- 2023.09.12
- 書評
マコトが問いかける。何も解決していないのに、都合よく忘れていないか? と。
文:額賀 澪 (作家)
『炎上フェニックス 池袋ウエストゲートパークXVII』(石田 衣良)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
この原稿を書いているのは、二〇二三年の六月一日である。
およそ一ヶ月前、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言の終了を発表した。日本でも、新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが、季節性インフルエンザと同じ5類に移行。外出自粛もなくなり、マスクの着用も個人の判断に任せられるようになった。三年以上に及んだ新型コロナと人類の戦いは、パンデミック終息に向けて大きな一歩を踏み出したのだ。
しかし、人間がいくら宣言をしたところで、ウイルスが存在していることには変わりない。「マスクを外していい」と言われたものの、街に繰り出せば多くの人がマスク姿で行き交っている。感染対策の緩和によって、あちこちで「コロナにかかっちゃった」「コロナかと思ったらインフルエンザだった」という声が今日も聞こえる。
それでもきっと、私達は緩やかにウイルスとの戦いを過去のものにしていくのだろう。数年後には、「コロナ? ああ、懐かしいね~。あの頃は大変だったよね、飲み会も旅行もできなくて」と笑い合っている可能性が高い。
そんなタイミングで、『炎上フェニックス 池袋ウエストゲートパークXVII』は文庫化された。
*
第一話「P活地獄篇」が最初に「オール讀物」に掲載されたのは、二〇二〇年七月のことだ。東京オリンピック・パラリンピックの延期、マスクやトイレットペーパーの品薄、初めての緊急事態宣言を乗り越えた街は、密閉・密集・密接の3密を避ける新しい生活様式を必死に受け入れながら夏を迎えた。
私達と同じように、池袋のトラブルシューター・マコトもそんな夏を過ごしていた。彼が住む池袋の街も、新型コロナウイルスの魔の手からは逃れられなかったのだ。
池袋西一番街で、マコトは相も変わらず家業の果物屋を手伝っている。彼の〈変わらなさ〉に安堵まで覚えてしまう。しかし街は閑散とし、池袋のホストクラブではクラスターも発生していた。「うちの果物屋の売上は、いつもの夏の四割くらい」とマコト自身もぼやいている。
そんな中、第一話「P活地獄篇」は幕を開ける。マコトに依頼を持ち込んだのは、高校の先輩であるトウヤ。マッチング・サイトで出会った女性・ハルカと結婚を考えているという彼だったが、相手の女性がマッチング・サイトの運営会社とトラブルになっているという。
実はこのマッチング・サイトは、いわゆるパパ活サイトだった。金を払って女と会いたい男達と、男と会って金をもらいたい女達の集まる場所だ。
しかも、この運営会社は半グレ集団だった。登録している女性達を容姿と年齢で選抜し、一軍としてVIP客の相手をさせている。トウヤの恋人であるハルカは、一軍への誘いを断ったことで運営会社から脅されて困っているというわけだ。
しっかりマスクをして、ソーシャルディスタンスを守りながら、マコトは依頼人のために動き出す。彼が協力を持ちかけたのは、もちろん、Gボーイズのキング・タカシだ。
物語の世界にも無情に襲いかかった新型コロナウイルスだが、変わることなく池袋の街を闊歩しているGボーイズの姿に、コロナ自粛で変わり果てた街を見ていた読者達は、きっと安堵するに違いない。
第二話「グローバルリングのぶつかり男」では、季節は秋に。池袋の街は「ぶつかり男」の話題で持ちきりだった。黒ずくめの服装の男が、女性や子供ばかりを狙って体当たりをかまして立ち去っていく。自分より明らかに弱そうな人を狙った、悪質な犯行だった。
一体彼は何が目的でそんなことをするのか? 何が彼を「自分より弱い人間に体当たりするぶつかり男」にしたのか?
捕まるどころか模倣犯まで出始めたぶつかり男だが、近所にある焼肉屋の晴美バアが彼に怪我をさせられたことで、マコトとキングは動き出す。
第三話「巣鴨トリプルワーカー」は、コロナ禍によってすっかりお馴染みとなったフードデリバリーの配達員が依頼人となる。東京の新型コロナ新規感染者数が二千五百人近くになり、二度目の緊急事態宣言が発出された頃だ。
依頼人のゴロウ曰く、自分の自転車ばかりを狙って嫌がらせをされ、ついには家族の身を脅かすような脅迫状まで届いたという。
配達員の多くは、コロナ禍で職を失った人々だった。若者もいれば中年もいる。外国人もいる。エッセンシャルワーカーとして働きながらも、コロナ不況によって真っ先に首を切られてしまった立場の弱い人々ばかりだ。
コロナ禍によって生まれた――いや、より鮮明になった格差社会のど真ん中でひずみが生まれ、罪を生んでしまう瞬間をマコトは目撃する。
第四話「炎上フェニックス」では、タイトルの通りインターネット上での〈炎上〉が描かれる。花見も宴会もできない静かな春の東京は、燃え上がっていたのだ。
キングがマコトに引き合わせた依頼人は、休職中の女子アナ・ホノカ。彼女は炎上の最中にいた。一方的に好意を寄せてきた番組ADによってストーカー被害に遭い、挙げ句の果てにADは自殺してしまったのだ。被害者のはずのホノカは、ネット上で「悪女」「尻軽」と叩かれ、毎日数千、数万という悪意に晒されて休職することになった。マコトへの依頼は、特に悪質な書き込みをした人間に最後通告をしに行くから、それに立ち会ってほしいというものだった。
ホノカに対して強烈な悪意を向けた〈放火魔〉達は、実際に会ってみると不思議なほどに普通の人々だった。保身のために平謝りする者、涙を流す者、弁護士を立てて頑なに顔を合わせようとしない者、ヤケになる者。普通の人間が、正義に酔いしれて安全な場所から誰かに呪いの言葉を投げつける。異常な人間も、モンスターも存在しない。
普通の人間が、同じ人間を死ぬほどに追い詰める。
しかし、そんな普通の人々の中に、本物のモンスターは確かに存在したのだ。
*
現実世界で起こった出来事を小説に落とし込むには勇気がいる。コロナ禍、3密、ソーシャルディスタンスという言葉がすっかり生活に馴染んでしまった頃、一介の物書きとして私はつくづくそう思った。
激変したこの生活を小説に書いていいものか……多くの作家が悩んだはずである。マスク生活、外出すれば頻繁に手をアルコール消毒し、飲食店のテーブルには何枚ものアクリル板。人が大勢集まるイベントは自粛。学校の授業はオンライン。コロナ禍の当たり前を小説で描いたら、いつかそれが過去のものになったとき、途端に〈古い物語〉になってしまうのではないか。
そんな戸惑いの真ん中を、今作のマコトやキングは突っ切っていった。古い・新しいではなく、コロナ禍の日々を生々しく物語の中に残しておくことが、数年後、数十年後に必ず意味を持つと示すような力強い足取りに、私は夢中で本のページをめくっていた。
IWGPシリーズは、常に現実社会を描き続けてきた。闇サイト、引きこもりビジネス、ブラック企業、脱法ドラッグ、ヘイトスピーチ……物語のキーワードを挙げれば、誰もが「ああ、そんなこともあったね」と思うものばかりだ。現実の半歩後ろを歩くように、物語は私達を追いかけながら展開していく。
しかし、マコト達が半歩後ろを歩いているからこそ、少し先を生きる私達は彼らからの問いかけを聞くのだ。
この物語の中で描かれている彼や彼女の姿を、出来事を、あなた達は都合よく忘れていないか?
喉元過ぎればなんとやらで、直視すべき問題から目を背けていないか?
『炎上フェニックス』の中で描かれる人々の生活は、二〇二三年を生きる私達にとっては〈少し懐かしいもの〉になった。〈ちょっと古いもの〉になった。しかし、物語の中で描かれた社会問題のアレもコレも、何一つ解決されていない。
「やっとコロナが明けたね」と浮かれて、思考を停止するな。何も解決していないのに、勝手に終わったものにするな。このタイミングで『炎上フェニックス』が文庫化されることは、IWGPというシリーズそのものが発する、私達へのメッセージであり、警告なのかもしれない。
アフター・コロナへ向けて歩み出した私達は、今こそコロナ禍の真っ直中を生きるマコト達に会いにいくべきなのだ。
その上で、私達の半歩後ろを歩く彼らの日常からもコロナが去り、マコトの家の果物屋の売上が回復することを願いたい。
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