- 2022.09.09
- 書評
だからマコトは、年を取らない方がいい
文:天祢 涼 (ミステリー作家)
『獣たちのコロシアム 池袋ウエストゲートパークXVI』(石田 衣良)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
真島誠、通称マコト。表向きは果物屋の息子だが、数々の事件を仲裁・解決してきた「池袋のトラブルシューター」として、裏社会では名の知られた存在である。
文句なくかっこいい男だが、個人的には「ずるい」とも思う。
池袋の裏社会を統べる「キング」ことタカシの信頼が厚く、警察にも暴力団にも顔がきく。なかなか恋愛関係にまで発展しないものの女性が次々に寄ってきて、戸籍上の妹(美人)までいる……って、リア充すぎないか?
もちろんマコトの功績を考えれば、これくらいは当然である。しかし、最も「ずるい」と思っていること──マコトがいつの間にか年を取らなくなったことのせいで、どうにもやっかんでしまうのだ。
『池袋ウエストゲートパーク』の第一作が刊行されたのは、一九九八年。冒頭でマコトは「去年、池袋の地元の工業高校を卒業した」と述べている。同作に収録された「オアシスの恋人」では、「パワーPCになるまえの最高速のラップトップ」という中古Macを二万五五〇〇円で購入する場面がある。MacにパワーPCというチップが搭載されたのが一九九四年であることと、中古Macの価格から、第一作は一九九〇年代後半の話と思われる。よってマコトが高校を卒業したのは、一九九七年前後だろう。
仮に卒業したのが一九九七年なら生まれは一九七八年か七九年(昭和五三年か五四年)となり、前者の場合、筆者(天祢涼)と同い年である。
ところが二〇一四年刊行の『憎悪のパレード』では、「池袋のマジマ・マコトも、もう二十代後半になった(正確な年は秘密だ)」とある。仮にこの時点で二九歳だとしても、九〇年代後半に高校を卒業することはできない。
劇中では、池袋のチャイナタウン拡大やヘイトスピーチの勃興などその時々の世相を反映したできごとが起こっているので、時間は着実に流れている。また、本書『獣たちのコロシアム』で、マコトは自分のことを「平成生まれ」と明言している。
これらのことから、時間の流れにマコトの年齢が対応していない──即ち、マコトは普通に年を取ることをやめ、二〇代後半をたゆたい続けていると想定される。同世代だと思っていたのに、あちらは二〇代後半のままで、こちらは四〇代に突入してしまったのだ。これを「ずるい」と言わずしてなんと言おう。
長期シリーズにおける登場人物の年齢に触れることが野暮なのは承知している。それでも「ずるい」という気持ちを抑えられないのは、社会に対する個人的な期待と失望が関係している。
九〇年代後半、バブル崩壊の後遺症から抜け出せず、日本の退潮傾向が鮮明になったものの、筆者自身はわくわく感を抱いていた。このころ、インターネットが普及し始めたからだ。
図書館で調べないと手に入らなかった知識がちょっと検索するだけで手に入るし、誰でも情報を発信できるようになったのだ。ほかにも、いままでできなかったことができるようになるだろう。日本はインターネットで元気になるに違いない──無邪気にそう信じていたのに、「失われた一〇年」は二〇年、三〇年と延長していった。この間、格差は拡大。経済的な余裕のなさからか、夢のツールだったインターネットには差別的・攻撃的な言動が横行。こうした現実を目の当たりにして、「どうも日本は、自分が子どものころのように元気になることはなさそうだ」という思いは強くなっていった。
徐々に希望が失われていくような、この感覚……。筆者と同世代の全員が抱いているわけではないだろうが、トラブルシューターとして社会の暗部を嫌というほど見てきたマコトなら共感してくれるはず。そう思っていただけに、年を取らなくなったことが残念なのだ。
平成生まれなら、既に退潮傾向に入った、希望が失われつつある日本しか知らないことになる。その方が幸せだと言うつもりはないが、なんだかマコトが遠くに行ってしまったようだ。一緒に年を重ねてくれていたらよかったのに、と勝手に思っていた──本書を読み終えるまでは。
いまは違う。むしろ、「マコトは年を取らない方がいい」とすら思っている。
※以下、本書の内容に触れています。先入観を持ちたくない人は、先に本編をお読みください。
本書には、これまでのシリーズ作同様、四つの短編が収録されている。
「タピオカミルクティの夢」
ブームに乗ってサルが始めたタピオカミルクティ店が若いイケメンのバイトを募集すると、五〇すぎの冴えないおっさんが応募してきた。まじめに働くおっさんに好感を持つマコトだったが、ライバル店によからぬ動きが……。
「北口ラブホ・バンディッツ」
池袋のラブホテルを襲い、売上を巻き上げる強盗事件が続発。マコトは、中学時代の同級生・ミノリから、実家が経営するラブホテルのガードマンを依頼される。
「バースデイコールの甘い罠」
誕生日を迎えた女性に電話をかけ、言葉巧みに信頼を得て金を奪う「バースデイコール詐欺」。被害者の妹から相談を受けたマコトは、詐欺グループの正体をさぐるべく動く。
この三作はいずれも疾走感や爽快感に充ちている。「北口ラブホ・バンディッツ」に関しては、強盗と対峙するスリルもさることながら、マコトとミノリのやり取りが微笑ましく、恋愛小説としても楽しめる。
しかし表題作にもなっている「獣たちのコロシアム」は、かなり毛色が異なる。
児童虐待マニアたちが、子どもを虐待する動画を「逆隊コロシアム」なるサイトに投稿している。そのことを知ったマコトは、実父から性的虐待を受けていたミズキ、テレビ局のディレクター梅原らとともに、逆隊コロシアムをつぶすべく立ち上がる……というあらすじからもわかるとおり、扱っているテーマがテーマだけに、ほかの三作と較べて陰鬱とした雰囲気が漂う。
筆者は以前、貧困家庭における児童虐待をテーマにした『あの子の殺人計画』(文藝春秋)という小説を上梓した。展開上必要だったが、児童虐待の場面を書くときは辛かった。完成稿は、当初の構想より表現をやわらかくせざるをえなかった。
しかし「獣たちのコロシアム」で描かれる虐待は容赦ない。あまりに生々しい描写に、ページをめくることを躊躇してしまうほどだ。児童虐待は加害者次第でどこまでもエスカレートしていくという現実を、読み手に突きつけるかのようである。
こうした虐待自体は、根深い問題として何年も前から社会に認知されてきた。しかし逆隊コロシアムは、通常ではたどり着けないインターネットのダークウェブ最下層にあるため、より厄介だ。スマホなど、誰でも簡単に動画を撮影・投稿できるガジェットが広まったことが、それに拍車をかける。
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