総フォロワー数15万人超のSNSで、独自の視点が注目される文筆家・塩谷舞さんが、新著『小さな声の向こうに』を上梓した。社会のなかでかき消されがちな小さな声に耳を傾け、ひたすら美しいものを探求したエッセイ集だ。かまびすしい世の中で、窒息しそうになっていた心を救ってくれたものとは?
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「逃げることは革命」という言葉に勇気をもらった
――アメリカに在住なさっていた頃に書かれたデビュー作『ここじゃない世界に行きたかった』から3年が経ちましたね。
塩谷 「新作、まだ出ないんですか?」という声も度々届いていましたが、この本を完成させるためには、どうしても3年という歳月が必要でした。前作は、母国でぼんやりと生きてきた私が「ここじゃない世界に行きたい」と飛び出した先のニューヨークで、環境や人権といった社会の諸問題と自分の生活が地続きであるということに気がついていき、では自分はどのように生きていくのか? と自問をしていった目覚めの本でもありました。
ただ、識字憂患という言葉があるように、人は多くのことを知っていくほどに悩みが増えてしまうという側面もあります。それに、自分が確かな思考や自我を持ち始めることで、周囲との摩擦が大きくなることもある。その結果前著を出した頃から、ずっと水面下にあったさまざまな問題が大きく膨れ上がり、精神的にかなりしんどい日々が続いていたんです。そんな折にブレイディみかこさんと対談させていただく機会があったのですが、「逃げることは革命」とおっしゃっていて、その言葉には大きな勇気をもらいました。
――そんな時期があったんですね。
塩谷 その後荷物をまとめて、まさに逃げるように日本に帰国しました。ただ、アメリカに引っ越すときは多くの人から期待を込めて「行ってらっしゃい!」「頑張って!」と見送られていたから、道半ばで戻ることには大きな迷いもありました。なにかを辞めるときって、進むとき以上に勇気がいるんですよね。誰も応援してくれないですし。
それに加えて帰国直後は様々なトラブルを抱えていたので、人と会うことも、深い睡眠をとることも難しいような状況でした。エッセイを書くことが仕事なのに、なにも文章が出てこない。当然、そんな状態では収入もなくなってしまう訳で……エッセイストのような心を資本とする仕事は辞めてほかの仕事で食っていくべきだろうか? とも考えていました。
リハビリのように心に感情が戻り始め……
ただそうした中でも、道端の花を部屋に活けてみたりすることで、心は少し前向きになってくれる。人の大勢いる場所に行くのはおっかなくても、小さなギャラリーであったり、音楽会であったり……そういう場には徐々に足を運ぶことが出来るようになっていた。
そうしているうちにリハビリのように心に感情が戻り始め、やっぱり文章を書きたいと欲が出てきたんです。書くことで疲れていた側面もあったけど、やっぱり書くことでしか埋められないものもある。ヴァージニア・ウルフも、書くことをセラピーのように捉えていたようですが、私にとってもまさにそうした側面が大きかったのかもしれません。
新著『小さな声の向こうに』では、美術や音楽、暮らしの話などが出てきますが、その全てに通じるのは小さな声で紡がれる世界の出来事である、ということ。いまの社会、とくにSNSでは強い言葉ばかりが注目を集めやすくなってしまいがちですが、そんな中でも小さな声に耳をすませていきたいんです。そうした行為を通じて、巡り合うことができる人や、つないでいける美しい世界があるはず……と願いながら書きました。
暮らしに宿る文化の古層
――なかでも「暮らしの背骨を取り戻す」という視点が印象的で、とくに「古く美しい暮らしは、なぜ消えた?」という一編では生活空間に宿る文化の古層に光をあてています。
塩谷 日本の古い暮らしのなかで大切にされていたのに、今は失われつつあるもの――たとえば「床の間」は、どうして衰退してしまったのか? という点を掘り下げて書いていったものですね。詳しくは新著に譲りますが、この一編は建築史家、本橋仁さんの『住宅の近代化と「床の間」大正から昭和、起居様式の変化に伴う鑑賞機能の諸相』という論文なくしては成立しませんでした。床の間を廃止しようという運動の中には、実は女性の立場向上、つまりフェミニズム的な思想もあったことなども論文にまとめられていて、それが非常に興味深かったんです。
――加えて現代の日本で、美しい暮らしを作ろうと実践的な取り組みをしている人々に触れていたのも印象的でした。
塩谷 ギャラリストや建築家の方々の活動についてですね。この本の……というか私の執筆活動全体を通してのテーマでもあるのですが、研究者の方々が対峙されているような知の集積と、今を生きる人達の自由な活動の両面を、私自身の視点を通して一つの文章として編み込んでいきたいと思っています。知性だけ、感性だけに偏るのではなく、両方のバランスが取れた文章を書いていきたいな、と。そうすることで、過去から繋がる文化を、今の社会につなげていくこともできるのではないか、とも思っています。
「暮らしを豊かにはぐくむこと」と社会のつながり
――興味深いですね。塩谷さんの「社会につなげる」という意識は、アーツ&クラフツ運動で知られるウィリアム・モリスが、実はアクティビストとしての顔をもっていたという逸話と相通じるものを感じます。
塩谷 ウィリアム・モリスは社会主義を推進したアクティビストでもあり、その思想の是非はさておき、「暮らしを豊かにはぐくむこと」と「社会に意見を述べること」は決して相反するものではないと教えてくれています。
日本でアクティビストというと活動家と訳され、「政治的活動をしている人」というイメージが強くありますよね。もちろん、私たちの暮らしで政治に繋がっていないものはないので、すべての活動は政治的であるとも言えるのですが。
ただ、英語のactivistという単語は「社会的または政治的に達成したいことのために、実践的に取り組む人」といったような広い意味。そうした意味の違いもあってか、ニューヨークでは多くの人がプロフィールにactivistと入れていました。
例えば高齢のモデルを起用することで、若くて長身の人ばかりがモデルとして起用されることにアンチテーゼを唱える〈fashion designer/activist>であったり、自らの店舗で資源を回収するなどの活動を通してゴミ問題を伝える
もちろん、日本でもあえて言葉にしないだけで、確かな志を持って活動をされている方は多くいらっしゃいます。そうした方々の小さな声と対峙し、誇張したり捻じ曲げたりすることなく、適切な形で届けていくことができないだろうか……と模索しながら執筆した本でもあります。
不妊治療をめぐる「身体の声」
――塩谷さんのいう小さな声には、社会でかき消されがちな声のみならず、「身体の声」も含まれています。とくに不妊治療にともなう痛みの記述には、大変驚きました。
塩谷 不妊治療をめぐる私的な話を、紙の本という確実に残るメディアに収録するか否かというのはかなり迷いました。でもnoteでこうした話を書いたときに、若い女性から「塩谷さんのnoteを読んで検査をし、子宮内膜症が見つかりました」という声が届いたり、男性からも「ちっとも知らなかったので、読めて良かったです」という感想が届いたりしたんですよね。
私自身、知識不足で治療に挑んだため大変な遠回りをしてしまったのですが、多くの人が水面下で治療をしているために知識が共有されず、適切な医療に繋がるための道がちっとも舗装されていないのだな……と痛感するようになりました。そこで、産婦人科医の稲葉可奈子先生に内容に医学的な間違いがないかご確認いただいた上で、本書にも収録することに決めました。
ただ、私の体験記を読んだ方が、検査や採卵に対して「そんなに痛いの?」と二の足を踏んでしまったらどうしよう、という懸念もあります。私はかなり苛烈な痛みを経験しましたが、そうではない人も大勢います。だからあくまでも個人の体験記として読んでいただきつつ、他の方々のレビューやデータに目を通すきっかけになればと思っています。
――とても意味のある共有だと思いました。社会における小さな声って、どうしたらもっと他者に伝わると思われますか?
喧騒の中でも、話を聴いてもらうには?
塩谷 それは、とても難しいことですよね。ただ私の中に印象深く残っているのは、子どもの頃にお世話になっていた演出家の言葉です。その先生は劇団員だった私たちに向けて「喧騒の中で、話を聴いてもらうにはどうしたら良いと思う?」という問いを投げかけたんですね。私たちは「身体を精一杯動かしてみる」とか「音楽を鳴らす」といったことを答えていたと思うのですが、先生は「小さな声で話すこと」だと言うんです。そうすれば周りの人は音量を下げ、耳を傾けてくれますよ、と。
まわりが騒がしいから目立とうとして声を張り上げるのではなく、小さな声で話す。そうした真逆のアプローチがあることを知って、子供心にすごく感銘を受けました。
私は20代の頃、インターネットや広告の世界で働いていましたから、バズらせることや、大きな声で宣伝する仕事を任されることも多かった。PV数や、メディア掲載数が評価指標にある世界に身を置きながら、アイデンティティを見失いそうになってしまう瞬間も度々ありました。でも今いるここが世界のすべてではない――小さな声でしか伝えられないものごとがあるはずだと、心を支え続けてくれた言葉です。
――真逆のアプローチ法の話は、目からウロコですね。
「耳を傾ける」側にもスキルがいる
塩谷 小さな声に耳を澄ませる中で気づいたのは、耳を傾ける側にもスキルが必要だということ。ささやかな変化に気がつけるだけの感受性であったり、相手の文化背景にまつわる知識であったり……そうした感性や知性をしっかり育てておかなければ、小さな声を読み解くことは難しいのだな、と。
私の生まれ育った大阪の千里ニュータウンには、正置友子さんという絵本研究者の方がひらいた私設文庫があるんです。正置さんはまさに、小さな声の翻訳家。感性はもちろん、様々な分野への深い造詣をも併せ持ち、絵本という身近な芸術を深く読み解かれている。子育てが一段落した50代になってからイギリスの大学院に留学し、道を開拓していったそのキャリアにも、同じ女性として大いにエンパワメントされています。
正置さんの足跡に比べたら、私はまだほんの入口にたったばかりで、そうした意味では本書もまた「目覚めの本」と呼べるかもしれませんが……。でも3年の歳月をかけて大切に綴ったこの本が、他者の声に耳を澄ませる豊かさを伝えられたならば、これほど嬉しいことはありません。
塩谷 舞(しおたに・まい)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。会社員を経て、2015年より独立。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。文芸誌をはじめ各誌に寄稿、note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。総フォロワー数15万人を超えるSNSでは、ライフスタイルから社会に対する問題提起まで、独自の視点が人気を博す。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)。
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