うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
一
この街は、あの震災から十二年目の年を迎える。
春が来る。
靖国神社に、千鳥ヶ淵に、英国大使館前に、桜の花が満開だった。
わたしは、小学校一年生になる。
お祝いつづきの春だった。
桜の花が咲いて散る。
バラ模様のレースショールと揃いのパラソルに絹の手袋。淡いコバルトにクリーム色を重ねた春の野の裾まわしの着物。
この街は、春の装いに身を包んで浮足立つ人たちで賑わっていた。
ウェーブをつけた髪にダイヤがちりばめられた鼈甲の櫛飾り。磨き上げられた牛革の靴とカフスのサファイアがまばゆいばかりに輝いている。
三月十日。
わたしは、靖国神社の境内から打ち上げられる花火を見たかもしれない。
その日は、わたしたちの陸軍記念日。日露戦争三十周年のお祝いだったから。
わたしたちの陸軍軍楽隊が行進曲を演奏しながら銀座の街をパレードしていた。それは数寄屋橋のお堀端を、震災十周年の記念像──銅兜をかぶった半裸の男が松明を掲げる像──のそばを、通り過ぎてゆく。
わたしは、わたしたちの満州国皇帝の男がこの街へやってくるのを見たかもしれない。
わたしたちが、わたしたちの満州国を建国して三周年。
この街に、杉の葉の匂いが漂った。
わたしたちの天皇陛下があらせられる皇居、宮城、そこからまっすぐ伸びる行幸通りには歓迎のための巨大な緑門が建てられ、杉の葉が飾られたから。
門の正面に聳える東京駅は、壮麗なドームと両翼を備える赤レンガ造り。その東京駅のホームでは、金糸と勲章に飾られた軍服に赤白の羽つき帽姿のわたしたちの天皇陛下がそれを出迎えた。
宮城前広場へつづく沿道には、白いエプロンや割烹着に〝大日本国防婦人会〟と書かれた白い襷を掛けた女たち、小学生の子どもたちがずらりと並び、黄色の地色に紅、藍、白、黒を左角に配した五色旗、わたしたちの満州国国旗を振っていた。
この街を、わたしたちの天皇家の紋章である菊の御紋がついた儀装馬車が、わたしたちの天皇陛下と、わたしたちの満州国皇帝を乗せ、駆け抜けてゆく。
かつて瓦礫が、死体が、積み上げられた地面の上には、いま、真新しい道路が、真新しいビルが建てられていた。
花が咲き誇り、お祝いのパレードが繰り返される、晴れやかな春。
わたしたちは、かつてそこにあったものたちのことを、もう滅多に思い出したりしない。
空を見上げると鳩が飛び交っている。
その背や脚には黒くて細い筒がくくりつけられている。最新のニュース写真や記事を運ぶ、伝書鳩たちだ。
赤煉瓦のアーチと鉄骨でできた高架橋の上で列車がゆっくり停車する。
階段を降りて、人が流れるようにこの街へあふれだしてくる。
バーバリーチェックの裏地つきのコートを着た男が時計を確かめている。
クローシュ帽をかぶった女が手を振っている。
小さな子どもが赤い鼻緒の下駄で駆けている。それから、子どもは抱きあげられる。
わたしたちは、この街の地面の上を歩く。
+
まさに花盛りであった。
有楽町の駅を出ると、正面に聳えるのは真新しい日本劇場。
アールデコ調の曲線を描く巨大な白にところどころ金がちりばめられたタイル壁。東洋一を謳う〝陸の龍宮〟。一昨年のクリスマスに盛大にオープンした劇場だ。
日比谷公園の方へ向かって高架の線路をくぐれば、去年できたばかりの劇場が三つもある。
三信ビルの脇を折れた左手にあるのは、日比谷映画劇場。
落ち着いた茶色のレンガ造りの円形劇場で、入り口の上には薄茶の円柱タワー。
その奥には有楽座。蔵を思わせる黒と白の斜め格子模様のなまこ壁に真赤な看板。
そしてその向かいにあるのが、東京宝塚劇場だ。
ビルディングの頂きには黄金色に輝く「東京寳塚劇場」の文字。最上部には宝塚音楽歌劇学校校歌の五線譜を象ったネオンサインが掲げられ、まばゆく点滅している。
この劇場の杮落とし公演は去年の一月一日、元旦のことだった。
あの日、わたしは四歳、あるいは、五歳。
劇場の正面玄関を入ると、真赤な絨毯が敷かれたロビーが広がる。ホワイエの天井はアーチ型。赤いタイル張りの柱。
地上五階、地下一階建て。客席は三層構造で、収容人数は約二五〇〇人。
地下には大きな食堂、東宝グリル。エレベーターで、あるいは階段で上がると、二階のうなぎ、三階の寿司と汁粉の売り場に行列ができている。
あたりは熱気と暖房で暑すぎるくらいだ。
男たちが天鵞絨のスーツや着物姿で挨拶を交わしている。
それにしても去年の春の東北の地震と大津波は酷かった。
いやはやしかしあっぱれだったのは、啖呵をきって国連を脱退してやったこと。
オーケストラピットから調弦の音が聞こえる。
バイオリン、ビオラ、チェロ。トロンボーンやサックスもチューニングをやっている。
劇場では、いままさにお披露目招待公演がはじまろうとしていた。
杮落としの目玉となるのはレヴュウ「花詩集」。
観客たちが真赤な布張りの椅子を埋め尽くす。
わたしたちは、幕があがるのを、はじまりを、待っていた。
真新しい劇場の匂いがした。
前奏曲が終わる。
しかしそのはじまりは、すぐにはやってこない。
機械の不備で、幕がうまくもちあがらない。
「花詩集」の楽曲だけが延々演奏される。
あまりにも長過ぎる前奏だった。
わたしたちは、客席でまんじりともせず、ただ開かない幕が開くのを見つめていた。
わたしたちは、席を立つこともできたかもしれない。けれど、おおかたはそうはしなかった。
沈黙したまま、何を為すでもなく、ただそのはじまりがやってくるのを、待ち続けた。
五十分が過ぎたところで、ようやく緞帳がのろのろともちあがる。
安堵の溜息。大きな拍手。
舞台の上には、少女たちが立っていた。
少女たちに光があたる。
わたしの家は本郷、湯島天神のそばにある。わたしの家は駒場、前田侯爵邸のそばにある。わたしの家は四ツ谷、旧旗本高力家の高力松のそばにある。あるいは、もっと別の場所にある。
わたしの家の門には立派な門松が、わたしの家の玄関にはしめ縄の正月飾りが飾られている。
ベルベットのソファが置かれた居間には鉢植えの西洋ランのデンドロビウム。
床の間には器に活けられた水仙。
黒いアメリカ製のミシンには金で花模様が描かれている。
家全体を温水暖房に工事したから、電気のストーブを使っているから、もう煤を払わなくていいうえに暖かい。あるいは、陶製の立派な火鉢で木炭を燃やしている。
新年は母もお手伝いの子たちものんびりしている。あるいは、座る間もないくらい忙しい。
お手伝いの子はひとり。お手伝いの子は二人。あるいは、もっといる。
祖父が、祖母が、一緒に、あるいは、近くに、遠くに、住んでいる。
台所からは醤油と砂糖の甘い匂いと真白な湯気があふれている。
漆塗りの、あるいは、螺鈿を施した七段重。
栗きんとん、紅白かまぼこ、数の子、田作り、錦卵、柿なます、桜形に型抜きした人参入りの煮しめ。ぎっしりとご馳走が詰め込まれている。
父の部下が燕尾服に風呂敷包みを抱えて、父の後輩が軍礼服姿で、父の弟子が祝酒を手に、家へ挨拶にやってくる。
屠蘇がつぎつぎ朱塗りの盃に注がれる。
客間は来客たちの葉巻やパイプの煙で霞む。
キャビネット型の電気蓄音機の上ではレコードが回転している。
丸眼鏡をかけた和装の男、軍服姿の男、洋行帰りの燕尾服を着た男。
男たちは兄を弟を見て声をあげる。
なんとすっかり大きくなって。きっと将来はどんな夢も叶えられるだろう。
それから男たちは、姉を妹を、わたしを見遣る。
なんとすっかり美人になって。きっと将来はいいお嫁さんになれるだろう。
父はソファに腰掛けたまま笑って頷く、あるいは、畳に座ったまま謙遜してみせる。
いやいや出来が悪いやつでして。
気が強くってお転婆ばっかり。
わがままばかりで困りものですよ。
父は軍人の子は泣くもんじゃないと、わたしに言う。
父はおまえがきっと幸せになれる相手を必ず見つけてやるから心配ないと、わたしに言う。
父はいまどきは女も教養や学問がないと良い妻や母になれないと、わたしに言う。
母はクレープ地のドレス姿で男たちに酒を注いでまわり続ける。
母は紅白の帯締め姿で料理を運び続ける。
母は大きな腹を抱えていてもうすぐ子どもが産まれそう。
次こそはきっと男の子が生まれるように、脂物を食べずに日光浴ばかりをやっている。
妹が生まれて母はひとりで泣いていた。
母は父のことが好きだと思う。あるいは、母は本当は父のことが好きではないと思う。
わたしは、男だったらよかった。あるいは、わたしは、そんなことは考えない。
男たちはひたすら酒を呑み、正月料理を食べながら話に興じている。
わたしは、柚子の砂糖煮をこっそりつまみ食いする。
わたしは、年賀状に描かれた犬を一匹ずつ指で撫でる。
わたしは、着物の裾をまくりあげ、お手伝いの子たちと羽つきをして、ムクロジの実が跳ねるたびに笑い転げる。
雑煮用の餅が焼けて膨らんで弾けてしぼむ。
わたしは、初詣へでかけたときの車の中で、あるいは、三越へ初売りへでかけて乗ったエレベーターの中で、お喋りを聞いたかもしれない。
宝塚少女歌劇ってやつが人気だそうだね。
その劇場が、この街にもできて、随分立派らしいじゃないか。
なんでも若い女ばかりが集まって、歌や踊りをやるやつだろう。
歌舞伎のむこうをはって、女が男の役までやるなんて。
ほら、だれだったかのお嬢さんが、熱をあげていた。
わたしは、ボウつきのブロードクロスのドレスを着ている。
わたしは、美光縮緬の着物を着ている。
わたしは、長い髪を真ん中分けにして後ろに束ねて大きなリボンをつけている。
わたしは、短い髪の前髪と耳元にアイロンをあててカールをつけている。
わたしは、瞬きをする。
+
「東京宝塚劇場を知っていたかって?
そんなこと憶えてない。」₁
+
その少女歌劇は、新しく拓かれたばかりの温泉地で生まれた。
あたりには幾つもの古墳といい伝えがあった。
古墳──古人の墓──には、後世の人に宝をもたらす宝の塚〝宝塚〟がある。
そのいい伝えと縁起にあやかり、新しい温泉地には宝塚の名が冠された。
兵庫県武庫川畔。大阪梅田から開通した箕面有馬電気軌道の電車で約三十分の終着駅。
新しい温泉地開発はそこに客を呼びこむための事業であった。立役者は箕面有馬電気軌道創始者で実業家の男。
宝塚温泉は、その名のご利益か、たちまち家族連れに人気の地になった。
大理石づくりの大浴場。それからゴシック風のパラダイスプール。
とはいえ、せっかくのプールは不人気だった。プールの水は冷たすぎたし、おおかたの人たちは、わざわざ水着なぞ着たりせず、温かな大浴場で勝手に泳ぎまわっていたから。
結局、パラダイスプールは閉鎖になり、劇場につくりかえられることになる。
その名も、「パラダイス劇場」。観客収容数は約五〇〇人。
脱衣所が舞台に、羽目板を敷いたプールの上が客席になった。
そこで客寄せのための劇を披露する、という企画がもちあがる。
少年だけの人気合唱団、三越少年音楽隊の向こうを張って、少女だけの合唱団をつくるというのはどうだろう。
少女だけの歌と劇の上演をすればいい。
少女たち一六人が集められた。その後、さらに四人の少女たちがくわわった。
第一回の公演は一九一四年、春。
舞台に立つ少女たちは十二歳から十六歳。
宝塚少女歌劇の誕生である。
世にも稀なる、未婚の女、少女たちだけの歌劇団。
創始者の男が掲げたモットーは〝清く、正しく、美しく〟。
少女たちのはじめての公演の演目は、「ドンブラコ」「浮れ達磨」それからダンス「胡蝶」。
公演は成功し、劇場がふたたびプールに戻されることはない。
それどころか、やがてそこには少女たちの、宝塚少女歌劇のための、巨大な劇場、宝塚大劇場が建てられることになる。
まわりには遊園地、動物園、植物園、映画館もつくられた。
少女たちの数は増え宝塚音楽歌劇学校もできることになる。
新しい演目も次々と誕生する。
日本ではじめてのレヴュウ「モン・パリ」。
ダチョウの羽根の扇や、タップダンス、ラインダンスを取り入れた舞台「パリゼット」。
いまや、少女たちは、宝塚少女歌劇は、たいへんな人気であった。
小さな湯の町宝塚に 生まれたその昔は 知る人もなき少女歌劇
それが今では 青い袴とともに 誰でもみんな知ってる
おおタカラヅカ T-A-K-A-R-A-Z-U-K-A
おおタカラヅカ 我が憧れの美の郷
幼き日のあわき夢の国 歌の想い出も懐かしき
おおタカラヅカ T-A-K-A-R-A-Z-U-K-A
おおタカラヅカ わが憧れの美の郷₂
少女たちだけが立つ舞台。
少女たちは、舞台の上で、どんな時代へも、海の向こうの外国へも、どこへでも行けた。
少女たちは、舞台の上で、何者にもなれた。
男になって、思う存分恋をすることも、悪者と闘い冒険することも、科学者や王様になることもできた。
お転婆を叱られることも、本を取り上げられることも、おかずの数を減らされることもない。
結婚させられることを、いきおくれることを、心配する必要もない。
少女たちは、舞台の上でだけは、自由だった。
長いつけ睫毛をつけ、瞬きをする。
その少女歌劇の評判は、いつしかこの街、帝都東京へまでもとどろいた。
そうして何度かの東京公演成功の後、かの有楽町の街に、東京宝塚劇場ができることになったのだった。
1935 昭和10年
入学
わたしは、真新しいランドセルを、あるいは肩掛け鞄を、買ってもらう。ランドセルはまだ革の匂いがする。
わたしは、真新しい制服を、あるいは真新しく縫ってもらった洋服を、着物を着る。
制服は糊がききすぎている。あるいは、洋服は大きすぎてだぼついている。
わたしは、小学校に入学する。
はやく一年生になりたかった。あるいは、本当はまだ一年生になんてなりたくない。
わたしは、ドキドキする。わたしは、わくわくする。わたしは、そのどちらでもない。
新しい学校。新しい友だち。新しい先生。
真新しい国語の教科書を、手渡される。
わたしは、桜の花がちりばめられた表紙を撫でる。
中を開くとそこにもピンク色の満開の桜の花の絵があった。
サイタ
サイタ
サクラ
ガ
サイタ
+
わたしは、雙葉小学校に入学する。
入学式に集まった親たちの中には、軍礼服姿の男たち、胸にメダルを幾つもつけたわたしたちの陸海軍将校の男、賞勲局総裁の男や有名な時代劇俳優の男、その顔を新聞や映画で見かけたことのある男たちの姿もあった。
わたしは、紺色のセーラー襟の上着に紺色のプリーツスカートを着る。
錨のマークが、ワンピースの左腕の部分に、上着の胸元に、刺繍されている。
左胸に校章をつける。
銀地の七宝に、白いマーガレット、十字架と盾と綬、それから聖書とロザリオと糸巻きがあしらわれている。ローマ字で〈FUTABA〉、漢字で〈徳〉と〈義務〉の文字もある。
〝徳においては純真に 義務においては堅実に〟。フランス語では“SIMPLE DANS MA VERTU FORTE DANS MON DEVOIR”。この学校の校訓だ。
フエルトの帽子を被る。
わたしは、髪を三編みに編んでいる。
わたしは、髪留めで留めた束髪。
髪は肩についたら結ぶこと。
場所は、東京府麹町区下六番町四十五、四十六番地。下六番町の屋敷町に続く、中央東線四ツ谷駅すぐそばだ。
お堀の土手には、青々とした松の並木が広がっている。
市谷台の方には、わたしたちの陸軍士官学校があるから、大通りを凜々しい軍馬に跨り、茶褐色の軍服に金や銀のボタンを輝かせたわたしたちの将校が颯爽と横切ってゆく。
あたりは赤色の煉瓦塀にぐるりと囲まれ、そこには鉄製の飾りがついている。その敷地は約三千坪。
わたしは、胸を躍らせながら、あるいは、緊張しながら、校門をくぐる。
校舎はルネッサンス様式の二階建て。玄関の前には棕櫚の植え込み、職員室の前には月桂樹の木立。わたしたちの大正天皇崩御の際に植えたというスズカケの木が白い斑の幹に立派な枝を伸ばしている。
わたしは、淡い黄緑色の葉が揺れる合間から光が溢れるのを見る。
敷地には寄宿舎、幼稚園、高等女学校の校舎にくわえて、修道院もある。
聖堂の塔の上には十字架が掲げられている。窓はきれいな色のステンドグラスに彩られている。
校長様の名前はメール・セン・クリスチン。
フランスのキリスト教修道会、サンモール修道会からいらしたマダムだ。
(続きは、「文學界」2023年7月号でお楽しみください)
註
1 雙葉高等女学校卒業生 著者による聞き取り
2 「おお宝塚」作詞:白井鐵造
プロフィール
小林エリカ(こばやし・えりか)
作家・マンガ家。小説『最後の挨拶 -His Last Bow』(講談社)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)、マンガ『光の子ども1-3』(リトルモア)他。現代美術のインスタレーションも手掛け『話しているのは誰 -現代美術に潜む文学-』展(国立新美術館)他。
「文學界」2023年7月号 目次
【創作】小林エリカ「風船爆弾フォリーズ」(短期集中連載)
東京に宝塚劇場ができた年、私たちは小学一年生になった。聞こえるのは少女たちの歌声と、戦争の足音――(*本稿)
長嶋有「運ばれる思惟」
絲山秋子「神と提灯行列」
水原涼「誤字のない手紙」
【鼎談】朝吹真理子×犬山紙子×村田沙耶香「童話発、BL経由、文学行き」
毎日LINEでやり取りをする三人が語り合う、思い出の中の本たち
【対談】ノリス・ウォン(映画監督。『私のプリンス・エドワード』)×西森路代「女性の選択を描くこと」
【スピーチ】柄谷行人「バーグルエン賞授賞式での挨拶」
【特集】甦る福田恆存
「私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である」今なお新しいその言葉を読む
〈対談〉中島岳志×浜崎洋介「神なき世界をどう生きるか」
〈読書案内〉中島岳志「文学の使命」/浜崎洋介「信ずるという美徳」
〈批評〉下西風澄「演技する精神へ――個・ネット・場」/片山杜秀「福田恆存・この黙示録的なるもの」/平山周吉「昭和五十四年の福田恆存と、一九七九年の坪内祐三青年」
〈初公開書簡〉福田逸「昭和三十年、ドナルド・キーンとの往復書簡」
【巻頭表現】殿塚友美「あとかた」
【エセー】岡田彩夢「アイドルから、谷崎潤一郎へ。」
【強力連載陣】砂川文次/金原ひとみ/綿矢りさ/宮本輝/奈倉有里/辻田真佐憲/藤原麻里菜/成田悠輔/平民金子/津村記久子/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/河野真太郎/住本麻子
【文學界図書室】町田康『口訳 古事記』(阿部公彦)/平野啓一郎『三島由紀夫論』(中条省平)
表紙画=柳智之「福田恆存」