40歳の三文ライター・猪名川は、65歳以上限定のシニア向け婚活パーティを手伝うことに。今日も司会の「マエストロ」鏡原奈緒子は絶好調のようだ。
第二話
一人暮らしには快適な六畳一間も、他人が来ると狭すぎて酸素が薄く感じられる。大学生なら大勢でワイワイやっても許されるだろうが、四十路のおっさんは三人で定員オーバーだ。
「この部屋に来ると、タイムスリップしたみたいな気持ちになるよ」
桑原はそう言って床に寝っ転がった。杉田も「そうだよなー」と同意する。
「いやいや、テレビとか変わってるから」
俺は大学入学から二十年以上、レジデンス田中の同じ部屋に住んでいる。今使っているテレビは三代目だし、カーテンやラグなどマイナーチェンジをしているが、大学時代からの友人には何も変わっていないように見えるらしい。
「この宅飲みも最高に大学生って感じ」
桑原と杉田は年に二回程度、こうして俺の部屋を訪ねてくる。冬はこたつになるローテーブルに、隣のローソンで買った缶ビールや缶チューハイ、ポテトチップスにナッツ類が雑多に並んでいる。
「だいたい、ほかの入居者ってみんな大学生じゃないの? なんでこんなおっさんがいるんだって目で見られない?」
「見られたところで、あいつらは四年で出ていくから気にならないよ」
むしろ二十代後半の頃がキツかった。翳りが見えるレンタルビデオ屋で働いていた俺には、これから何にでもなれる大学生が眩しくて仕方なかった。
三十を過ぎて在宅ライターになってからは悟りの境地である。夜中に宅飲みらしき笑い声が聞こえてきても、「元気だねぇ」と流す余裕がある。
「大学生の頃は良かったよな~。昼まで寝てても授業サボっても怒られないし」
桑原は新卒で入社した金融機関に今も勤めている。年々おでこが広くなっているが、声がでかいのは相変わらずだ。
「ほんとほんと。ケンちゃんがうらやましいよ」
杉田はブラック企業勤務を経て、今は地元の市役所で働いている。三文ライターの俺から見たらふたりとも真っ当すぎる存在だ。
「そんなこと言って、俺みたいにはなりたくないって思ってるだろ」
俺が憎まれ口を叩くと、桑原は「まぁ、結婚しちゃったからな」と笑う。
「やっぱり、子どもがいると、こういう暮らしはできないもんな」
「あれ? 桑原んちの子ども、いくつだっけ?」
そういう杉田は三年前に結婚し、去年子どもが生まれたという。
「上が小一で、下が四歳」
「小一?」
俺は思わず声を上げる。桑原と杉田とはLINEでなんとなく連絡を取り合っていて、こうしたライフイベントについては逐一報告を受けていた。しかし、桑原から子どもが生まれると聞いたのはつい最近のように感じる。バスタオルに包まれていたような赤子が、もうランドセルを背負って歩いているのか。
「女の子なんだけど、黒いランドセルを選んだんだよ。うっかり『女なのに黒?』って言っちゃって、嫁さんに怒られた」
「うわー、俺も気をつけないと」
たいがい家の中にいる俺でも、世の中ジェンダーレスが進んでいるのは知っている。俺だって一昔前なら「男なのに仕事に出ないでぶらぶらしている」と陰口を叩かれていたことだろう。いや、今も聞こえないだけで言われている可能性はあるが。
「二人は結婚相手をどうやって見つけたの?」
「おっ、おまえも結婚したくなった?」
桑原が体を起こしてにやりと笑う。
「たぶんこのへんでも行政主導の婚活事業があるんじゃないかな」
杉田はメガネのフレームを直し、スマホでなにやら調べはじめた。
「いやいや、そうじゃない。おまえたちの話を聞きたいんだ」
俺は結婚じゃなくて婚活に関心があるのだ。両者は似ているようで大きく異なる。
「なんで?」
「仕事で、婚活について調べてるんだよ」
口に出すと大層だが、どんな記事を書くのか具体的な話はまだ出ていない。来週、ドリーム・ハピネス・プランニング主催のシニア向け婚活パーティーを取材することだけが決まっている。
「俺は全然たいしたことないよ。嫁さんが派遣社員でうちの職場にいて、仲良くなって付き合ったって流れ」
桑原が事もなげに言うが、同じ職場の派遣社員と仲良くなって付き合う過程が俺にはさっぱり理解できない。
「杉田は?」
「俺は……うーん、これ、記事とかに書くの?」
この言いづらそうにしている感じ、俺は「書かない」と答えるほかないだろう。
「書かない。絶対に書かない」
「婚活アプリで知り合ったんだよ」
俺と桑原が「マジで」と色めき立つ。
「あんなの全部詐欺だと思ってた」
桑原の気持ちもわかる。俺たちはインターネットが流行りだした九〇年代後半にネチケットを叩き込まれた世代で、実名や写真をネットにアップしてはいけないものだと思っている。ましてや、ネットで知り合った人と実際に会うなんて、隔世の感がある。
「ちゃんと結婚を考えてる人用のアプリだから」
杉田が主張するが、全員が全員そうではないだろう。
「ケンちゃんも登録する? 俺の招待コード入れたらポイントもらえるよ」
「おっ、いいじゃん、やってみたら?」
水を向けられてしまった。
「いや、俺はやめておくよ」
これまでもクラウドソーシングサイトで「マッチングアプリのレビュー記事募集」をたびたび目にしていたが、マッチングアプリに登録するのが嫌でスルーしていた。想像だけでも書けるんじゃないかという悪魔の声は無視した。こたつ記事量産ライターにも矜持があるのだ。
「だいたい、個人情報とか心配じゃないの?」
「たしかに最初は気になったけど、職場でもやってるやつが結構いて、どのアプリが出会いやすいとか教えてくれるんだよ。市役所って職場結婚が異常に多いんだけど、それはパスしたいっていうひねくれ者がこぞってやってたな。俺以外にも二人、アプリで結婚したやつがいるよ」
「そういう場合、親とかに説明するときはどこで知り合ったって言うの?」
「知人の紹介で、が定番かな」
この場合、知人が紹介したのは新婦じゃなくてアプリだが、ウソは言っていない。
「ちなみに、婚活パーティーは行ったことある?」
「うーん、そんなに大層なもんじゃないけど、市のイベントに行ったことあるよ」
アプリもパーティーも経験済みなんて。そんな婚活上級者が身近にいたとは驚きだ。
「すげえな」
桑原も俺と同じような感想を抱いているようだ。
「っていっても婚活パーティーは人数を増やすための動員だよ。田舎だから参加者にそんなバリエーションがないんだ。男は市役所とか農協とか信金に勤めてて、女は実家に住んでイオンで働いてる人ばっかりだったな」
「へぇ~」
杉田が話す婚活パーティーの様子は、俺がこの前参加したドリーム・ハピネス・プランニングのパーティーとそう変わらなかった。
「婚活、楽しかった?」
我ながら適当な質問をすると、杉田は「全然」と首を横に振る。
「だいたい、ゴールが見えないじゃん。大学入試なら一年か二年で終わるけど、結婚なんて何年かかるかわからないし、結婚しない人生だってある。俺はたまたまアプリで知り合って結婚できたけど、ほんとにたまたまとしか言いようがない」
「たまたまねぇ……」
鏡原さんが「本気の出会い」と言っていたのを思い出す。「本気」と「たまたま」には温度差があるが、本気の出会いを果たして、たまたま結婚できた、というのは両立する気がした。
「一応、俺が使ってたアプリの招待コードを送っておくよ」
杉田がスマホを操作すると、俺のスマホがポォンと間抜けな音を立てた。
ドリーム・ハピネス・プランニングのホームページは相変わらず古めかしい仕様で、来週行われる佐北コミュニティセンターでのシニア婚活パーティーを紹介している。まるでボロボロのバス停に最新の時刻表が貼られているかのようだ。
ローソンでも行くかと外に出ると、マンションのオーナーである田中宏が日課の掃除をしているところだった。
「今度、佐北コミュニティセンターでシニア婚活パーティーがあるんですけど、田中さんは来ないんですか?」
「いやぁ、高野さんからも電話かかってきたんだけどさ、ケンちゃんが取材に来るって言うからやめとくよ~」
「別に俺がいたっていいでしょう」
「ああいうのは、知らないモン同士で集まるからいいんだよ。なんつうの? 非日常感?」
まぁたしかに気持ちはわかる。俺だってあの中に知り合いがいたら気まずいだろう。
「普段は偉そうにしてるジジイも、女性の前では全然話せなかったりするからね。それとは逆に、いつもヘコヘコしてるやつが女性にはグイグイ行ったりして。そういうのが婚活の醍醐味なんじゃないかな」
「深いですね」
適当に相槌を打つと、田中宏は「そうだろう」とご満悦の様子だった。
「そういや、広報たにがわにも参加者募集って載ってたな」
「ええっ、市の広報に?」
ここ谷川市は人口四十万人の地方都市。中心駅である谷川駅のまわりはそこそこ商業施設があって栄えている。俺の最寄り駅である佐北駅は谷川駅から三駅離れたところにあり、大学と住宅地ぐらいしかない。そんな佐北コミュニティセンターでやる婚活パーティーが、広報で宣伝するほどちゃんとしたものとは思えなかった。
俺はスマホで広報たにがわを検索し、PDFを表示する。いきいき体操クラブと生け花サークルの広告に挟まれて、シニア婚活パーティーのお知らせがあった。
本気の出会いを求めるアナタへ
六十五歳以上の方ならだれでもOKです。
初めての方もお気軽にどうぞ!
日時 一一月二日(木)一五時~
場所 佐北コミュニティセンター二階ホール
参加費 無料
持ち物 身分証明書
申し込み ドリーム・ハピネス・プランニング(000―0000―0000)
誰も見ていないようなホームページよりも、広報の方がよっぽど集客効果がありそうだ。広報にしっかり目を通しているのなんて年寄りばかりだろうし、ホームページより広報に力を入れる方向性は間違っていない。
だけどこの前のパーティーに来ていた同世代のやつらがどうしてパーティーを知ったのか、依然として謎である。
「ていうか、参加費無料なんだ」
若者からは五千円徴収するくせに、年寄りは無料。これも若者が選挙に行かないせいだろうか。
「これは市が補助金出してるんじゃない? 佐北コミュニティセンターって市の施設だし」
「そういうものなんですかね」
いまいちこのビジネスの内情……というか、ドリーム・ハピネス・プランニングの経営状況が見えてこない。そんなに儲かっていなそうなのに、あのホームページが市民権を得ていた時代から長く続いているのは事実である。
「ドリーム・ハピネス・プランニングの経営がどうやって成り立っているか、ちょっと気になっちゃって」
田中宏は持っていた竹箒を抱え込んで腕を組む。
「そうだよなぁ、俺も高野さんとは知り合って間もないからわかんないけどさ、昔はもっと別の事業もやってたんじゃないかな。なんかわかったら教えるよ」
俺は田中宏に「よろしくお願いします」と軽く頭を下げて、ローソンに向かった。
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