- 2023.11.20
- 書評
シリコンヴァレー×ゲーム×殺人 先が読めない愉悦を堪能する新シリーズ
文:鈴木 理香 (ゲーム・クリエイター)
『ネヴァー・ゲーム』(ジェフリー・ディーヴァー)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
映画「ボーン・コレクター」(2000年公開)で四肢麻痺となった天才科学捜査官リンカーン・ライムと原作者であるディーヴァーの存在を知った私が、最初に彼の単行本を読んだのはそれから数年後、2007年刊行のライムシリーズ『ウォッチメイカー』でした。
当時の私は、元刑事のセールスマンが主人公で1980年のロサンゼルスを舞台にしたミステリーアドベンチャーゲームの開発中。息抜きに出かけた書店の店頭でふと手に取った一冊がその本でした。そのときは開発が佳境で長い小説を読む時間はなかったのですが、タイトルが気に入って、ずっしりと重たい単行本を持ち帰った記憶があります。
結局、読み始めたのはゲームのマスターが上がってから。故・児玉清(こだまきよし)さんによる文庫版の熱い解説そのままに、ディーヴァーが創り出す登場人物の見事な造形、強力なプロット、巧みなクリフハンガー、斬新な謎の見せ方に魅了されながら読み終えました。
読後、最初に思ったのは、ディーヴァーはこの一冊を書くためにいったいどれほどの設定資料を用意したのだろうかということ。私自身、ストーリー性の高いアドベンチャーゲームの制作に長年、携わっていることもあり、その時から私は彼のアウトラインの作り方に強い興味を持っています。
ディーヴァーの作品の特徴として、事件は比較的短期間で発生し、物語は3、4日間の出来事が描かれ、結末はサプライズに次ぐサプライズ、さらにサプライズと、まるで魔術師のように繰り出されるどんでん返しが続く構造があります。
作品はどれも徹底したディティールで描かれており、物語の密度はとても濃くボリュームも多いのですが、その物語をリンカーン・ライムやキャサリン・ダンスのような天才的能力を持った主人公たちが強く引っ張っていってくれるので、主人公と異常な犯罪を仕掛けてくる犯人たちとの知能戦を最後まで飽きることなく読み進めることができます。
また彼の作品は多くがシリーズものになっていますので、お気に入りの登場人物たちの成長や変化、関係性なども楽しむことができ、その作品世界にどっぷりと浸れる醍醐味(だいごみ)も大きな魅力です。
こういった彼の作品の特徴は、ゲーム制作における世界観構築、レベルデザイン、キャラクターデザイン、マップ設定などのクリエイティブにも通じるものが支えていると感じています。
ディーヴァーはひとつの作品に約8カ月の時間を費やしてアウトラインを作り込むとインタビューで答えています。当然だと思います。きっと彼の複雑でロジカルな物語のアウトラインは、間違いなくゲーム開発の仕様書のように細かなイベントが設定され、それをどんな条件でどう繋ぐのかを練り込んだフローで構成されていると想像していましたから。
ディーヴァーの作品は映像化向きの印象がありますが、その構造からゲーム化も可能だと思います。ただし、彼の作品をゲーム化するには、余計なアクションなど無理に入れる必要はないと思いますが、彼のシナリオをインタラクティブに遊べるようにするための多大なストーリー分岐、その世界観を再現するための上質なビジュアルと演出、謎解きのリアル感を醸し出すストーリーに沿ったミニゲームは必須でしょうから、かなりの予算が必要になるとは予想します。
今作『ネヴァー・ゲーム』には、ディーヴァーが創り出した新たな主人公「コルター・ショウ」が登場します。ディーヴァーの新シリーズを見落とすわけにはいきませんし、なによりタイトルの「ゲーム」という言葉が自分と繋がっているような気がして、興味深く読み進めました。
コルター・ショウの職業は「懸賞金ハンター」。彼は懸賞金のかかった人探しを生業としていますが、私立探偵でもなく捜査機関にも所属しておらず、賞金稼ぎではないというところに彼のポリシーが見えます。
シエラネヴァダにある広大な土地で、学者であり、預言者であり、サバイバリストである伝説的な父親から特殊な家庭教育を受けて育ち、その生い立ちは彼に特別な能力を与えることになります。それは父親から叩き込まれた「サバイバル技術」と、生き延びるために得た天性の「分析能力」。ショウはその二つの能力を駆使して、捜査権も持たず、たったひとりで姿を消してしまった人間をどこまでも「追跡」していくのです。
ひとつところに留まるのが苦手でキャンピングカーにバイクを積んでどこへでも移動し、クールで知的、彼を取り巻く人間関係はどこか謎めいており、孤独で危険な香りがするショウという男の人物設定は、安楽椅子型の天才リンカーン・ライムとは全く対極。まるで冒険小説の主人公のようにタフで行動的なこの主人公は、ディーヴァーの人物造形の新しい引き出しを見せてくれるキャラクターです。
ディーヴァーはそんなワイルドな主人公ショウの最初の活躍の舞台に、彼のフィールドとは真反対のデジタルなシリコンヴァレーとゲームという電子的空間を用意しました。
このミステリーはショウが沈んでいく船内の女性を救出するという緊張感あふれるシーンからスタートします。そのシーンは時間軸上、実は物語のラストのイベント。物語はそこに至る3日間を見守る構成になっていて、冒頭のショウの救出が成功したのかという謎は最終章で語られるというドラマティックな展開で進んでいきます。
事件はIT企業が集積したシリコンヴァレーで発生します。
カフェを出たあと、忽然と姿を消した女子大学生ソフィー・マリナー。彼女の父親が懸けた1万ドルを手に入れるためにコルター・ショウが登場します。
これといった手掛かりのない状況の中、ショウは父の教えをもとに、彼独自の「追跡」で少女を捜します。その方法は持ち前の優れた「分析能力」を使って、発生し得るすべての事態について確率を見積り、そしてもっとも確率の高いものから検討して最適な計画を立案し、それを「サバイバル技術」を使い実行し、真実を突き詰めていく独自のやり方。
例えば、草の斜面が乱れた跡から血の付いた石を見つけ、そこから被害者の落とした携帯電話にたどり着くように、ショウは手掛かりから手掛かりを見つけ出し、そこから更にまた次の手掛かりを見つけ、目的とするものがどこにあるかの推測を立て、追いかけている相手の心理を思い描いて何が起きたかを追跡していくのですが、それはまるで謎解きゲームを実況で見ているような面白さです。
ご存知のようにビデオゲームの枠組みはシステマティックなもの。プレイヤーはプレイすることで本のページをめくるように、ゲームの物語を開放していくのですが、その物語が流れていく裏で動くのはデジタルな数字。プログラムはプレイヤーの入力を分析して次のシーンのデータを画面に構築し、それをルールに沿ってプレイヤーに提供していきます。
ゲームがプログラムで組まれたルールに沿って進むように、この物語の主人公ショウは事件と自分の間に確率を示すという自分のルールで次の行動を進めていきます。確率を示し、「起こる事件」=「イベント」に対応するコルター・ショウの姿がゲームに向かっていくプレイヤーに見えるのはそのせいなのでしょう。
読者はショウの見事なプレイ動画を鑑賞して、そこで得られる感情や感動をショウと共有するギャラリーに例えることもできそうです。その場合もし叶うなら、このゲーム実況の解説はぜひディーヴァーのナレーションでお願いしたいところです。
今作でディーヴァーは、このショウの謎解きパートを存分に描いており、ドラマとほぼ同じ比重で登場させています。きっとこの謎解きの面白さはディーヴァー自身、かなり気に入っていたのではと想像しています。
物語は最初の事件が終わったのもつかの間、すぐにまた一人が、さらにまた一人が行方不明となり、事件は複雑な様相を見せてきます。ショウはカフェで会った赤毛のマディーの導きで国際C3ゲームショーに参加、事件の背後にはビデオゲームが絡んでいることを知ります。
この物語はゲーム業界の背景ストーリーが細かくリアルに描写されているのも魅力です。国際C3ゲームショーは、毎年ロサンゼルスで開催されるE3(Electronic Entertainment Expo)という実際のゲームの見本市がモデルになっていて、その会場風景の描写には、私自身かつて毎年のように会場に足を運んでいた頃の熱い盛り上がりが思い出されました。コロナ禍以降のオンライン化を経て、様変わりしてきた各国のゲーム見本市ですが、こういうリアルな設定はゲーム業界で働く者にも納得の演出です。
物語の後半は、時にコルターを付け回す男にミスリードされながらも、事件の真実に迫っていくショウが被害者を助けるために一分一秒を急ぐ緊迫する展開が続き、ついに被害者を誘拐して監禁し、無残な死の罠にはめる犯人の姿が見えてきます。
ショウはここで新たに登場する地元警察の刑事ラドンナ・スタンディッシュと協力して事件に取り組むことになります。ラドンナはとてもユニークな女性で、捜査権を持たないショウにとって頼りがいのある存在となっていき、被害者を生きているうちに見つけ出そうとするショウの奔走は加速します。いったいこの事件の黒幕は誰で、何を達成しようとしているのか?
ショウとラドンナは捜査を進めるほどに、シリコンヴァレーのゲーム業界の闇に深く入り込んでいきます。ここで熾烈な競争が繰り広げられるゲーム業界、仮想世界にのめり込む人々の奇怪ともいえる姿が描かれ、ショウは連続誘拐事件と思われた一連の事件の中には、殺害ターゲットを隠すために仕掛けられた目くらましがあることに気づくのです。
正直、このあたりの物語のモチーフはややステレオタイプであると思うのですが、でもディーヴァーのさすがの構成力は、読者が錯綜する情報に振り回されることなく、犯人とショウとの知能戦を楽しめる物語の流れを作り出し、一気に最後まで物語を読ませてくれます。ゲームに興味を持っている読者はより興味深くこの展開を楽しめることでしょう。
また、事件を追う物語の流れの中で、ディーヴァーはコルター・ショウの背景もしっかりと読者に伝えてくれます。
コルター・ショウの父アシュトンは広大な荒野の土地を購入し、そこで自然や人間からどんなことをされても生きていけるように3人の子供たちを育てたこと、その後、二男のコルターは大学に進学して外の世界を知るものの、結局は安定した仕事に落ち着くことなく「懸賞金ハンター」として身を立てる人生を選んだことなどもわかってきます。
父アシュトンの生きざまを知ることは、物語の底辺に流れる父の死の謎に関わる大切な伏線であることは間違いなく、読者はそれをきっかけに本作ではまだ明かされてないショウの家族や関係者たちの秘密にも思いを馳(は)せることができ、事件解決以外の部分で、ディーヴァーはこのシリーズにおいて「家族の愛」という普遍的なテーマを読み取らせようとするサジェスチョンを作り出します。
それからディーヴァーは主人公ショウ本人についても、実はなかなかの美食家であったり、コーヒーはエルサルバドルの豆を好むというこだわりを持たせたり、クールに確率を計算するときにイライラする癖もつけたりと、親しみやすい人間的な魅力も設定していて、そんな彼の今後の活躍を期待させる情報を読者に与えてくれています。
こういう作品世界の広げ方の巧みさが随所に出ているのが、ディーヴァーらしいサービス精神の魅力。私はそういう彼の作風が好きです。
最後に。
犯人はいったい、誰なのか。それは本編を読んでいただくとして、ディーヴァーは事件解決の過程だけでなく、その動機に世相を先取り反映してテーマを伝えてくれる作者だったことがよくわかる結末でした。
今作でディーヴァーは、コルター・ショウという新たなヒーローとの大きな出会いと、彼と共にミステリーの世界をプレイする喜びを提供してくれます。
物語の仕掛けや謎の作り方を暴こうとしてみても、決して読み切れないストーリーを提示してくるのがジェフリー・ディーヴァーという作家。どうぞ彼が創り出した新たなシリーズを存分に堪能して、気持ちよいミステリーの余韻に浸ってみてください。
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