- 2024.12.18
- 読書オンライン
「すべて試して、言葉でどこまでいけるか見てみたい」新芥川賞作家・九段理江が「生成AIが登場する小説」を書いた理由
山内 宏泰
〈第170回芥川賞受賞『東京都同情塔』〉九段理江さんインタビュー
「その屋根はある種、崇高で神秘的なエネルギーを私にもたらしていた。まるでひとりの女神が、もっとも美しく、もっとも新しい言語で、世界に語りかけているかのようだ。私は彼女の話す声に耳をそばだて、時に彼女に返事をした。」(『東京都同情塔』)
「ひじょうに完成度が高い」
「欠点を探すほうが難しい」
1月17日に都内で開かれた選考会の席上で、そんな声が相次いだ。
第170回芥川龍之介賞を受賞した、九段理江『東京都同情塔』についての評価である。近年稀に見る早さで選考結果が出たことは、いかに同作が抜きん出ていたかを物語る。
ザハの国立競技場が建った「もうひとつの東京」が舞台
風変わりなタイトルを持つ受賞作のストーリーはこうだ。
来たるオリンピックへ向けて、キールアーチを持つザハ・ハディド設計の国立競技場が建った「もうひとつの東京」が舞台。そちらの世界では競技場と呼応するように、犯罪者収容施設「シンパシータワートーキョー」が構想され、実現へ向け動いている。
建築家・牧名沙羅がその設計者として名乗りを挙げる。年下のデート相手・東上拓人がタワーを「東京都同情塔」と言い換えたのを聞き、デザインの方向性は定まっていく。沙羅と拓人が描く東京の未来はどんなものになるのか――。
「小説は好きで一人で書き始めましたが、書き続けるのはどうしても難しいものですから、その力をくださり応援してくださる方々へありがとうございますとお伝えしたいです。感謝を伝えたいという気持ちでおります」
選考直後の記者会見に颯爽と現れた九段理江さんは、一つひとつ噛み締めるよう丁寧に言葉を発した。
小説家としてのキャリアは浅いものの、彼女の受賞歴は凄まじい。
2021年『悪い音楽』で第126回文學界新人賞を受賞しデビューすると、翌年に発表した『Schoolgirl』で23年の第73回芸術選奨新人賞を獲得。同23年の『しをかくうま』では第45回野間文芸新人賞。そしてこのたびの芥川賞である。デビュー後3年ですでに、名だたる賞を4つも得ていることとなる。
会見の応答も、たいへん堂に入ったものだ。どんな問いかけにも九段さんは、しっかり中身の詰まった言葉を返していく。作品の完成度の高さについては、
「そのような評価をいただけるなんて夢にも思ってもいませんでした。今回はアンビルト(実現しなかった建築などのこと)をモチーフにしていますが、書いている途中は作品自体がアンビルトになってしまうのではないかと恐る恐る、不安な思いで書いていました。
完成したあともずいぶんグラグラしている小説だなと考えていて、いまにも崩壊しそうな危うさや不安定さが、この小説の魅力かとは思っています。それも含めての完成度の高さということでしたらうれしいです」
書き続けるテーマは「言葉」
作品内には、昨今話題の生成AIが使われる場面が出てくる。その部分の執筆時には、実際に生成AIを活用したとも言う。
「(生成AIのChatGPTなどを)ふだん自分でも使ったりはします。誰にも言えない悩みを、人工知能にだったら話せるかなと、悩み相談をしているときもあります」
今作で描こうとしたテーマは、建築や恋愛というよりも、言葉であるとも述べた。
「近年、言葉を無限に拡大したり無限に解釈することが許容される状況があると思います。言葉を大切に使っていきたいという思いはあるんですけど、言葉のポジティブな面とネガティブな面をどちらも考えていかなければ。言語やコミュニケーションのことは幼いころから考えてきた問題で、どんな小説を書いても最後には戻ってきてしまうテーマです」
会見は限られた時間ゆえ、興味深い返答の数々をさらに詳しく聞きたい思いが残る。
そこで翌日、ご本人に話を聞けた。
選考会当日は、どんな様子で一報を待っていたのだろうか。
サラダを頬張った瞬間に電話がかかってきて…
「日中は雑誌の撮影のために、作品の舞台となった国立競技場を訪れていました。そのあと近くのカフェで連絡を待ちました。映像で密着取材していただいている方々や編集者の方々といっしょで、なかなかの大所帯。
まだ時間に余裕があるのでサラダを食べてしまおうと頬張った瞬間、ずいぶん早く電話がかかってきました。口の中にたくさんのレタスやらオニオンやらを入れた状況で電話をとることになってしまい、ろくにお返事もできず、ただ『はい、はい……』と言うばかりで。
密着取材のテレビカメラも回っているかなと考え、こんな瞬間にもテレビ映りを気にして自意識過剰になっている自分はどうなんだと思ったりもして、すこし混乱状態でした。せっかくうれしいお知らせをいただいているのに、心から『やったー!』という気持ちになれずじまいなのが残念でしたね」
「『犯罪者』が『刑務所』に住んでいても特に何も言わず無言でいた人たちが、『ホモ・ミゼラビリス』が『シンパシータワートーキョー』に住むようになった途端に何かを言いたくて、その状況を言葉に変換したくて仕方なくなるというのは、やっぱり僕にはおもしろい。」(『東京都同情塔』)
受賞の報を受けて記者会見場へ向かった九段さんは、先に紹介したように壇上で堂々たる言葉の数々を発する。
趣味は「筋トレ」賞金をすべてジムの年会費に
その後は選考委員への挨拶などもあり、ホテル泊となった。うまく寝つけず翌日はひどい寝不足となってしまった。それはひとえに、ルーティンとなっている筋トレができなかったから。
筋トレは日課であり、大切な趣味なのだという。
「2021年に文學界新人賞を受賞したときに賞金をいただいたんですが、せっかくなので小説につながる使い方をしようと決めました。
そのときふと、私が大きな影響を受けてきた三島由紀夫は、30歳でボディビルを始めていることに思い至りました。私もちょうど30歳を超えたところだったので三島に倣おうと思い、賞金をすべてスポーツジムの年会費に注ぎ込みました。
それ以来筋トレを続けてきました。肉体改造をしてきたひとつの成果としては、先日芸術選奨新人賞をいただき授賞式に出た際、背中が広く開いたドレスを着られたことですね」
「5%ほど生成AIの文章を使った」という言葉の真意
当人が寝つけずいる夜分のうちにも、新芥川賞受賞者決定のニュースは世間を飛び交った。会見で話した「(全体の)5%ほどは生成AIの文章を使った」との言葉が、思いのほか注目され、あちこちで引用されていた印象だ。
「AIを使って書いたという言い方が一人歩きし過ぎると、それは事実と異なるので訂正したいところですね。『東京都同情塔』はAIを登場させる必然性があった小説で、その部分では実際にAIを用いた文章を使ったほうが効果が出るので、そうしたというまでです。作中にAIが登場するというアイディア自体はオリジナルのものですよね。そこからAIをうまく活用することによって、また新しい創造性が発揮されるものだと考えています。
小説内では、拓人という登場人物が生成AIを活用してビジネス文書をつくりますが、親密な関係にある主人公の沙羅を描写するときには、彼はやっぱり自分の言葉で語りたいと思う。そういうものを書きたかったので、人間のもつ言葉と、AIの文章を対比する意味もありました。
実際に小説を読んでいただければ、どこでAIを使っているかは簡単に見分けがつくと思いますので、その部分を見分けたりする過程も含めて楽しんでいただけたら」
ザハ・ハディドによる国立競技場や、東京に屹立することとなる東京都同情塔、さらには主人公の女性建築家の言動と、作中に出てくる事物や出来事、人物がどれも「いかにもありそう」と感じられるのは作品の特長だ。選考会でも高く評価された作品内のリアリティは、どのように生み出されているのだろう。
小説は「アンビルト」みたいなものーー「すごくゾクゾクします」
「小説を書く前にはいつも、資料を集められるだけ集めます。ひとつのテーマにつき100冊単位で読まないと、私は小説を書くことができません。自分の妄想だけでは具体的なかたちがまったく見えてこないのです。
『東京都同情塔』なら、まず建築の本を読み漁りました。建築家、丹下健三や隈研吾の書いた本を読んでいくうち、やはり建築家を主人公にしてみたいという気持ちが固まっていきました。
さらには『アンビルト』ということに関心が向き、それについても調べまくりました。アンビルトとは実現しなかった建築で、つまりは思想だけが残る建築ということ。実際の建築は建っていないけれど、その構想を知った人の頭の中にはその建築は確実に存在する。これはまるで小説みたいだなと思いました。
小説というメディアはすごく特殊です。小説の中で起きていることすべてを、現実のこととして読者は受け止めます。『彼が死んだ』と書けば彼は死んでいるし、どんな荒唐無稽な死に方だったとしても『こういう理由で死んだ』と書いてあれば、読者は絶対にそれを信じなければならなくなる。
現実ではアンビルトだった建築を小説の中で建たせれば、それは本当に実現したと信じられるわけです。しかもその小説が世の中に発表され書店に並んだりすれば、これはもう確実に『在った』ことになる。そう考えるとすごくゾクゾクしますね」
作品からも話をする様子からも、つねに言葉に対する強い執着が感じられる。言葉へのこだわりは、いつからなぜ生じたのか。
すべて試して、言葉でどこまでいけるか見てみたい
「言葉について強く意識するようになったことに明確なきっかけはなくて、それこそ物心ついたころから宿命のように、言葉については考えてきました。ときに苦しくて自分でもやめたいと思ったこともあったけれど、それはどうしてもやめられませんでした。
そんな私にとって、言葉でつくられる小説とはなくてはならないものだし、私自身が小説の言葉を強く信じています。不思議でしょうがないんです、実体を持たない言葉が、人間も世界も変えてしまうことが。言葉を突き詰めていったらその先に何があるのか。できることすべてやって、考えられ得ることをすべて試して、言葉でどこまでいけるか見てみたいです。
『東京都同情塔』は、言葉で何かを解決しようとしたり言葉で対話することをあきらめたくない、と思っている方のために書いた作品です。言葉で解決できないことは何によっても解決できないと私は考えています。言葉によって考え続けることをやめたくないという私自身の思いが、この小説を書く原動力になりましたし、同じ気持ちでいていただける方のもとに作品が届いてくれたら、何よりうれしいです」
メイク TOMOMI・小池康友(K.e.y.)
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