7月19日、『ハンチバック』で芥川賞に輝いた市川沙央さん。自身と同じ重い障害がある女性を主人公に描いた作品で選考委員から圧倒的な支持を集めた彼女に、受賞の喜びを尋ねた。
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これほどワクワクしながら読み進められる純文学作品は、なかなか現れない。市川沙央『ハンチバック』。あらすじはこうだ。
グループホームで暮らす重度障害者の主人公・釈華は、ライター仕事やSNS、小説サイト投稿と、自室からさまざまなかたちで言葉を発信している。釈華はあるとき、胸中に膨らんだ願望を実現しようと、ヘルパーのひとりに声をかけ行動を試みるのだが……。
言葉の豊かさと文章の巧みさ、登場人物の際立った個性、「知らない世界に触れている!」という実感が続くストーリー展開。加えて現代社会の抱える重いテーマが全編を貫いて、充実した読書体験を味わえる。
同作でこのたび芥川賞を受賞した市川沙央さんの言葉を聞こう。
大きい感情が湧かないようになってしまっていて……
直後の受賞会見に臨んだ市川さんは、オレンジ色の衣装の鮮やかさに記者が言及すると、
「(同作単行本の)表紙の色と似ていて、まるで誂えたように見えますよね」
と返す。報を受けての率直な感想についても、
「半年ほど前、(同作を応募した)文學界新人賞の最終選考に残ったころから、大きい感情が湧かないようになってしまっていて、今回も『わあ!』とはならなくて。今なら凄腕のスパイになれるなと思いましたね。ただ、これからが大変だなと。私はエッセイを書くのが苦手なので」
受賞すると多数の原稿依頼でてんてこ舞いになるのを、ユーモア混じりに心配してみせた。
真っ先に受賞の喜びを伝えた相手は? との問いには、
「7つ上の姉にLINEして報告しました。姉は私と同じ病気で小説好き。又吉直樹さんのファンなんです」
市川さんは、筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側弯症、および人工呼吸器使用・電動車椅子当事者である。会見時にも車椅子で壇上に上がった。
「私は訴えたいことがあって、去年の夏に初めて純文学作品を書きました。それがこの『ハンチバック』です」
訴えたいこと、とは「読書のバリアフリー」をはじめ、障害者と社会の関係性の改善だ。そのために、作品の主人公に自身と同一の症状を持たせた作品を書いた。
「重度障害者の芥川賞受賞も、障害者を主とした受賞作品も、これまでほとんどないようです。どうして2023年になるまでそうした例がなかったのか、みなさんに考えてもらいたいです」
みずからが重度障害を持つ初の芥川賞受賞者となって、壇上からそう問いかけたのだった。
「私生活では短気なところもある」市川さんが大切にしていること
会見の翌日、市川さんに話を伺った。
――受賞の報せ以来、いきなり周囲が慌ただしくなったのでは。ペースを乱されていないですか?
「昨日の夜は寝るのが遅くなり、睡眠は3時間ほどになりましたね。ただ、もともとショートスリーパーなので、これくらいは大丈夫です」
――新人賞の最終選考に残ったあたりから感情がうまく働かなくなっている、と打ち明けておられました。今回の受賞、そして一晩明けて、感情の湧き上がりは出てきましたか。
「お祝いの言葉はたくさんの方々から、メールなどを通してちょうだいして、それはもちろんうれしいかぎりですが、個人的な感情はいまだ動きません。平静でフラットなままです」
――受賞作『ハンチバック』の美点は、まずもって「読みやすくておもしろい」ところにあると感じます。そこは書き手として心がけたところでしょうか。
「私は20歳過ぎのころから、ライトノベルなどのエンタメ作品を志して書き続けてきたので、おもしろさというのはとても大切だと思っています。私生活では短気なところもあるせいか、わかりやすくておもしろいものが自分でも好きですしね。
『ハンチバック』は、これまでと違う書き方を試みた面もあります。ライトノベルを書いているときは、次のページでどんなことが起きればおもしろいかを考えて書き進めていましたけど、純文学をやるならもっとレベルを上げていこうと考えたのです。それで次のページどころか、次の1行はどんなことが書いてあればおもしろいかと、毎行ごと考えながら書いていきました。
あらゆる文章を書き飛ばしたりせず、ゆっくりと書いていって、密度とバリエーションを出そうとしてみました。
『型』の有無も意識しましたね。ライトノベルは話の展開にある種のパターンがあるので、型にうまくのせて書きます。ですが純文学のほうは、明確な型がなくてもうちょっと自由度が高い。そこでいろんなテイストを入れ込んでみると、特有のリズムも出てきて、いまの作品のかたちになっていきました」
重度障害者だって、もちろん本を読みます
――「わかりやすくておもしろい」を追求すると同時に、『ハンチバック』は社会問題にはっきり物申す「プロテスト小説」でもあります。硬軟取り混ぜた話にしたり、ご自身を投影させた重度障害者を主人公とすることは、書き始めた当初から決めていたのでしょうか。
「はい。『ハンチバック』を書くきっかけは、通っていた通信課程大学での卒論リサーチです。障害者や差別の歴史を調べていて、いらだちを感じることが多々ありました。
とくに、日本の読書バリアフリー環境の遅れは目につきました。障害者の読書を想定せず、電子化されていないものが多い。重度障害者だってもちろん本を読むということに気づいてもらうために、いろんなものを書く重度障害者の主人公・釈華を設定し、自分を投影させました。
当時者が当時者として書く『当事者表象』をしようと決めたわけです。重度障害者で、プロを目指して小説を書いている人は珍しいでしょうから、これは自分がやるべきだろうと思いました。
『ハンチバック』のストーリー後半では、障害者の性の話へと分け入っていきます。そうした問題も大学で学んでおり、問題意識を持っていましたので、これも作品の大事な軸になると考えました。
実際の描写などに関しては、私は『ティーンズラブ』と呼ばれる女性向け性愛作品も書いた経験があるので、問題なく取り組めましたね」
――純文学に挑戦したのは『ハンチバック』が初ですが、ライトノベルなど小説の執筆には長らく取り組んでこられました。なぜ小説がよかったのでしょう。
「小説は文章だけを素材とした最もシンプルな表現ですし、道具も体力もそれほど使わずにできる。それで気楽に続けられる趣味になっていったのだと思います」
次の作品では当事者表象からは離れます
――小説は「趣味」という捉え方なのですか? もっと大きな存在なのかとも。
「たしかに大きい存在なのですが、『ハンチバック』で今年4月に文學界新人賞をいただくまで私は、プロとしてデビューを果たせていない状態でした。アマチュアである以上は、自分のやっていることは趣味というふうに捉えるしかないと考えていました」
――新人賞そして芥川賞の受賞を機に、これからは書くことの意味も変わってきそうです。
「そうですね、期待をいただくことも生じるでしょうから、その期待には応えたいと思っています。自分の中に書きたいことはたくさんありますし、すこしでもレベルを上げていきたいという気持ちも強く持っています」
――今後、どんな市川作品を私たちは読むことができるでしょうか。
「いま準備している次の作品は、『ハンチバック』のような当事者表象からは離れたものになります。いろんなものを、いろんな視点で、いろんな角度から書いていきたいですね」
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