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【エセー】SPとNMS

【エセー】SPとNMS

山﨑 修平

文學界5月号

出典 : #文學界
ジャンル : #小説 ,#随筆・エッセイ

「文學界 5月号」(文藝春秋 編)

 下り坂を降りながら、これはかなりSPを使ったなと思う。

 SPというのは、レコードのほうではなく、私を中心とした数名の秘密結社「散歩をする会」の造語であり、坂パワーSPを意味する。SPは上り坂によって蓄積され、下り坂によって消費する。我々秘密結社は、「いやあ、この坂は、かなりSP溜まってるんじゃないですか」「いいですね、ああ、ここから下りか」「せっかく溜まったSPが!」と声を掛け合う。アホである。SP使いのプロ、、は、出来る限り起伏のない尾根にあたる道を歩くことで、SPを温存することが美しいとされる。であるから、尾根と尾根とを結ぶ陸橋などを見つけもしたら大手柄であり、「いやあ、○○さんの選ばれた道、SPをほとんど使いませんでしたなあ、素晴らしい」「これは恐らく切り通しの道を蓋するように橋が架かっているんですね」「なるほど、なるほど」「ほんとに、ほんとに、今孔明ですな」と褒め合う。アホである。

 このような厳然たる評価基準を有する秘密結社であるが、ここぞというときにSPを大胆に使うのもプロ、、として尊敬の対象になる。例えば、目黒の十七が坂という急坂を、敢えてSPを大量に消費して降りる。何しろ幾つかある名前の由来のなかに、坂道の途中で転ぶと十七歳になったら不幸が訪れる、というものがあるくらいであるから、秘密結社を標榜している以上は行かねばなるまい。もとより誰も転びたくはないし、我々は皆十七歳をとうに越えているのであるけれど。十七が坂を堪能した我々は、山手通りを横断し、目黒川沿いを中目黒まで歩く。山手通りと直角に交わり、目黒川を蓋するような中目黒駅が見えてきた。目黒川に限らず、川というものの多くは坂とセットである。有名な目黒の権之助坂は、旧来の行人坂が急坂ゆえに荷馬の行き来が困難であるため、菅沼権之助というこの辺りの名主が、新坂として切り拓いたという説があるとのこと。さらには幕府に許可なく新坂を切り拓いたことを問われ、菅沼権之助は罪に処されたという話もある。自動車のない時代、限られた交通手段において物理的に移動が困難である場所、つまり山道や、急坂、あるいは川を、幕府が防衛上等の理由で重視するのも頷ける。一人一台スマートフォンを持ち歩き、自分が今どこにいるのか迷わないようにマップ上で示され、自由な往来が許される時代に生きていることを喜びながらも、効率的に最短・最速で目的に到達することを迫られているような息苦しさをときに感じ、反抗を企てる心持ちがある。点から点に移動し、平面的に都市を捉えるのではなく、起伏を有した立体として線で繋ぐように捉え直すことが今こそ必要であると思う。

 さて、中目黒から恵比寿に至るには、駒沢通りを歩き、鎗ヶ崎の交差点を目指すのが分かりやすい。鎗ヶ崎の交差点を左に曲がれば、旧山手通りであり、代官山蔦屋書店へ行くのも愉しい。けれども、ここは敢えて別所坂を登り恵比寿を目指すのである。

 別所坂。これはとんでもない坂である。いく筋ものつづら折りとなった道を越えてゆく。ここで車を運転することは避けたいと誰しも感じると思う。頂上には案内板があり、昔はここからの富士の眺めが良かったという。確かに頂上からの眺めは南西、或いは西南西であり、富士山の方角と一致する。息を切らし別所坂を登りきった我々は口々に、「いやあ、この坂はいいですな、すごいがすごいですなあ」、「坂はいいですねやっぱりいいですね」等と云う。興奮につぐ興奮は、人より自身の感情を表す語彙を消失させるらしい。しまいには「坂道は、まるで人生ですね」と、感極まる者まで現れ、そこ此処にやおら頷いている。アホである。

 このような秘密結社「散歩をする会」の活動は通例平和裡に催されているのだが、ときおり非合理的なことを愉しむ会をする。
 ノーマップ散歩NMSである。散歩中、スマートフォンは利用しない、ゆえにもちろんアプリケーションのマップは観られない。人に道を尋ねない。片側二車線以上の車道の横断は可、だが通行は出来る限り控える。
 早朝、集合場所に着くと、各々浮かない顔をしている。何しろ主宰者である私が「今日は道に迷います、迷うことを愉しむのです」と、かねて伝えているわけであるから。参加者は、迷うことを是としてそれでも来ているのである。アホである。

 我々は、道中の道祖神に手を合わせ、旧跡の碑を検めて土地の謂れを識り、新道と交差する旧道を探し当て、旧道に面した旧家の建築様式から、およその年代まで考察する。参加者のなかには、分度器の親玉のようなものと、双眼鏡を用いて、遠くの東京タワーを観て、「東京タワーの高さは三百三十三メートル。この角度でてっぺんが見えるなら、……、タワーまでの距離は、およそ三千五百メートルですね」と云う者、「今の時間は何時、それで、この角度に太陽が出ている、ということはこの方向に進めば良いですね」と云う者など、各々迷いたくない……、もとい専門知識を披瀝して、ひたすらに目的地を目指すのである。なかなかどうして、少し利口かもしれない。
 目的地に達した我々は、とんかつ屋に繰り出し、今日の反省会をし、宴もたけなわに「まるで人生ですね」と訥々と語り出す。
 いや、やっぱりアホである。

(初出「文學界」2023年5月号)


プロフィール

山﨑修平(やまざき・しゅうへい)
詩人・文芸評論家。84年生まれ。『テーゲベックのきれいな香り』(河出書房新社)。


「文學界」2023年5月号 目次

第128回 文學界新人賞決定発表 受賞作全文掲載
市川沙央(いちかわ・さおう)「ハンチバック」
私の身体は生きるために壊れてきた――強烈な生命力とユーモアが選考会に衝撃を与えた、ある女性の闘いの記録!

【選評】阿部和重・金原ひとみ・青山七恵・中村文則・村田沙耶香

【創作】山田詠美「肌馬の系譜」

【特集】12人の“幻想”短篇競作
山尾悠子「メランコリア」
諏訪哲史「昏色(くれいろ)の都」
沼田真佑「茶会」
石沢麻依「マルギット・Kの鏡像」
谷崎由依「天の岩戸ごっこ」
高原英理「ラサンドーハ手稿」
川野芽生「奇病庭園(抄)」
マーサ・ナカムラ「串」
坂崎かおる「母の散歩」
大木芙沙子「うなぎ」
大濱普美子「開花」
吉村萬壱「ニトロシンドローム」

【鼎談】
いとうせいこう×奥泉光×渡邊英理「「(再)開発文学」としての中上健次」
ダルンデンヌ兄弟×小野正嗣「現代の奴隷制を告発する」

【対談】王谷晶×西森路代「新しいセクシーさをめぐって」
【エッセイ】吉川一義「プルースト没後百年のパリ」

【追悼 大江健三郎】
蓮實重彦「ある寒い季節に、あなたは戸外で遥か遠くの何かをじっと見すえておられた」
多和田葉子「個人的な思い出」
町田康「狂熱と鬱屈」
中村文則「再読する(リリード)、ということ」
〈対談〉島田雅彦×朝吹真理子「理性と凶暴さと」
松浦寿輝「誠実と猛烈」
安藤礼二「大江さんからの最後の手紙」
阿部和重「Across The Universe――大江健三郎追悼」
長嶋有「もう、大江さん!」
星野智幸「「大江健三郎という権威」を批判する大江さん」
横尾忠則「散歩中の会話」

【巻頭表現】大塚凱「裸眼」
【エセー】山﨑修平「SPとNMS」(*本稿)/鴻池留衣「シン・仮面ライダーのエロさ」

【強力連載陣】砂川文次/金原ひとみ/綿矢りさ/宮本輝/奈倉有里/王谷晶/辻田真佐憲/藤原麻里菜/成田悠輔/平民金子/津村記久子/高橋弘希/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/河野真太郎/住本麻子

【文學界図書室】遠野遥『浮遊』(渡辺祐真)/中森明夫『TRY48』(宮崎智之)/千葉一幹『失格でもいいじゃないの――太宰治の罪と愛』(青木耕平)/木村衣有子『BOOKSのんべえ』(花田菜々子)

表紙画=柳智之「河野多惠子」

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