ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか
ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアが、隣国であるウクライナとの問題について、外交的解決を放棄し、暴力をむき出しにして一方的に侵攻することで始まった。冷戦が終結し、21世紀に入ってからも20年を経て、グローバリゼーションが進展し、国家間の相互依存が深化しているこの時代に、国連常任理事国を務める大国の政策選択肢として、他国を侵略する形の戦争が選択されたことは、世界中に衝撃を与えた。
開戦からはすでに1年以上の時が過ぎてしまっている。2023年5月現在、ウクライナが反攻の準備を進めているとされるが、戦争全体を見ると、終息の気配はいまだに見いだせない。この戦争はなぜ終わらないのか、あるいは終わるとすればどのような終わり方があり得るのか、世界中の人々が答えを見いだせない中、戦争は長期化への道を進みつつある。
「ロシアが戦いをやめれば、戦争は終わる。ウクライナが戦いをやめれば、ウクライナがなくなる」という言葉があるとおり、ウクライナは国土をすべて奪回するまで戦いをやめないだろう。しかし、ウクライナが国土を奪回したとしても、それが直ちに戦争終結を意味するわけではない。本書で詳しく分析しているが、ロシアの戦争目的に照らしてみれば、ロシア軍がウクライナ領内から撃退されたとしても、それだけでは戦争を終わらせる理由にはならないからである。そうなっても、ロシアは都市爆撃を継続しようとするであろうし、隙があれば再侵攻を試みる可能性すらある。それはなぜなのか。
一般論として言えば、戦争を望む人はほとんどいない。にもかかわらず、なぜこの戦争は始まり、そしてなぜ終わらないのか。そして終わるとすればどのような道があるのか。それを考えていくのが本書の目的である。
デジタル時代の総力戦
ひとつの戦争としてみると、ロシア・ウクライナ戦争には、「古さ」と「新しさ」の同居を見て取ることができる。「古さ」としては、グローバリゼーションが進んだ現代に、まるで帝国主義時代のように大国がむき出しの武力を行使して他国を侵略することであったり、戦場で展開している第1次世界大戦を思い起こさせるような塹壕戦や、第2次世界大戦を思わせるような戦車を中心とする重火力戦闘があげられる。「新しさ」としては、スターリンクを代表とする、宇宙空間やサイバー空間にこの戦争が広がっていること、あるいはSNSを通じて様々な情報が拡散していることが挙げられる。
「古さ」や「新しさ」を感じるということは、直感的に見て2020年代の世界との時間的な「ずれ」をわれわれが感じ取っているということでもある。しかしこの戦争は、まぎれもなく2020年代前半に起こっており、そうした「ずれ」それ自体もあくまで現代的な文脈の中で起こっている事象である。
大国による武力行使という「古さ」を感じる側面は、実際には、現在「大国間競争」として展開している大国間のパワーゲームとも関係している。そして、現在の「大国間競争」の中で大きな存在感を持っているのは中国である。詳しくは本文で分析するが、中国の台頭と米中対立がなければ、この戦争に至る歴史の道筋は大きく変わっていただろう。場合によってはロシア・ウクライナ戦争そのものが起こらなかったこともあり得る。また、米国は、あくまで対中戦略を優先させながら、ウクライナに多大な支援を行っている。ロシア・ウクライナ戦争はヨーロッパにおける局地戦に過ぎないが、その意味で、グローバルな大国間競争に埋め込まれた形で展開しているのである。
「新しさ」を感じる側面には、現代社会の人々の生活パターンがかかわっている。この戦争では、交戦国の政府からの公式発表や、戦地で取材する大手メディアからの報道だけでなく、現地で戦う人々からのSNSを通じたダイレクトな情報発信が世界に影響を与えている。2022年4~5月のマリウポリ攻防戦のさなかには、ウクライナの民兵組織であるアゾフ連隊がしばしば現地の状況をSNSにアップした。2023年春バフムト攻防戦のさなかにも、ロシアの傭兵組織であるワグネルからSNSへのダイレクトな情報発信が行われた。これらは、世界中でSNS空間の中でコンテンツとして消費されながら、既存メディアからも拡散していった。これは、今のデジタル社会における人々の生活パターンに埋め込まれた形での情報の広がりでもあった。
人々がこの戦争に感じる「古さ」と「新しさ」は、この戦争における出来事と現代社会との「ずれ」を、時間的な「ずれ」として人々が認識していることによるのかもしれない。しかしこれは、実際には、時間的な「ずれ」によるものではなく、グローバリゼーションとデジタル化が進んだ世界における局地戦に特徴的なもので、その特徴を人々が初めて体験しているからこそ感じるものなのかもしれない。ロシアはまだ総動員はかけていないが、すでに30万人の部分動員を行った。ウクライナにはほぼ完全に総動員態勢に入っている。つまり、ロシアもウクライナも、国内のリソースを動員して、「総力戦」に近い形でこの戦争を戦っているのである。しかし、グローバリゼーションが進んだ現代においては、こうして総力戦を戦っている両国も、国際社会から切り離されていない。むしろ国際的な空間で展開している大国間競争や人々の日々の生活に埋め込まれた形で、この戦いは続けられている。
何より特徴的なことは、この戦争の帰趨が戦場だけでは決まらないことである。戦略論の中では、安全保障政策は軍事に限定されないという意味でDIMEという言葉が使われることがある。DIMEとは10セント硬貨を指す英単語だが、ここでは、外交(Diplomacy)、情報(Information)、軍事(Military)、経済(Economy)という四つの政策手段を総称する意味で使われる。つまり、安全保障政策を進める上では、軍事だけでなく、外交や情報や経済も組み合わせなければならないという意味である。
この戦争においては、開戦後も、これらの手段がすべて使われている。ウクライナが積極的に展開した外交は、米欧諸国からの武器援助を拡大させた。2023年5月のG7広島サミットには、ゼレンスキー大統領が電撃出席し、F-16の供与と訓練の支援を取りつけるとともに、インドなど、「グローバルサウス」と通称され、この戦争では米欧と一定の距離をおく国々の首脳たちと会談した。ロシアも、中国などとの関係強化のために外交を積極的に展開している。情報も、ウクライナとロシアの双方が、自らの正当性をアピールするために発信されている。経済的手段も、ロシアの継戦能力を削り取るために実行されている。日本では、特に外交や経済を軍事と対立的な概念として捉えがちだが、この戦争では、開戦後も外交・情報・経済もそれぞれに重要な役割を果たしているのである。
この戦争を取り巻くこうした現象を、本書では「デジタル時代の総力戦」としてとらえることにしたい。ロシア、ウクライナ両国だけではなく、ウクライナを積極的に支えている米欧諸国を含め、この戦争を有利に運ぶためにDIMEが総動員されているのである。これは、この戦争にユニークな現象ではなく、今後の戦争において一般的な傾向となるように思われる。だとすれば、この戦争において展開しているDIMEをとりまくさまざまな現象を、しっかりと観察していかなければならない。
本書の構成
以上の視点に基づきながら、本書は、三つの大きな論点から構成されている。第1の論点は、「なぜこの戦争は始まったのか」である。筆者が執筆した第1章では、冷戦の終結からの歴史的プロセスを概観する形で、この戦争に至る道筋を再検討し、この戦争がロシアとウクライナのアイデンティティをめぐる戦争であると結論付けた。次に福田潤一氏(笹川平和財団)が執筆した第2章で、「この戦争は抑止可能だったのか」という点に注目して、詳細な分析を行っている。そして、この戦争の抑止はそもそもほぼ不可能に近かった、との結論を導き出している。
第2の論点は、「この戦争はどのような戦争なのか」である。戦況の展開だけであれば、ほかの書籍もあるので、ここでは特に、「デジタル時代の総力戦」を特徴づける新領域のかかわりについて議論している。第3章は、日本を代表する宇宙安全保障の研究者である福島康仁氏(防衛研究所)が、この戦争におけるロシアとウクライナ双方の宇宙利用について検討し、特に商業宇宙利用の支援を受けることで、独自の宇宙作戦能力を持たないウクライナが、有効な形で宇宙空間を利用していることを示した。第4章は、同じくサイバー安全保障に関する日本有数の研究者である大澤淳氏(中曽根康弘世界平和研究所)が、この戦争におけるサイバー空間のかかわりについて、マルウェアによるサイバー攻撃だけではなく、フェイクニュースを利用したハイブリッド戦争などにも視野を広げて分析している。
第3の論点は、「この戦争は終わらせることができるのか」である。戦争が始まって1年余りを経たが、いまだに戦争終結に向けた具体的な道筋は見えてこない。しかし、そういった問題についても考えていく必要がある。そこで第5章では、筆者が「シナリオ」という形で、戦争終結に向かう可能性を検討した。そこには三つほどの道筋が想定できるが、そのうち二つについてはまだまだ時間がかかると予想され、もう一つについては可能性が低いと考えられる。その一つとは、ワイルドカード的な政変がモスクワないしベラルーシで起こることである。2023年5月下旬の段階で、ベラルーシのルカシェンコ大統領の体調不良が報じられているが、このシナリオは文字通りワイルドカードシナリオであり、蓋然性が高いとおよそ言えるようなものではない。
そのうえで終章として、日本の安全保障への影響を論じた。ロシア・ウクライナ戦争がはっきりと示したことは、戦争は始まってしまうと終わらせることが難しいということである。日本を取り巻く安全保障環境の厳しさを考えると、戦争を起こさせないこと、すなわち抑止力がこれまで以上に重要になってきたということを、この戦争は教えてくれている。せめて自分たちの周りでは戦争を起こさせないこと、それを重要な政策目標としていく必要があろう。
なお2022年2月24日に始まったロシアとウクライナの間の戦争については、「ロシアのウクライナ侵攻」「ウクライナ戦争」など、いくつかの呼び方がある。筆者は、交戦国を明記すべきと考え、基本的には「ロシア・ウクライナ戦争」と呼んでおり、本文中はこれで統一している。ただし表題だけは、長さも考え、「ウクライナ戦争」と表記することとした。
本書は、筆者だけでなく、福田潤一氏、福島康仁氏、大澤淳氏によるもので、もともとは笹川平和財団で行っていた「新領域における抑止の在り方」事業での研究成果を出発点にしている。ここでいう新領域とは宇宙空間とサイバー空間を指す。同事業自体は2021年度から進めていたものだが、2022年2月にロシア・ウクライナ戦争が始まってすぐに、ケーススタディとして、この戦争における新領域のかかわりや抑止の問題について議論を行った。本書はその議論の成果をベースにした上で、「次の戦争」になる可能性がないとは言い切れない台湾海峡有事との関連で読みとれることを論じたものである。主催事業の成果についての出版に同意していただいた笹川平和財団には深く感謝したい。また、筆者が持ち込んだ企画を出版する決断をしていただいた文藝春秋と、時には厳しく工程を管理してくださった編集担当の鳥嶋七実氏にも、この場を借りて感謝申し上げたい。
なお、本書に記された見解はすべて執筆者個人のものであり、それぞれが所属する組織を代表するものではない。
<まえがき より>
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