緊急自動車のサイレン音が聞こえるとドキリとするが、パトカーよりも救急車や消防車の方がその驚きの具合が大きいように思う。特に怖いのは夜間に響き渡る消防車のサイレンだ。近所にやってこようものなら、すわ、と誰もが起きだして、外の様子を確認しないではいられないはずだ。
ずっと地元に住んでいるためか、小火(ぼや)で済まないご近所の火事は両手に余るくらい見聞きしてきた。さらに、町内の消防組織(区民消火隊)に長らく所属していたため、防火服を着て現場に駆けつけることも何回か経験している。家屋から立ちのぼる炎と煙の恐ろしさ。何日も漂う焼け跡の嫌な臭い……。たとえ周囲への延焼や、人的被害がなくても、火事ほど怖いものはない。
燃え盛る火災の鎮火、あるいは急病人や怪我人の救助と搬送。一刻を争う事態への対応のために日々訓練を重ね、いざという時に備えているのが消防署員である。通常は目立たないが、非常時にこれほど頼りになる職業は稀であろう。
ところが同じように頼られる警察官を主人公にした小説は、山ほど書かれているのに、消防署員をフィーチャーした作品は実に数少ない。二〇〇〇年代初頭にデビューした日明恩の『鎮火報』(〇三年)が、もしかしたら消防ミステリーの嚆矢(こうし)かもしれない。現場よりも内勤希望という、やる気とは無縁だった新人消防士の成長を描いた作品である。後に〈Fire’s Out〉というサブタイトルも付き、二一年末に久しぶりの新作『濁り水』が出たが、『埋み火』(〇五年)、『啓火心』(一五年)を併せても四作品があるに過ぎない。同じ作者の『ロード&ゴー』(〇九年)は救急車がカージャックされるというサスペンスで、〈Fire’s Out〉シリーズのキャラクターも登場していた好作だった。
他には新人女性消防士の奮闘を描いた佐藤青南の『消防女子‼ 女性消防士・高柳蘭の誕生』(一二年)、『ファイア・サイン 女性消防士・高柳蘭の奮闘』(一三年、『灰と話す男 消防女子‼ 高柳蘭の奮闘』改題)、パニック小説の要素が強い五十嵐貴久の『炎の塔』(一五年)、『波濤の城』(一七年)、『命の砦』(二〇年)の三部作、麻見和史『深紅の断片 警防課救命チーム』(一五年)が思い浮かぶくらいだ。
警察小説と比べ、数の上での劣勢は否めないが、短編の名手で優れた警察小説の書き手である長岡弘樹が、このジャンルに挑んだのが本書である。
和佐見市という架空の市にある漆間分署に所属する消防官たちをフィーチャーした物語であるが、親本のカバー帯に「消防士はただのヒーローではない」とあるように、単に消防署員の活躍を描いたヒーロー小説でないことは、巻頭に置かれた「石を拾う女」を読めばわかるはずだ。
今垣睦生は、漆間分署の第一警防課第一救急係に所属する、キャリア二十年の消防司令である。警察でいえば警部クラスにあたるベテランだ。研修帰りの今垣が気になる女性を見かけ、彼女が増水している川に飛び込もうとしたところを救うのが物語の発端だ。
今垣の妻はうつ病が原因で、自らの命を絶っていた。今垣が救った女性――高槻三咲季の歩く姿が、亡き妻の後ろ姿に似ていたため、気になって彼女の後を追っていたのだ。これがきっかけとなり、今垣は三咲季とつき合うようになるが、再び彼女は薬を飲んで自殺未遂を引き起こす。
このストーリーだけでも興味深いのだが、驚かされるのが「消防官の中にも、いわゆる惨事ストレスから心を病み、自死を考える者は少なくな」く、「拝命時に抱いた理想の高さに実力がついていかず、深刻な自己嫌悪に陥っ」た結果、命を絶った者も何人も見てきたという今垣の述懐である。
通常、警察官は起きてしまった事件を捜査するが、消防署員の現場仕事は、火災であれ急病人であれ、現在進行形の事案が多い。火災を鎮火することはもちろんだが、巻き込まれた人々の命をも救わねばならない。だがあまりにも悲惨な現場を見たり、救助する人を自分のミスで助けられなかったりすると、それがトラウマとなり、消防士自身の精神を傷つけていくのだ。
本書は、死と隣り合わせで働き、罹災者や仲間の死を否応なく見つめてきた者たちを取り上げた物語とも言える。第五話「山羊の童話」で登場する垂井柾彬は、自殺企図者の救助に失敗して死なせてしまった過去がある。その思いを拭うことができず、ついに退職してしまったのだ。そんな男が友人の部屋で痛飲して寝入ってしまった際に火事に巻き込まれるのである。
第七話「救済の枷」は、本作中もっとも異色の作品かもしれない。レスキュー技術の伝授のために、姉妹都市であるコロンビアのM市に、第三話「反省室」にも登場した猪俣威昌が出向するというストーリーだ。だが彼の心にはある屈託があった。三ヵ月前の現場で、部下を死なせてしまったのだ。コロンビアは誘拐事件が頻発する国だ。猪俣は指導に当たった現地の消防士から、わざと危険な目に遭うためにやってきたのではないかと喝破される。
このように、第一話で今垣の述懐にあったように、自殺企図者だけでなく、彼らを救うはずの消防士や救急隊員も「希死念慮」に捉われているエピソードが多いのだ。数が少ない消防ミステリーとはいえ、これまでこんな作品があったろうか。
だが作者は、彼らの心の襞(ひだ)をえぐるようなテーマを紡いではいるが、その悩みをストレートに描くことはしない。これまでの作品同様、周到に伏線が張りめぐらされており、観察眼鋭い登場人物によって、観察の対象になった本人自身も気づかなかったような真実や、彼らが抱えていた深層心理が浮かび上がってくるのである。いつもながら、お見事という以外に言葉はない。
命を助けられ、新たな幸せをつかんだはずの女性がなぜ再び自殺を試みたのか(「石を拾う女」)。第二話「白雲の敗北」で、「怖がるなとは言わない。だが、恐怖を他人に感染させるな」というアドバイスを新人に教える上司が、なぜパワハラめいた作業を新人に課すのか。「救済の枷」で、反政府ゲリラに誘拐された猪俣は、なぜショッキングな脱出方法を取ったのか。救助者にとって一番大事なものは、助けられる者が安心するような「破顔」した表情である。その教えを受けた者同士が、立場を変えて火災現場で交錯する第八話「フェイス・コントロール」で導かれた真相とは。
またベテラン消防士の父親が、友人宅で遭遇した命にかかわる奇禍からどのように脱することができたのかを描いた、第六話「命の数字」のようなホワットダニットの興趣が横溢した作品も並んでいるのが嬉しい。
全九編の物語の中では、およそ十年という時が流れる。新人だった消防士も、救急隊やレスキュー隊も経験した十年選手になっているのだ。今垣の同期・吉国の中学生だった息子も成長して、父と同じ消防士になる。その親子のエピソードは、今垣の〈現在〉とともに最終話「逆縁の午後」で語られる。このように時の流れも新たな物語に結びついていくのだ。
ゆるやかに流れる時と、ゆるやかにつながる人間関係を背景に、危険と隣り合わせだが、ヒーローとはほど遠い、「いつ顔を出すか分からない闇を抱えたまま、それをぎりぎり押さえつけている危うい存在」である消防士のありようを、容赦なく、そして鮮やかに活写してみせる。
長岡弘樹の持ち味であり最大の長所である無駄のない描写。そこから導かれる切れ味鋭い意外性たっぷりの逆転劇。人間ドラマとミステリーの面白さが、どのエピソードの中にも凝縮されているのだ。
枚数以上のボリュームを感じることができる、消防署員をめぐる九つの物語を、たっぷりと堪能してみてはいかがだろうか。