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記念公開!<巻末付録>新兵衛長屋~小金井橋 踏破の記(『意地に候』所収)

記念公開!<巻末付録>新兵衛長屋~小金井橋 踏破の記(『意地に候』所収)

文:文春文庫・小籐次編集班

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 小金井橋十三人斬り──。『意地に候』クライマックスシーンの興奮冷めやらず、身もだえする筆者。文春文庫・小籐次編集班の一人である。

 この火照った体を冷ます方法を、ひとつ思いついた。小籐次は、新兵衛長屋から、夜通し歩いて決闘の地、小金井橋に赴く。同じ道を、小籐次の胸中に思いを馳せながら歩いてみる、というのはどうだろうか? 何だか楽しそうな気がする──!

 行程は約二六キロ。日頃、運動らしい運動もしない四十男だが、そのくらいなら気合いで何とかなるだろう。四十九歳の小籐次だって歩いたのだから。

 というわけで……。

 小籐次はしばし沈思した後、長屋の整理を始めた。生きて帰れる保証はなかった。そのためにも身辺を整理し、久慈屋昌右衛門に宛てた書状を書いて夜具の間に残した。(本文より)

 金曜の夜、筆者はしばし沈思した後、机上の整理を始めた。生きて帰り、週明けには普段通り出社するつもりだったが、いちおう編集長に宛てたメモを書いて残した。「月曜、足が痛くて遅刻するかもしれません」。

 そして二月中旬の日曜日の朝。勇躍、新橋駅にほど近い、昭和通りと海岸通りが交わる蓬莱(ほうらい)橋の交差点に立った。

 新兵衛長屋は、芝口新町の一角、汐留川にかかる汐留橋のたもとにあった。橋は明治期に蓬莱橋と名を変え、川もほとんどが埋め立てられた。ひっきりなしに車が行き交う交差点を、首都高速道路の都心環状線が覆っている。あまり趣のある場所とはいえないが、ここを今日のスタート地点としよう。

 時刻は九時半。日の入りは午後五時半だが、それまでには小金井橋に辿り着きたい。つまり目標タイムは八時間。途中で昼食を摂るくらいの時間はあるはずだが、さして余裕は見込んでいない。小籐次は「夕餉の刻限」に新兵衛長屋を出て、「夜が白々と明けた刻限」に小金井橋に到着しているから、もうちょっと時間をかけたと思われるが、それはまあハンデのうち。こちらは日中、舗装路をウォーキングシューズで往くのだ。

 それではいざ、決闘の地に赴かん!

 小籐次は足音を忍ばせて新兵衛長屋を出ると、東海道を横切り、赤坂溜池から屋敷町を突っ切り、四谷の大木戸に出た。

 昭和通りを西進し、新橋駅のガードをくぐって西新橋を右折。国会議事堂を眺めて気分を盛り上げるため、ちょっとだけ遠回りだ。日比谷通りから内幸町を左折。正面に議事堂の偉容を見ながら国道一号線を横切り、財務省上を左に折れ、六本木通りに入る。

 二つめの信号が溜池(二・五キロ=蓬莱橋からの距離。以下同じ)。赤坂の溜池は、今は影も形もない。首都高の下に立つ「溜池発祥の碑」によれば、溜池は、江戸時代のはじめ、外堀兼用の上水源として造成された。埋め立てが始まったのは明治八年(一八七五)。小籐次が歩いたのは文化十四年(一八一七)だから、彼は暗い水面を右手に見ただろう。

 外堀通りに入る。ここから赤坂見附まではオフィスビル街。往時は松平美濃守邸、相良越前守邸などが広大な敷地を占める、まさに屋敷町だった。夜はしんとして、野良猫の鳴き声だけが響いていたか。あるいは、それなりに人の往来があったのだろうか。

スタート地点となった蓬萊橋の交差点。背後には首都高の新橋出口がある

 赤坂見附の交差点から左斜め前方に伸びる外堀通りを、緩やかにカーブしつつ上る紀ノ國坂。実は、今回の行程で上り坂らしい上り坂はここだけだ。休日のジョギングを楽しむランナーが次々に追い越していく。左の高い壁の向こうは、東宮御所を抱く赤坂御用地。坂を上り切って振り返ると真正面には白亜の迎賓館。小籐次は、御三家、紀州藩徳川家上屋敷の塀を月明かりの中にとらえたかもしれない。

 四谷見附を左折して新宿通りに入り、一キロ半ほど直進すると四谷四丁目(六・〇キロ)。ここに、四谷の大木戸があった。甲州街道と江戸との出入りを取り締まる木戸、すなわち関所。夜には閉められていた木戸は、寛政四年(一七九二)に撤去されたというから、小籐次はあっさり通り抜けたはずだ。

 交差点の一角には「水道碑記」の碑が立つ。水番所跡だ。承応二年(一六五三)に開通し、江戸市民の生活水を提供してきた玉川上水は、取水口の羽村(東京都羽村市)からここまでの四三キロが開渠(かいきょ=覆いのない水路)で、この先を、石樋、木樋を用いた地下水道管で江戸各所へ通水していた。開渠の玉川上水とは、はるか一七キロ先で出会う予定だ。

 追分で青梅道中と甲州道中に分れた。(略)青梅道は人家もまばらで、ほぼ武蔵野台地を一直線に横断していた。

 さらに新宿通りを進むと新宿三丁目(七・一キロ)。一角に日本一の売り上げを誇る百貨店、伊勢丹新宿本店を擁する、まさに新宿の表玄関。かつての新宿追分であり、近辺には甲州街道第一の宿場、内藤新宿が広がっていた。ビルの前にこぢんまりと立つ「新宿追分交番」にその名を遺している。今も、青梅街道(都道4号線)の行政上の起点はここ。甲州街道(国道20号線)は、交差点の一〇〇メートルほど南を走る。日曜なので歩行者天国になっている道路の真ん中を、気分よく歩く。

 新宿の大ガードを抜ける。「人家もまばら」は今は昔。超高層ビルが林立する左側の西新宿六丁目は、町別昼間人口密度が東京のベストテンに入る超過密地域だ。やがて山手通りと交差する中野坂上(九・三キロ)。時刻は正午。ここで四半刻(約三十分)ばかり昼食休憩とする。ようやく全行程の三分の一を超えた。やたらと目に入る、東京地下鉄の青いマークに誘惑を感じなくもないが(丸ノ内線が青梅街道の真下を走っている)、よこしまなことは考えず、とにかく歩くことにする。

 中野を過ぎて、高円寺村と馬橋村の境辺りで、街道は青梅道と五日市道に分岐した。

 善福寺川を渡ると、尾崎田圃の七曲がりに差し掛かり、吉祥寺村、関前村を過ぎると玉川上水に沿って街道はいく。

 黙々と三キロ稼いで、五日市街道入口(一二・三キロ)。馬橋村は、現在の杉並区阿佐谷、高円寺あたりにまたがる。この交差点から左に分岐する五日市街道と、小金井橋まで付き合うことになる。

 善福寺川にかかる尾崎橋のあたりが、かつて難所として知られた七曲がり。大正十年(一九二一)に直線状に整備されたというが、今でも、住宅地を縫うように蛇行する狭い旧道をトレースすることができる。ちょっとした起伏はあるものの、もはや難所の面影はない。

 環八通りと交差する環八五日市(一五・六キロ)から先は、七キロほど基本的に一直線。これといった変化もなく、辛抱の試される道のりだ。それでも宮前の庚申塔や、万治年間(一六五八~一六六一)創建の春日神社など、小籐次の視界に入ったであろうものと同じものを見ることができる。

 家族連れやカップルで賑わう“住みたい街ナンバーワン”の吉祥寺を過ぎ、武蔵野大学前(二二・三キロ)で、五日市街道はカクッと左に折れる。西日が眩しい。午後四時過ぎだが、思ったより太陽が低い。ちょっと焦る。ここから道路の真ん中を千川上水が流れる。本郷、浅草方面へ水を運んだ、江戸の六上水のひとつだ。土手は未舗装の遊歩道になっており、小籐次気分を味わうためにここを歩くことにする。が、時折足裏に食い込む小石が堪える。小籐次は、草鞋でずっとこんな道を歩いてきたのか……。今さらながら江戸の旅の過酷さを思う。

 境橋(二三・六キロ)で緩く右に折れ曲がる。ここが千川上水の分水口。“本流”は玉川上水だ。

 元文二年(一七三七)、武蔵野新田開拓に功あった川崎平右衛門が幕府の命で大和国吉野山などの桜の種を取り寄せて苗を育て、数千本を土手に植えた。それが武蔵野八景に選ばれ、江戸に知られるようになっていた。

 季節になると、五日市街道は玉川上水の桜を目指す江戸からの花見客で賑わったという。今も、土手には桜並木が続いている。倒木の恐れのある老木を伐採し、苗木に植え替える作業が順次進んでおり、これからも、春には武蔵野八景の名に恥じない壮観を見せてくれるだろう。

 右手には小金井公園の広大な敷地。くぬぎ橋、梶野橋、関野橋……。橋は続けど、目指す小金井橋の表示がなかなか見えてこず、じらされる。実のところ、ずっと前、中野のあたりから右膝の裏に不穏なひきつりを感じていた。気にしないことにしていたが、いよいよ抜き差しならなくなってきた。「新小金井橋」の信号から小金井橋まで、妙に距離があるのがいやらしい。まだか、まだなのか……。

 そして午後五時十八分、ついに小金井橋(二六・二キロ)に到達した。所要時間七時間四十八分。万歩計の数値は四万三一九八歩。

 かつて小金井橋は木橋だった。安政三年(一八五六)に石橋に架け替えられ、レンガ造の時代を経て現在はコンクリート造。歌川広重が天保年間(一八三〇~一八四四)に描いた「小金井橋夕照」に、往時の姿を偲ぶことができる。土手には桜が咲き誇り、遠くには富士山。橋のたもとに建つ藁葺き屋根は茶屋だろうか。

夕暮れせまる小金井橋。このへんの桜は、植え替えられたばかりの若木だ

 あたりを見渡すが、刺客の姿はない。代わりに指呼の間に目に入ったのは、小金井橋バス停。ありがたい……。ここでうかつに腰を下ろさないほうがいい気がする。

 程なくしてやってきたバスにそそくさと乗り込み、数分後、武蔵小金井駅に着いて立とうとしたとき、一昨日、編集長宛にメモを残してきたのは大正解だったと気づいた。こ、腰が立たない。膝も曲がらない。小籐次は、これからさらに十三人を相手に立ち回ったというのか。

 彼は、剣客である前に、健脚だった──。恐るべし、赤目小籐次。

(参考図書 『五日市街道を歩く』筒井作蔵著・街と暮らし社)
 

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