3月20日、広島県世羅町の「せら文化センター」で、『103歳、名言だらけ。なーんちゃって』(小社刊)の著者である石井哲代さんと中国新聞のふたりの記者(木ノ元陽子さん・鈴中直美さん)による講演会「長う生きてきたからわかること」が開催されました(主催・世羅町、世羅町社会福祉協議会)。当日はあいにくの大雪でしたが、ファンの皆さんが大勢集まり、会場は熱気と笑いに包まれました。盛り上がった講演会の模様(前編)をお届けします。(後編を読む)
――(木ノ元・鈴中) 私たちは哲代さんが100歳のときから取材をしてまいりました。今日はこれまでの取材の成果を皆さんにお伝えできればと思っております。大雪が降ってしまい、会場がガラガラなんじゃないかと心配しましたけれども、こんなに大勢の方にお越しいただきまして、本当にありがとうございます。
哲代 まあ、ほんまに大勢の人ですね。びっくら、びっくらです。
―― じゃあ哲代さんご本人から、自己紹介をお願いしてよろしいですか。
哲代 はい。皆さんこんにちは。大正9年4月29日生まれ。 今年で何歳なのかわからなくなりました。指を折って数えても指が足りません。 何を言うたらいいかもわかりませんが、よろしくお願いいたします。お手柔らかに。
―― いつも私たちが厳しいみたいな言い方するんだから……(笑)。それにしても、とても大きな声ですね。今日は久しぶりに哲代さんにお目にかかって、お元気そうで安心しました。本当にこの声を聞くと安心するんです。
哲代 声のセーブなどはできません。出るだけの声を出すんでございます。もう人生の残りも少のうございますので、 喋りたいだけ喋らせてもらいます。
―― さっきまで緊張して「何を話せばいいんだろう、どうしよう」って言ってましたよね。なんですか、この伸びやかな姿(笑)。
哲代 (会場のある)甲山は、(生まれた町の)上下の隣じゃから、ほんとに懐かしい。呼んでもらって嬉しいです。
哲代さんの元気の秘訣
―― 声の大きさもさることながら、 私たちが取材をしていて一番びっくりするのは、哲代さんの耳の力なんですね。本当によく聞こえてるんですよ。取材をしていても、この方はもうすぐ104歳になる人だっていうのを忘れて話をしてるみたいなところがあります。
哲代 そりゃそうですよね。ひどいことばかりよう聞いてくれて。
―― いつもそうやって人聞きの悪いことばっかり言う(笑)。お喋りもすごいしね。私たちが取材に行ったら、大体どなたかが訪ねてきておられて、いつもお喋りをされていますけれども、喋るのもやっぱり元気の秘訣ですか。
哲代 まあね、 皆さんがそういう風にさしてくださるんでございます。
―― 話し相手がいてのことですもんね。元気の秘訣というと、いろんなことにアンテナ張っていて、 よく新聞も読んでくださっているし。それから算数ドリルとか、漢字の書き取りとか、 脳トレもたくさんされていますよね。
哲代 10円のノートでちゃんとやりおります。
―― 今日は「さんずい」のつく漢字を思いつくままにたくさん書くとか、そういうのをやってらっしゃいますよね。 私たちとよく競争するんですけれども、大抵負けるんで。悔しいわ。
哲代 よう勉強しとりますからね~。
―― 哲代さんのドヤ顔、出ました(笑)。あともうひとつ、元気の秘訣ありますよね。 喋ることの他に、口は何に使うんでしたっけ?
哲代 得意の、食べること。もうこの歳になっても本当にようけいただきます。
―― 本当によく召し上がるのは、私たちもいつも目撃しておりまして。大体お喋りされてるからいつも賑やかなんですけど、ちょっとシーンとするときがございましてね。そういうときは大体お部屋の隅っこで何か召し上がっていますよね。
哲代 へへへ。
―― いりこの味噌汁をご自身で作っていますよね。私たちもよくご馳走になるんですけれども、いりこを乱暴にちぎって、バッと入れてね、出汁をとって。
哲代 いりこも一緒に食べてもらわないと、もったいない。
―― 元気の素ですよね。先ほど脳トレもすごくやっているっておっしゃってましたけれども、私たちが本当に驚かされることのひとつは、この会話のこのテンポ感なんです。
哲代 そうですか。はい、お口チャック、チャック。
―― チャックできないんだから言わなくても大丈夫(笑)。 でも、取材のときは、こういう答えが返ってくるかなってイメージしながら色々質問をぶつけているんですけれども、いつも想定を超える言葉で返ってくるのと、スピードも早いんで、 毎回ふたりがかりでお話を聞きに行っているんです。
哲代 恥ずかしい限りです。 穴があったら入りたいでございますな。
できることもまだまだある
―― 103歳になってからは入院を3回しましたよね。
哲代 やっぱりね、年は争えませんな。
―― 3回入院したことで、それまでのように畑に通って大根を抜いたりするのが、ちょっと難しくなっちゃいましたね。
哲代 したいですがね。
―― したいという気持ちはもう全く枯れてないし、いつも「リハビリするんだ」っておっしゃってますもんね。歩行が難しくなってきても、今まで通りの暮らしをしたいという気持ちは、いつもひしひしと伝わってきます。でも、無理はしたらいけないから。哲代さんが現役で、長―く生きてくださることが私たちの願いなので。
哲代 そうでございますか。そう言っていただけて嬉しいです。
―― できなくなることが増えてきても、哲代さんは落ち込むことが全くないように見えるんですが、元気がなくなっちゃうこともありますか。
哲代 あります、あります。
―― でも、できないことが増えてきても、「できることもまだまだあるよ」っておっしゃるじゃないですか。できなくなってきたっていう変化を、哲代さんはやっぱりすごく冷静に、穏やかに受け止めておられていて。そこが、私たちもすごく勉強させていただいてるところなんですよ。
哲代 そんなにおだてちゃっても何もでませんから。そうですか。恥ずかしいばっかりです。
石井哲代(いしい・てつよ)
1920年、広島県の府中市上下町生まれ。20歳で小学校教員になり、56歳で退職してからは畑仕事が生きがいに。近所の人からはいまも「先生」と呼ばれている。26歳で同じく教員の良英さんと結婚。子どもはおらず、2003年に夫が亡くなってからは親戚や近所の人に支えられながら一人暮らしをしている。100歳を超えても元気な姿が「中国新聞」やテレビなどで紹介されて話題になり、2023年1月に刊行した初めての著書『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』がベストセラーに。
木ノ元陽子(きのもと・ようこ)
1970年、大阪府堺市生まれ。中国新聞社編集局次長。
鈴中直美(すずなか・なおみ)
1973年、広島県東広島市生まれ。中国新聞社報道センターくらしデスク。
103歳、名言だらけ。なーんちゃって
発売日:2024年03月21日
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