- 2024.02.15
- 書評
エンタメ歴史小説として“一級品”! 『悪将軍暗殺』の読みどころ
文:天野 純希 (小説家)
『悪将軍暗殺』(武川 佑)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
武川佑の長編デビュー作『虎の牙』を読んだ時の衝撃は、今もよく覚えている。
武田信玄の父、信虎の弟でありながらその生涯はほとんどが謎に包まれ、世間的にもほぼ無名な勝沼信友を主人公に、山の民、山岳信仰といった『もののけ姫』的オカルト風味も交えて戦国中期の殺伐とした世界を活写してみせたその手腕は見事なもので、特に合戦シーンの解像度の高さには驚かされた。血の臭い、土の臭いまで漂ってきそうなほど臨場感にあふれた合戦シーンは、まさに新人離れしている。「これは末恐ろしい作家が現れた」と、同業者として危機感を覚えたものだ。
果たせるかな、武川佑は『虎の牙』で歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞すると、続く長編第二作の『落梅の賦』でも武田信友(こちらは信玄の弟)、穴山梅雪という二人の武将を軸に武田家の滅亡を描き、新たな戦国小説の書き手として注目を集めるようになった。
その武川佑が三冊目に上梓したのが本作『悪将軍暗殺』である。主人公は実在の人物ではなく、架空の少女。時代は戦国から遡って室町中期、南北朝時代と戦国時代に挟まれた、教科書でもあまり取り上げられないマイナーな時代だ。
饅頭を売って暮らす少女・小鼓はある日、故郷の町を焼かれ、片腕まで失う。その原因を作り、同時に彼女を救ったのは、青蓮院の高僧・義圓――後にくじ引き将軍と称され、“万人恐怖の世”と呼ばれる時代を作り出した第六代将軍・足利義教だった。多くのものを失った小鼓は、行方知れずとなった父から教わった兵法に己の生きる道を見出し、戦場へと飛び込む。
このあらすじだけでも、過酷なストーリーになるであろうことは容易に想像できる。作者がよほどの覚悟をもって向き合わなければ、「ハンデにめげず努力した主人公は、本当の幸せを見つけました」的な、凡庸な物語にもなりかねない。
もちろん、その心配は杞憂に終わった。物語の筋自体は過酷なものだが、親しみやすいキャラクターと疾走感のある筆運びで、“重たい”小説にはなっていない。馴染みのない時代が舞台でも、歴史小説にありがちな小難しい説明が延々と続くようなことはなく、すんなりとこの世界に入っていける。読者は小鼓とともに中世の戦場を駆け、彼女の流転の運命に一喜一憂し、大きな満足感を抱いて本を閉じることになるだろう。
歴史に詳しい読者であれば、足利義教がどんな運命を辿り、この時代がどう動いていくかは知っているかもしれない。だが、主人公はあくまで、名もなき庶民である小鼓である。彼女が歴史上の人物たちとどう絡み、どうやってこの過酷な時代をサバイブしていくかが本書の読みどころだ。歴史の流れの行きつく先を知っていても(もちろん知らなくても)、主人公の視点に立って物語を愉しむことができる。その点で、本作はエンターテインメント小説として大成功を収めていると言っていい。
だが本作の魅力、凄みは「エンタメとして一級品」というだけにとどまらない。筆者が唸らされたのは、この小説に込められたある種の革新性だった。それは、前近代の日本に当たり前のように存在した差別構造と真っ向から向き合っているところだ。
物語前半、九州に渡った小鼓は戦場で瀬良という女性に出会う。彼女は女性でありながら足軽となり、男たちを率いて戦場を渡り歩いていた。人権の概念が無い時代、戦場では略奪が横行し、女性が強姦されるのは日常茶飯事だった。瀬良は略奪や強姦から弱い者たちを守るため、“ガラスの天井”に頭を押さえつけられながらも一軍の将になることを目指す。
また、紆余曲折を経て東国に辿り着いた小鼓は、かつては自分も“東狗”と蔑みの目を向けていた関東の人々と交流し、自らの差別意識に向き合う。さらには、癩病(ハンセン病)患者が集まる庵で働きはじめるのだ。
例外はあるにしても、歴史小説の多くは実在した英雄豪傑のサクセスストーリー、あるいは奮闘虚しく敗れ去った者たちの悲話だ。そうした物語は単純に面白いし、素晴らしい小説は無数にある。だが多くの場合、戦に巻き込まれて強姦される女性や、凄まじい差別構造の中で社会の底辺に押し込まれ、存在さえも黙殺された病人たちの視点が描かれることはない。
武川佑は、本作のインタビューでこう語っている。「歴史は英雄や名を残した人々だけのものではない」「小鼓は、名もなき人々の象徴であり、虐げられた人々の最大公約数的存在」と。
小鼓自身、女性であり、孤児同然になり、さらには片腕を失うという多くのハンディキャップを背負っている。だが彼女は、「片腕でも女子でも、できることがあると証明したい」と、“女だてらに”兵法を学んで戦場へ飛び込んでいく。瀬良は小鼓に進むべき道を示し、癩病を患う千早は小鼓を肯定し、背中を押す。その意味では、本作は優れたシスターフッド小説であり、エンパワメント小説でもあるのだ。
歴史に名を残す者の大半は男性であり、人類の半数を占めるはずの女性は脇役に追いやられてきた。日野富子や楊貴妃のように名が残っていても、「国を傾けた悪女」といった評価がなされることも少なくない。しかし当然のことながら、記録に残っていないからといって、存在しないわけではない。戦争の巻き添えを食って多くを失った人々を、「それがその時代の価値観だったのだから仕方ない」と切って捨てることは、過去に生きた人々への冒涜ではないだろうか。
これまで多くの歴史小説家が見過ごしてきた、あるいは見ようともしてこなかった弱者(とされる人々)と正面から向き合い、彼、彼女らの視点を丁寧に拾い上げる。それこそが、小説家武川佑の最大の強みだと思う。
近年では、かつてのように歴史上の偉人を経営の手本としたり、必要以上に礼讃したりといった傾向は減ってきている。歴史とジェンダーの関わりを扱った書籍も増え、多様な視点から歴史を捉えようという試みがなされている。
それでも、歴史小説で取り上げられる人物はいまだに、大名や武将といった社会の上層部にいる人々が圧倒的多数だ。中世を舞台とする庶民の女性が主人公の小説ともなると、思いつくものは皆無に等しい。その点においても、やはり本作は稀有な存在なのだ。
本作で第十回日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞した武川佑は、その後も関ケ原の戦い前夜を舞台にした料理人の少女の成長物語『かすてぼうろ 越前台所衆 於くらの覚書』、戦国末期の鎧職人が主人公の『真田の具足師』と、多作ではないものの一風変わった歴史小説を上梓している。
願わくはこの先も、武川佑には歴史上の声なき声を拾い上げていってほしい。そして、今も社会に蔓延るマチズモ的価値観と、ともすればそれに陥りがちな歴史小説の世界に一石を投じ続けてほしいと、心から願う。
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