本からの知識こそが人生を豊かに
「あらかじめゴールの形が決まっている物語というのは、人の生きている姿ではないと思う。時代ものを書くからには、型に当てはめた方がいいのかもしれないけれど、人が生きていく歩みは単純なものではないでしょう。身分によって暮らしが画一的になるわけでもありません」
そう語る青山文平さんの新作『本売る日々』の主人公は、江戸時代後半の文政年間、在郷の名主(なぬし)らに本を行商する男である。
「話は飛びますが、エッフェル塔が建てられた1889年のパリ万博は電気の万博でした。エレベーターや電話など、さまざまな電気の使われ方が示された。驚くべきは、それから、わずか数年後、江戸時代が終わってから間もない日本でも、全国の河川に次々と水力発電所が建てられていったことです。それぞれの地域に、それだけの力が蓄積されていたんですね。こうした地方の力の中心にいたのが、名主(西日本では庄屋)でした。
名主は、ただ地域の農民をまとめていたのではありません。地場資本を形成しつつ、蔵書を厚くするなどして、地域の文化の核にもなっていたのです。そういう地域に、学術書を扱う本屋が行商して歩いたら、どういう世界が立ち上がってくるか――それを知りたくて書いたのが『本売る日々』です」
本を求める名主層たちに主人公の平助が売り歩くのは〈物之本(もののほん)〉。これらはいわゆる〈読本(よみほん)〉や〈草子(そうし)〉ではなく、仏書や漢籍、儒学書、国学書、医書など、現代でいうと学術書ということになる。さらに平助は自ら〈開板(かいはん)〉したい、つまり版元として本を出版したいという密かな夢も持つ。
「〈物之本〉を通して地域の人と暮らしを描くわけですから、一冊だけでは物語になりません。手当たり次第に資料を探しまくることになります。当たり外れは当然で、外れのほうが遥かに多い。それを覚悟の作業になります。初めからこういう世界を書こうと思って書くのではなく、どういう世界が立ち上がってくるのだろうと思って書くので、自分でも、なぜこんな作品が書けたか分からない(笑)。でも、だからこそ発見があって、自分で思いもよらない収穫がありました」
自らの松本清張賞受賞を「遅いデビュー」という青山さんだが、昨年は『底惚(そこぼ)れ』で中央公論文芸賞と柴田錬三郎賞をダブル受賞。進化はなおも続いている。
「こういう新しい世界を書くことができるんだと、充分な手ごたえを感じた一冊になりました。大変ですがいつか続きが書けたらいいですね」
あおやまぶんぺい 1948年神奈川県生まれ。2011年『白樫の樹の下で』で松本清張賞。15年『鬼はもとより』で大藪春彦賞。16年『つまをめとらば』で直木賞。
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