『御鑓拝借』は「酔いどれ小籐次留書」シリーズの第一巻として、二〇〇四年二月に幻冬舎文庫より刊行された作品です。以降、二〇一三年二月の『状箱騒動』まで全十九巻が書き継がれました。これがいわば「旧小籐次」シリーズです。
二〇一四年八月、舞台を文春文庫に移し、「新・酔いどれ小籐次」シリーズの刊行が始まりました。最新刊は第四巻『姉と弟』。
そして、本書を皮切りに、旧小籐次シリーズを「決定版」と銘打ち、文春文庫より刊行していきます。
なぜ今、再び旧小籐次を世に問うのか。小籐次に寄せる思いとは。そして、これからの小籐次シリーズはどうなる? 海を望む熱海の別邸・惜櫟荘(せきれきそう)にて、佐伯さんにお話を伺いました。
なんせ旧小籐次は十九冊ですから。目下、次から次へと届くゲラ刷りの山に悲鳴を上げているところです(笑)。この決定版こそが私にとって小籐次の完成形。今後、再び旧小籐次に手を入れることはないでしょう。
それにしても、もう十二年経つんですね……。感慨とともに久々に『御鑓拝借』を読み返して、自分でいうのも変ですが、決して古びてはいない、と改めて自信を持ちました。第二巻の『意地に候』以降も順次読んでいくことで、身体に蓄えられたものを、今後の新小籐次シリーズに繋げていければと思っています。
私はずっと、時代小説で「男の夢」というべきものを書いてきました。小籐次は、その度合いが大きいというか、私の作品の中で極みにあるといえるかもしれません。
時代小説とはいえ、吸っている現代の空気と無縁ではいられません。小籐次を書き始めた二〇〇四年といえば、女性がますます元気になり、男の生き方全般がちょっと辛くなってきているなあと感じていました。その空気が、私に小籐次という男を描かせたところはあります。
そもそも赤目小籐次は、『御鑓拝借』の時点で四十九歳。江戸の世では老齢といっていい歳ですよね。高収入でもないし、高学歴でもない。背丈も小さいし、顔も不細工。その彼が、おりょうというマドンナを心中に秘めやかに抱き続け、ついには結ばれる。以前、俳優の高橋英樹さんに会ったとき、「あれはナシだよなあ。川向こうにさ、別邸にさ、綺麗な女囲ってさ、そんな話はないよ」と笑いながらいわれたのですが、たしかにそんな話はありません(笑)。でも、その“ない”話を“ある”ことにしようと思った。それでいいんです。「男の夢」なんですから。
十二年経って改めて見渡すと、日本人は、女性も男性も、ますます恋愛、結婚に執着しなくなっていますね。その社会的状況は、明らかに強くなっている。そんな中だからこそ、小籐次という男――ずっと一人の女性を思い続け、少しずつ少しずつ想いを交わし、やがて所帯を持ち、自分を殺しに来た刺客の遺児を引き取って育てる、という男の生き方を問い直す意味はあるんじゃないか。私が今回、決定版の刊行を決断したのには、そういう理由もあるんです。