんですが、そういう主人公に対して感情移入するのは容易なことじゃない。規律を破った隊士への仕置きなんかまるでイジメやん、って思うんですけれど、それを中和しているのが沖田総司。沖田が茶化すと、土方が魅力的に見えるという不思議なマジックが働いている。沖田がいなくなったらどうなるのかと思えば、それをお雪が補完して、欠けていた土方がちゃんとした人間になっていく――その最初のとっかかりを作ったのも沖田で、司馬遼太郎の創った沖田総司を、僕もすごく好きですね。
川越 あくまで作中に書いてある表現だけの感想ですが、隊長の近藤勇はまあまあダサい。時代の流れであっという間に表に出ていくけれど、政治に凝り始めて何だか分からなくなり、結局、復讐で狙撃されてしまう。近藤の浮き沈みは、新選組の運命そのままだという感じがします。ただ最後は大坂から江戸へ逃げ、甲陽鎮撫隊で敗けて、土方はまだまだ戦う気充分なんだけれど、流山で敗色が濃くなったところで、近藤は「どうやらこのあたりが、峠だよ」と達観するんですよね。そこで近藤がいなくなったことで、バラガキの喧嘩屋、時に俳句も詠むような芸術肌、新選組を作った組織論の達人という三つの面を見せていた土方が、戦争芸術家のような感じで完成していく。ちょっと駄目な近藤と、先を見越した副長の土方は、いわば共依存みたいな関係だったわけですけど、片方の死により、残された者のステージがさらに上がったようにも見えました。