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「幕府の世の中が唯一の現実だと信じ込んでいたのに…」江戸時代の名主たちが、古代や朝廷を研究する“国学”を求めたワケ

「幕府の世の中が唯一の現実だと信じ込んでいたのに…」江戸時代の名主たちが、古代や朝廷を研究する“国学”を求めたワケ

「週刊文春」編集部

著者は語る 『本売る日々』(青山文平 著)

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #歴史・時代小説

『本売る日々』(青山文平 著)文藝春秋

 ジャンルの枠にとらわれない時代小説を発表し続ける青山文平さん。最新中篇集『本売る日々』は村の名主たちに「物之本」、いわゆる学術書を売り歩く行商の書店の物語だ。

 時代は江戸後期の文政年間。この時代を描いた小説は多いが、その多くは町人文化が花開いた都市部が舞台。なぜ本書では農村に注目し、名もない人々の暮らしを描こうと思ったのだろうか。

「文化・文政時代は、地方が力を持った時代でもありました。木綿や煙草といった換金作物の栽培が盛んになり、それらの生産地が流通においてもどんどん力をつけていったのです。絹の産地である桐生新町が特に有名ですが、日本各地に地場の力で村から町へ発展した、いわゆる在郷町ができていきました」

 それらの町や村の核となったのが、名主や庄屋と呼ばれる人物だ。彼ら地方の有力者は地場資本を形成していっただけでなく、文化の担い手でもあったという。

「地方の蔵書家といえば、多くが名主でした。その地域で学びたい人は、名主の屋敷で貴重な本に触れることもできたでしょう。他にも地方を遊歴する画家や詩人を援助するなど、文化芸術のパトロンとなる者も少なくなかった。そんな教養を備えた名主たちと、学術書の行商をする人間が本を介して交われば、絶対に何らかの世界が生まれてくるはずだと思いました」

 作中に出てくるのは、本居宣長の『古事記伝』、塙保己一が編纂した『群書類従』など錚々たるタイトル。名主たちは高価な本を購(あがな)い、独特の温度をもって書店主と語り合う。決して実用的でない知識を求める様は意外でもあるが、徐々に彼らが知識を、特に古代や朝廷を研究する「国学」を求める理由が分かってくる。

青山文平さん

「国学は古代を、つまりは朝廷を称えます。常に百姓と侍の板挟みになっている名主には、これが精神の逃げ場になる。幕府の世の中が唯一の現実だと信じ込んでいたのに、朝廷だってあるんだと思えるわけです。それで、ふっと気持ちが軽くなる。心の御守りとしてのマイ『国学』なんですね」

 本が主役ともいえる本作だが、物語を動かす本を探す作業は難航を極めた。

「すんなりできたのは最初の『本売る日々』だけで、あとの2作は遭難寸前でした。書物を通じて人を、村の暮らしを描いていくので、主役級の一冊だけでなく何冊かの本が必要になります。で、手当たり次第に探すのですが、当たり外れは当然で、外れのほうが遥かに多い。それを覚悟の作業になります。『初めての開板』では、最後の最後になって、医師が口頭で残す要諦の記録である『口訣(くけつ)集』と出会えて、あの物語になった。書き進めるために調べ物をする過程で、なぜだ、なぜだを繰り返しているうちに、たどり着いたのです。偶然を手繰り寄せたと言ってもよいかもしれません」

 この「口訣集」がどのように用いられているかは、ぜひ本書を読んで確かめてほしい。そこには霧がぱっと晴れ、目の前に美しい風景が広がるような感動がある。

「私は、初めからこういう世界を書こうと思って書く書き手ではありません。どういう世界が立ち上がってくるのだろうと思って書く書き手なのです。ですから、なぜこんな作品が書けたか自分でも分からない(笑)。だからこそ発見がいっぱいあって、それが書くエンジンになっています。自ずと時代小説の型からは外れていきますが、そういう予定調和ではない時代小説を好まれる方が、一人でも増えてくれたら嬉しいですね」

あおやまぶんぺい/1948年、神奈川県生まれ。2011年『白樫の樹の下で』で松本清張賞を受賞。15年『鬼はもとより』で大藪春彦賞、16年『つまをめとらば』で直木賞、22年『底惚れ』で中央公論文芸賞と柴田錬三郎賞をダブル受賞する。他の著書に『やっと訪れた春に』など。

単行本
本売る日々
青山文平

定価:1,870円(税込)発売日:2023年03月06日

電子書籍
本売る日々
青山文平

発売日:2023年03月06日

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