原子力ムラの深い闇に迫る。“言論封殺”された衝撃の問題作、ついに公開!
- 2023.11.27
- ためし読み
太平洋を抜けてきた潮風が、漁船が停泊する港にぼうぼうと吹く。福島県いわき市の小名浜漁港から見える海は、群青色に広がっていた。
福島県漁業協同組合連合会(県漁連)理事の柳内孝之さん(57)は、Tシャツ姿で風に吹かれながらこう訴えた。
「東京電力が事故で汚した海ですよね。汚染された海を浄化していくという話ならわかりますが、(福島第一原発から)海洋放出すれば、福島の海は震災前より悪化しているとみられてしまいます。商売が立ちゆかなくなる可能性がある。仲間が苦しめられ、また命を失う人が出るかもしれない」
柳内さんは、一人の水産業者のことが忘れられない。原発事故で魚が売れなくなったことと不漁が重なり、自己破産し、自ら命を絶った。その男性には息子がいた。にもかかわらず、子どもを残して、悲しい結末を選んでしまった。こうした事実は報道されない。柳内さんは言う。
「不思議なんです。政府を擁護し、『海洋放出は安全だ』と言うジャーナリストと称する人たちがいますけど、例えばそういう人たちが漁業者に話を聞きに来るかといったら、絶対に来ない」
政府と東電は2015年に、「関係者の理解なしには、いかなる処分も行いません」と文書で県漁連に約束した。漁業者や市民は約束を守るよう繰り返し訴えてきたが、政府は2021年4月に海洋放出を決定した。それでも政府はうわべだけで、「約束は守る」との公言を繰り返した。
決定から3カ月後、東京の衆議院第二議員会館で、福島の人たちが経済産業省の官僚らに、約束を反故にしたことへの謝罪、海洋放出方針の撤回、公聴会開催などを求めた。それを取材していた私は、終了後に官僚のもとに行って尋ねた。周囲に人はいなかった。
「文書には関係者の理解なしに、とありますが、漁協、自治体などとどこまで合意を取るのですか?」
「合意なんて取りませんよ。取り切れない。うちも、うちもとなってしまうでしょう」
当然じゃないですか、という表情に見えた。愕然とした。
約束を守ると公言しているのはいったいどういう了見なのか。西村康稔経済産業大臣は2023年6月10日にも、「約束は守る。漁業者が不安に思う以上、丁寧に説明する。私の責任だ」と言っていた(同日「東京新聞」デジタル版より)。しかし結局、政府は、県漁連が納得しないまま、反対したままにもかかわらず、8月から放出を開始した。
表で言っていることと事実はどうしてこうも違うのだろう。海洋放出決定後、公聴会も開かずに「流す」というストーリーは当初からできあがっていたのである。本音を聞いた取材者はごまんといるはずだ。なぜ、表に出ないのか。政府がもとから合意をとるつもりなどなかったことは、どうして報じられないのだろうか。
東電は、実際に海に放出する前には、ALPSという設備でトリチウム以外の放射性物質を取り除くとしているが、ゼロにはできない。基準以下の濃度にすると説明しているが、他の放射性物質について全体でどれぐらいの量を排出できるかという「総量」限度の規制はなく、全体でどれだけの放射性物質を流すのか、政府も東電も明らかにしない。
また、流す水は、政府が「ALPS処理水」と名付けてその性質を分かりづらくしている。だが実際のところ、原子炉等規制法上では、「液体状の放射性廃棄物」である。2023年9月14日にも、私は国会議員たちの前で原子力規制庁に確認した。「そうです。液体状の放射性廃棄物です」と、はっきりした答えだった。
また、表では「海洋放出期間は30年程度」と発表しているが、実際は何十年になるのか、100年を超えるのか、誰にもわからない。
漁業者のほかにも、反対の声を上げる人たちがいた。日本科学者会議が、「科学的研究が十分でないと懸念する声もあることにも配慮すべき」と、海洋放出に反対し、タンクの増設による長期保管を求める声明を出した。被曝影響の専門家たちや住民らも、「安全性が確認されていない」と訴えた(SNS上では「非科学的」、「感情的」などとお決まりの批判が書き込まれた)。
すでに、東電が海洋放出を始めた日から中国が日本産水産物を全面禁輸するなどの影響が出ている。柳内さんはやりきれない。
「約束違反は約束違反です。漁業者のほとんどがそう思っています。それに東電が被害を賠償すると言っていますが、これまで東電が多くの賠償を拒否してきているなかで、今度はきちんと補償されると誰が思いますか? 海洋放出と関係ないと言って賠償をはねるでしょう。決めたのは官邸ですが、被害を被るのは、我々の関係者が圧倒的に多いんです」
恐ろしいのは、この海洋放出が「排出作業の始まり」にすぎないことだ。
複数の原子力推進の専門家が、「これぐらい処理できなければ、先に進めない」、「もっと放射線量が高い廃棄物が山積している」と、私に話す。元原子力規制委員会委員長の田中俊一氏は、「トリチウムの排水は、イチエフ(福島第一原発)のリスクでは一番小さいリスク。そういうことができないようではイチエフの廃止というプロセスをたどれなくなる」と、プライムニュース(BSフジ2021年4月16日)で述べた。
実際、福島第一原発では、爆発で壊れた屋根や地下から水が入り、壊れた原子炉、溶け落ちた核燃料に触れている。このためこの水には、セシウム137やプルトニウム239、ストロンチウム90、ヨウ素129など様々な放射性物質が含まれている。“基本的には”トリチウムしか含まれていない通常の原発からの排水とは大きく異なる。この壊れた原子炉に常に流入してくる水を止める手段はまだ見通しが立っていない。
政府がずさんに進めてきた原子力政策のつけ──。政府が私たちに本格的なリスクを負わせるのは、これからだ。
水の次は土だ。
政府は除染作業で取り除いた汚染土を全国で利用する方針を決めているのだ。
原発からセシウムなどの放射性物質が、畑や住宅街に広く飛散した。作業員が袋に詰めた土は、福島県内(帰還困難区域外)のものだけで1400万立方メートルにものぼる。その汚染土の行き場がないとして、政府は全国の農地や道路に使おうとしている。
放射性物質の扱いの基本は「閉じ込める」だ。にもかかわらず、閉じ込めたはずの土を袋からわざわざ出して地面に盛り、汚染されていない土を50センチ程度かぶせて使う。
札幌出身の50代の元作業員は、福島県内の川岸や住宅街で作業をし、汚染された土を集めて袋に入れ、重たい袋をトラックに運んだ。線量計をつけながらの被曝労働だった。汚染土を出して使うことに対して、「人を助けることになると思って、被曝しながら作業したのに、自分たちの仕事は何だったんですか」とショックを受けていた。
使われる場所の周辺住民も困っている。福島県二本松市と南相馬市では、政府が道路に使用しようとしたが、地元住民たちが「帰還する人がいなくなる」などとして反対し、計画は凍結した。一方で、飯舘村では長泥地区で農地に使われている。
現在は、政府が東京の新宿御苑の花壇や、埼玉県所沢市の一角で土を使う実証事業をしようとしており、地元住民らが反対している。私が環境省の官僚に住民の合意は取るのか尋ねると、「合意は必要ないと思っています」と答えた。海洋放出のときと同じだ。
政府はこの土を「除染土壌」と言い出し、報道でも「除染土」という表現が目立ってきた。環境省幹部に「除染土と言うときれいにしたあとの土のようではないですか。汚染土ですよね? 汚れたまま」と、私が問いただすと、苦笑いして、「汚染土だと聞こえが悪いからね。そちらで汚染土と呼ぶ分にはこちらからは何も言いません」と話していた。
しかし、ネット上で、「汚染土は事実と異なる呼称」と批判つぶしがされるようになってきた。海洋放出している放射性廃棄物を汚染水と呼ぶと、言葉狩りが行われ、批判つぶしされるように、汚染土もまたネット上で言葉狩りの対象となりつつある。
本当のことが、伝えられず、伝わらないようにされている。
私たちはいつまでつけを払い続けるのか。
東電と政府が一体となって原発を推進し、“原子力ムラ”の人々が安全規制をずさんにしてきたからこそ事故は起きた。
それなのに政府は、東電の「汚染者負担の原則」をないがしろにし、事故処理にかかる莫大な金額を私たち国民に押し付けている。なぜここまでして東電をかばうのか。
イタリアの物理学者、アンジェロ・バラッカさんは来日した際にこう訴えていた。
「重大な事故がおこったときには電力会社の負担の一定額以上は免責される、というのもコストの外部転嫁のからくりの一つです。これまたスキャンダラスな話です。現在日本で、残念ながらこうした生々しい劇的な事態が進行しています。東京電力は、事故によって生じる負担額を免責され、それを賄うのは納税者である国民なのです。この事実だけでも、日本国民がこぞって原子力エネルギーの廃絶を要求するのに十分な理由となります」
政府は、原発を危険なまま推進してきたつけを国民に払わせ、払い終わるめどもないのに、事故後わずか12年で原発を活用する方針に戻した。しかも、従来から最大の課題と言われる「核のゴミの処分場がない問題」は解決されていない。
では、司法は私たちを守ってくれているだろうか。最高裁は原発事故の国の法的責任を認めなかった。
元福井地裁裁判長の樋口英明氏(71)は、「ひたすら国を勝たそうとする強固な意思しか見受けられない。内閣が、政権に近い法律家を最高裁裁判官に任命する傾向が強まってしまっている」と嘆く。
政府が原発に回帰する一方で、日本の再生可能エネルギー(再エネ)の技術開発や普及のスキームは各国に後れをとっているのが現状だ。
日本は1993年から国家プロジェクトとして、「ニューサンシャイン計画」を進めていた。革新的技術の開発を目的として、石炭液化、地熱利用、太陽光発電、水素エネルギーの技術開発に取り組んだが、2000年に終了した。プロジェクトにかかわった官僚は、「原発のために予算を削られ、部署ごとつぶされた。日本の再エネ技術は世界一だった。続けていれば今も世界一だった可能性がある」と、私に悔しそうに話した。
太陽光パネルのシェアはかつて日本が世界トップで、2005年ごろには5割を占めたが、2008年ごろに中国に抜かれ、2020年には中国製のシェアが7割、日本製パネルはわずか0.3%に沈んだ(2021年10月18日付「日本経済新聞」より)。
太陽光だけではなく、ほかのエネルギー開発の国家プロジェクトも、原発に注力するとの理由でつぶされていったと研究者たちが、私に語った。
政府が原発に回帰する中で、電気は余り、大手電力が再エネ事業者に発電を抑えさせる出力制御が頻繁に行われるようになった。2023年4~9月には北海道電力と東京電力を除く8社が194回の出力制御を行い、最大で1回当たり原発3基分に相当する約287万キロワットを抑制した(2023年10月16日「共同通信」より)。再エネが無駄になり、業者らが経営難に陥ると困惑している。
原発を続けるということは、事故が起きる可能性を抱え続けることを意味する。福島第一原発事故では、その影響の大きさを私たちは思い知った。
当時、官邸が専門家に依頼して作った最悪のシナリオは、東京を含む半径250キロ圏内の人々の任意移転を認める必要があるというものだった。日本中に原発はあり、各地の原発を半径250キロで囲むと、沖縄と北海道東部を除いて日本のほとんどの地域が入る。誰もが明日は我が身なのだ。12年たったいまも数万人が避難している。いざというときに10年以上避難を続ける準備ができている人はいるだろうか。
事故をひとたび起こせば取り返しのつかない事態を招くにもかかわらず、原発はなぜこうも優先されるのか。どうして、何のために必要とされているのか。その理由を解き明かすには、歴史を俯瞰し、考えてみなければならない。私はそう思うようになった。
本書は、私が記者として勤めてきた3つの報道機関の社益を離れ、30年かけて一人の人間として聞き歩いてきた、その集大成である。
話を聞いてきた人たちは、大学時代から知り合ってきたエネルギーの研究者ら100人を超える。被災者を含めると数百人だ。意見の異なる人たちとも対話を繰り返した。怒鳴られても、話を聞いた。なぜなら、知りたかったからだ。原発推進派の重鎮や官僚たちが次第に実態を打ち明け始めた。その証言をもとに資料にあたり、多方面の関係者に聞き歩いて裏付けを取り、記していった。
私たちが自分自身、そして大切な人たちの命と安全を守るためには、まずは知ることからなのだろうと思う。
本書が、その一助になればと願う。
青木美希
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