「ふつうならばありえないことをやってこそ、『出口』は開く」
青山文平『鬼はもとより』
青山文平の『跳ぶ男』を読み終えて、しばし息を呑み余韻に浸る。数奇な経緯により藩主の身代わりとして極めて困難な責務を果たさねばならなくなった能役者の少年の半生を描いたストーリーを締めくくるラスト三行の、なんと美しいことか。なんと軽妙なことか。颯爽として潔く、晴れやかにして幽玄。能という特異な美を追究する芸術を背骨に織り込み、前代未聞の謀の顛末を書き綴った物語は、静かに鮮やかにその幕を下ろす。あたかも五番立を舞い終えた能役者が、明鏡止水の境地に達したかのように。
本書『跳ぶ男』は、どうやっても解決しようのない窮状に喘ぐ弱小藩が、武家の式楽にして唯一誇れる武器である能に一縷の望みを託して突破口を開くべく仕掛けた乾坤一擲の秘策を軸に据えた小説だ。その上で、美と醜、生と死という相反する事柄を等しく見据え、幼くして居場所をなくし生き残ることで精一杯だった孤独な少年が、世界に触れ、他者と交わり、自己を省み成長していく様を、凜々しく瑞々しく描きあげる。
時代は江戸後期。舞台は表高も実高も変わらず二万二千石しかない貧しき小藩・藤戸藩、そして幕藩体制の中枢たる江戸城本丸だ。
作者は、「その川は藤戸藩で最も大きい川だった。/にもかかわらず、名を持たなかった。/正しく言えば、藤戸藩では誰もその名を口にしようとしなかった」という、おやっと思わせる冒頭三行で、読む者を瞬時に作品世界へと誘う。
領地の大半が高い台地の上にあるために、急峻な段丘の裾を縁取るように流れて平地に広がる隣国との境をなす豊かな川の恩恵を受けることができない藤戸藩は、ごくわずかの米しか穫れず、崖っぷちまで畑で埋め尽くされている。土地も水も米も、そしてもとよりカネもない。それどころか死者を埋葬する土地すらなく、河原に棺を浅く埋めた野墓を野宮と称して、大雨で亡骸が流されるに任すしかない。手を合わせるのは箱庭のような参り墓だ。貧しさを煮詰めたような、ないない尽くしのこの国に、藩お抱えの能役者である二十俵二人扶持の道具役の長男として屋島剛は生まれた。
物語は、六歳にして母を亡くした剛が、初めて野宮を目にするシーンで幕を開ける。次いで、百か日法要の際、埋葬したのとは別の墓に参ったことに疑問を抱いていた剛が、同じく能役者の息子で三つ歳上の岩船保から、この国がまっとうな墓を持てない理由を説かれ、釈然としない思いに駆られる場面へと移る。そんな剛に向かって、唯一の友であり能のみならず人生の師でもある保は決然と言う。「俺はこの国をちゃんとした墓参りができる国にするんだ」と。
あまりに大きな志に唖然とする剛を余所に、幼き頃から英才の誉れ高かった保は文武に才を発揮し、わずか十七歳で藩校の長である都講の補佐に推挙されるまでになる。
一方剛は、母の死後程なく父が後添えを貰い弟が生まれたため、親の愛情も跡継ぎとしての居場所も失ってしまう。それでもなんとか生き延びて大人になるためには、唯一の取り柄である能にしがみつくしかなく、人目のない野宮の大岩を舞台に見立て、跳んで、跳んで、跳びまくり独り稽古に励む。時に、保に助けられながら。
だが、そんな過酷で代わり映えのない日常は、突然終わりを迎える。あろうことか保が不可解な刃傷沙汰に及び切腹を命じられてしまうのだ。さらに、わずか十六歳で藩主が急逝。やむにやまれぬ藩の事情から、剛は身代わりとして立てられ、窮乏打破を賭けた大博打の要に据えられてしまう。得心のいかない剛に向かって改革派の頭目である目付・鵜飼又四郎は、吟味の場で最後に保が剛を評した三つの言葉を伝える。曰く、「素晴らしい役者」、「想いも寄らぬことをやる」、「うらやましい」。友であり師である男の遺した言葉の真意を理解するために、弱冠十五歳の少年が、柳営の棟梁たる将軍に対して、己の能の技量のみを武器に文字通り徒手空拳で命がけの闘いを挑む。しかも与えられた期間は、わずか七ヶ月しかない。これぞまさにミッション・インポッシブル。