- 2024.11.20
- 読書オンライン
石井哲代さん103歳がふりかえる、“山あり谷あり”だった夫婦の時間「私たちには子どもがいませんでしたが…」
石井 哲代,中国新聞社
『103歳、名言だらけ。なーんちゃって』#2
〈103歳、一人暮らし。石井哲代さんが語る「らくに老いる」コツ「体は思うように動かんけれど…」〉から続く
広島県尾道市の山あいの町で、畑仕事をしながら一人暮らしを続ける石井哲代さん(103歳)。足の痛みで入院したり、できることが少なくなったりして気落ちする日もあるけれど、弱気の虫を退治して自分を励ましながら、明るく、機嫌よく生きることを心がけているといいます。
ここでは哲代さんがこれまでの人生経験から得た「自分の心に言い聞かせている言葉たち」をまとめた『103歳、名言だらけ。なーんちゃって』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介します。(全2回の2回目/最初から読む)
◆◆◆
勤め先の小学校の同僚だった石井良英さん(2003年に死去)と結婚したのは1946年のことです。夫婦ともに小学校の先生でした。20年前に良英さんは他界。哲代さんの枕元にはいつも、夫の写真が置いてあります。
「山あり谷ありでございました」
哲代さんは夫婦の時間を懐かしそうに振り返ります。
「わしが大将」という豪快な人
職場には真っ先に出勤して、よう仕事をする人でした。教師として尊敬しておりました。家に帰ったら農作業も一生懸命でね。愚痴なんか聞いたことはなかったです。
人としてもようモテとったじゃろうと思います。「わしが大将」という豪快な人でみんなと飲み歩いた後、うちにもよう連れてきちゃった。同僚の先生が10人以上来られたこともあるん。女の先生もおってケチャケチャおしゃべりしてね。こっちは台所に立ちっ放しでもてなして、片付けも全部するんですから。わたくしも女の先生だよって言いたくなりました(笑)。
感謝の言葉があったか? 何があろうに。あはは。哲代のおかげじゃとか言うようなことがあったら世の中がひっくり返るでしょうよ。亭主関白を地でいくような人でした。
それだけに夫のちょっとした気配りがうれしかったんです。
嬉しかった贈り物
いつだったか電気釜が出始めたころ、一番に買ってきてくれちゃったの。「これでご飯を炊けば早かろうが。起きんでいいけん、らくになろう」って。そのときは「えっ」てびっくりしたんです。それまでは朝早く起きて台所のおくどさん(かまど)に火を入れて朝食とお弁当用のご飯を炊いていましたから。私、その電気釜をどこに置いたと思う? 枕元でございます。寝間の柱のコンセントに差してね。明け方に布団から手を伸ばしてスイッチ入れて二度寝するの。炊き上がったら起きるんです。
横着もんだと思うでしょう? 本当は良英さんが私のために買ってきてくれたんがうれしかったん。じゃから「助かるわぁ、うれしいわぁ」って伝えたかったんですね。良英さんのちょっとした優しさをすごく大きく喜んでおりました。私も単純なんでございます。
ええとこはしっかり見てあげて、気に入らん部分は目をつむるの。それが夫婦が添い遂げる秘訣かも分かりません。なーんちゃって。
でもね、私も若いころは何度か家出を決意したんです。給料がおおかた飲み代に消えるんじゃから、そりゃあ苦労しておりました。
家出の顛末
師範学校のときの友達を当てにして深(三原市深町)のバス停まで行くんじゃが、結局戻るんです。とぼとぼと。だらしないですねえ。毎回、未遂に終わっとるんです。たんか切って出るわけではないけども「もう出て行きます!」って顔して出とるのに、どの顔で帰られようかと思ってねえ。
もうこの人とはやっとられんと腹を立てても、私がいないとこの人は飢え死にするんじゃないか、守らにゃいけんって思い直すんですね。離れた場所で生まれたもん同士がこうして出会わせてもろうたんじゃから。夫婦は腐れ縁と思うようにしておりました。なあ、良英さん。
認めて許して、夫婦をつくる
私たち夫婦には子どもがいませんでした。それで「夫への申し訳なさ」がいつも心にあったんでございます。
子どもができんのは男の人のほうにも原因があるかもしれんって、今じゃあよう聞きますね。じゃがね、当時の私にはそがあなことは分かりません。全部、自分が悪いんだと思っておりました。良英さんがお酒を飲むのも、そのせいじゃないかって。月給を飲み代に使うのも、うさのはけ口だと思うてしまって。立場が弱いっていうかね、強くはよう出なんだんです。仕方がナイチンゲールです。
でもね、良英さんは「そがいに思い詰めんでいい」って言ってくれたことがありました。私のことを責めたり、追い込んだりしたことは一度もなかった。良英さんもやっぱりしんどかったと思います。後継ぎがおらん寂しさや不安を私と同じように感じとっちゃったはず。そんな痛みを分かち合いながら夫婦で年を重ねてきました。そういう連帯感みたいなもんに、私は支えられとったんかもしれんなあと思うんです。
晩年の良英さん
良英さんは晩年、脳梗塞を患って自宅の洋間に置いた寝台に寝ていました。地域の仲間が集う「仲よしクラブ」に行ってくるよって声をかければ「おうおう」って送り出してくれて、帰ったら練習した踊りを踊って見せたこともありましたねえ。終わりに向かうほど良英さんは優しく、まるうなっていった気がします。
自宅で介護を続けていましたが、最期は入院したんです。ルール違反かもしれんけど、亡くなるとき、お酒を少し口に含ませてあげたんです。私の腕に抱いて。そうしたら、あがなええ顔したことないくらいににっこりしてね。こっくんって音までさせて。「早う家に戻ってようけ飲みましょうで」って言ったら、またにっこりして。しばらくして、静かにすーっと旅立っていきました。
あの瞬間のことは忘れられません。つらい顔して逝かれると残されたもんはしんどいねえ。じゃがあの人みたいに元気なときでもえっと(たくさん)笑わん人が、死ぬときになってええ笑顔を見せてくれた。やり遂げたというんかな、救われた気になりました。
「生まれ変わったら一緒になりたいかって?」
この人と結婚して間違いだったかなあと悩んだことも確かにあったん。私の人生をささげたようなもんじゃったから。そうして長年抱えてきたもやもやした気持ちを、ほんまに最期に腕の中でね、全部なくならしてくれたんですね。自分の人生が肯定された気がしました。
夫婦いうんは、最初から完成されとるもんじゃありませんね。時間をかけてつくり上げていくもんじゃなあと思います。ごつごつとぶつかり合ってこすれ合って、一つになっていくというんかなあ。相手を認めて、自分の許容を増やして。ああ、難しいなあ。
え、生まれ変わったら良英さんと一緒になりたいかって? そうじゃなあ、もう一度人生をもらえるなら――。今度は何にも縛られることなく、自由に一人で飛ぶのもええなあ。
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