第一七〇回芥川龍之介賞受賞会見での「五%AI使用発言」が世間を騒がせた九段理江。人工知能を用いて執筆された小説が権威ある文学賞の栄誉に選ばれたというこのニュースは、瞬く間に各国へと拡がり衝撃を与えた。
会見から一週間が経過した今日(二〇二四年一月二十五日)の時点で、少なくとも英語、フランス語、イタリア語の三言語のWikipediaに「Rie Kudan」のページが作成されている事実を筆者は確認したが、未だ外国語への翻訳作品が一件も存在しないアジア圏の作家としては、異例の扱いであると言えるだろう。とはいえ、大きな関心を集めながらも、その先鋭的な生成過程を経て書かれた小説にアクセスできるのは現在日本語の使用者のみという、極めてフラストレイティングなシチュエイションにある。
その著作によってではなく、ほんの数秒の発言によって、その名が知られるところとなった九段理江。いま九段理江は、この現状をどのように受け止めているのだろう?
筆者はさっそく、作品の版元に質問状を添付したメールを送信した。すると驚くべきことに、五分ほど仮眠をとっているあいだに「九段理江」の署名が記されたメールが、直接筆者の元へと届けられた。五分である。通常、遠く隔たった場所にいる渦中の人物と、こんなにも迅速かつ簡単にコンタクトがとれるものだろうか? にわかには信じがたいが、本誌としては他の競合メディアに先駆けこのスクープをいち早く流したいので、とりいそぎメールの返信を以下に全文公開する(署名の真偽については確認中)。
九段理江です。
「Kudan、あなたはいま、どんな気分ですか?」
この質問に対する私からの回答は、「驚いています」になります。
そして私が驚いていることは、主に三つあります。
まず最初に、あなたから私に送られてきたメール・質問状の中に、Congratulationsなどの祝意を示す文言がひとつも見当たらず、驚いています。
次に、あなたからWikipediaに関する情報を知らされ、それがどうやら事実であると認め、驚いています。
最後に、私の公式の既刊単行本二冊の奥付に、©Rie Qudanと表記されているにもかかわらず、英語版Wikipediaや各海外メディアで紹介される名前がことごとく「Rie Kudan」であることに、驚いています。
九段理江のアルファベット表記はRie Qudanであり、それ以外の名前を認めるつもりはありません。私はもう二度と、他人の都合で自分の名前を変えさせません。十四歳の時に親の都合で名前を変えさせられたことを許していません。数年前、文學界新人賞の選考委員の一人から、「その筆名の付け方が言葉に対する意識の低さの表われではないか」と指摘を受けたようだと聞き、藤生理江から九段理江へ改名して以降、私は自分の名前を自分の名前以外のもので呼ばれることを許可していません。あなたのようなプライドを持たないコタツ記事のライターにはまず、日本の純文学作家にとってアクタガワプライズがいかにアクチュアルな意味を持ち、日本文学の展望に影響するものかを伝えるべきかもしれませんが、とくに知りたいと思わないようなら補足はしません。またこの賞が、まったく大げさなたとえではなく、本当に作家個人の生死を分け得る重大なファクターとなり得るものであるかを説明はしません。あなたも一度芥川賞を受賞なさるとわかると思いますが、九段理江にはいまそのような時間はありません。受賞してからというもの睡眠薬を使用する以外の方法で眠っていません。あなたにメールの返事を書きながら、同時進行で文學界に寄稿する二〇〇〇字の芥川賞受賞記念エッセイを書かなくてはいけません。受賞者の誰もが通る道であり、こればかりは避けられません。作家には断って差し支えない仕事と引き受けねばならぬ仕事がありこれは明らかに前者ではありません。このエッセイの依頼文には、「テーマ 何を書いていただいても差し支えありません」と書いてありますが、何を書いていただいても差し支えない原稿というものは大手出版社が発行する文芸誌においてまず存在しません。言外の意味を読み取るスキルがなければこの業界ではやっていけません。しかしそういった細々とした事情をCongratulationsの言葉も知らないボケに解説する義理はありません。一方で、何を書いていただいても差し支えないわけないところ、「差し支えない」と書かざるを得ない編集者のお立場もわからないでもありません。
いま私は、「芥川賞を受賞した……」という文脈で「九段理江」が紹介された様々な媒体を目にしながら、九段理江が九段理江である理由について考えています。
しかし私にはわかりません。誰にもわかりません。いやそんなこともありません。あなたにはわかります。あなただけがわかっている。それでいいです。あなたは私が誰かを知りたいと思っている。私の本当の名前を知りたいと思っている。それでいいのです。なぜならそれが私の求める小説だからです。さてそろそろこのへんで九段理江は、九段理江を九段理江にした文學界に寄せる原稿を書き始めなければいけません。さようなら。何はともあれ、話しかけてくれてありがとう。
Sincerely,
Rie Qudan
九段理江
(初出 「文學界」2024年3月号)