本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
切れ味たっぷりの逆転劇。人間ドラマとミステリを堪能していただきたい!!

切れ味たっぷりの逆転劇。人間ドラマとミステリを堪能していただきたい!!

文:西上 心太

『119』(長岡 弘樹)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『119』(長岡 弘樹)

 緊急自動車のサイレン音が聞こえるとドキリとするが、パトカーよりも救急車や消防車の方がその驚きの具合が大きいように思う。特に怖いのは夜間に響き渡る消防車のサイレンだ。近所にやってこようものなら、すわ、と誰もが起きだして、外の様子を確認しないではいられないはずだ。

 ずっと地元に住んでいるためか、小火(ぼや)で済まないご近所の火事は両手に余るくらい見聞きしてきた。さらに、町内の消防組織(区民消火隊)に長らく所属していたため、防火服を着て現場に駆けつけることも何回か経験している。家屋から立ちのぼる炎と煙の恐ろしさ。何日も漂う焼け跡の嫌な臭い……。たとえ周囲への延焼や、人的被害がなくても、火事ほど怖いものはない。

 燃え盛る火災の鎮火、あるいは急病人や怪我人の救助と搬送。一刻を争う事態への対応のために日々訓練を重ね、いざという時に備えているのが消防署員である。通常は目立たないが、非常時にこれほど頼りになる職業は稀であろう。

 ところが同じように頼られる警察官を主人公にした小説は、山ほど書かれているのに、消防署員をフィーチャーした作品は実に数少ない。二〇〇〇年代初頭にデビューした日明恩の『鎮火報』(〇三年)が、もしかしたら消防ミステリーの嚆矢(こうし)かもしれない。現場よりも内勤希望という、やる気とは無縁だった新人消防士の成長を描いた作品である。後に〈Fire’s Out〉というサブタイトルも付き、二一年末に久しぶりの新作『濁り水』が出たが、『埋み火』(〇五年)、『啓火心』(一五年)を併せても四作品があるに過ぎない。同じ作者の『ロード&ゴー』(〇九年)は救急車がカージャックされるというサスペンスで、〈Fire’s Out〉シリーズのキャラクターも登場していた好作だった。

 他には新人女性消防士の奮闘を描いた佐藤青南の『消防女子‼ 女性消防士・高柳蘭の誕生』(一二年)、『ファイア・サイン 女性消防士・高柳蘭の奮闘』(一三年、『灰と話す男 消防女子‼ 高柳蘭の奮闘』改題)、パニック小説の要素が強い五十嵐貴久の『炎の塔』(一五年)、『波濤の城』(一七年)、『命の砦』(二〇年)の三部作、麻見和史『深紅の断片 警防課救命チーム』(一五年)が思い浮かぶくらいだ。

 警察小説と比べ、数の上での劣勢は否めないが、短編の名手で優れた警察小説の書き手である長岡弘樹が、このジャンルに挑んだのが本書である。

 和佐見市という架空の市にある漆間分署に所属する消防官たちをフィーチャーした物語であるが、親本のカバー帯に「消防士はただのヒーローではない」とあるように、単に消防署員の活躍を描いたヒーロー小説でないことは、巻頭に置かれた「石を拾う女」を読めばわかるはずだ。

 今垣睦生は、漆間分署の第一警防課第一救急係に所属する、キャリア二十年の消防司令である。警察でいえば警部クラスにあたるベテランだ。研修帰りの今垣が気になる女性を見かけ、彼女が増水している川に飛び込もうとしたところを救うのが物語の発端だ。

 今垣の妻はうつ病が原因で、自らの命を絶っていた。今垣が救った女性――高槻三咲季の歩く姿が、亡き妻の後ろ姿に似ていたため、気になって彼女の後を追っていたのだ。これがきっかけとなり、今垣は三咲季とつき合うようになるが、再び彼女は薬を飲んで自殺未遂を引き起こす。

 このストーリーだけでも興味深いのだが、驚かされるのが「消防官の中にも、いわゆる惨事ストレスから心を病み、自死を考える者は少なくな」く、「拝命時に抱いた理想の高さに実力がついていかず、深刻な自己嫌悪に陥っ」た結果、命を絶った者も何人も見てきたという今垣の述懐である。

文春文庫
119
長岡弘樹

定価:792円(税込)発売日:2022年03月08日

プレゼント
  • 『神域』真山仁・著 

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2022/10/5~2022/10/12
    賞品 『神域』真山仁・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る