ふつうにお茶を飲んでても、げーほげほげほ……と咳こんでしまうことはありませんか? もしかしてこれって老いの始まり!? そんな不安を感じている皆さんを勇気づけるロングセラー本があります。鋭い視点のエッセイに定評がある群ようこさんの『よれよれ肉体百科』。『肉体百科』とあわせて累計50万部突破の大人気エッセイシリーズです。
「気管支、老眼、耳鳴りなど、身体56カ所について書かれたエッセイですが、“私は私のままでいいんだ、安心する” “年齢を重ねてきた自分を誇らしく思う” など、読者から感想を沢山頂いています。40代の私自身も、とても励まされました」と、担当編集者のIさん。体が思うように動かなくなってきたら、この本を読んで笑ってモヤモヤを吹き飛ばしましょう。本書の中の1篇「顔の影」を特別公開。
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写真撮影のときに、おじちゃんはそんなに考えないと思うけれど、おばちゃんがとても気になるのはライティングである。中高年の女優がテレビに出演する際、彼女専門の照明係がいるとか、特別な照明設備が必須といわれているが、普通のおばちゃんでもライティングは重要なのである。
自分の顔が「子泣きじじい」に見えた瞬間
私の場合、取材を受けると、そのほとんどに写真撮影がある。私は取材が苦手なので、たいがいお断りしているのだが、数少ない取材でも、カメラマンが熱心に、日光や室内の明るさを考えて撮影して下さった。しかしなかには頭上から蛍光灯の光が当たっているのもかまわず、撮影するカメラマンもいた。内心、大丈夫かなと思ったのだが、やっぱり大丈夫じゃなかった。もとがもとなので女優並みに撮影してくれとはいわないが、せめて頭上から光が当たった写真は撮って欲しくなかった。すべての顔のパーツの下に黒い影ができて、顔の肉が垂れているように見え、子泣きじじいみたいになってしまうからなのだ。
プロに写真を撮影してもらうような立場になった三十六年間で、若い頃に一回、そして五十代も半ばすぎになって一回、
「子泣きじじいじゃないか」
と自分の写真を見てびっくりさせられた。素人写真ならともかく、プロが撮影して「子泣きじじい」なのである。もしかしたらこんな顔になってしまったのではないかと、鏡で確認したほどだ。三十六年間で二回というのは少ないかもしれないが、たとえばお世辞であっても、同じ写真を十人に褒められたとする。しかし自分がそれを子泣きじじい写真と認識すれば、それは大ショックなのだ。十人の褒め言葉なんぞ、簡単にふっとんでいく。それでもまだ若い頃の子泣きじじいは、そのときはショックでも、後から見るとまだ肌に張りがあるので、かわいげが残っているけれど、中高年になってからの子泣きじじいは、どこからみても妖怪になるのが恐ろしい。
「私、老けてる!」家族の記念写真で受けた衝撃
私の四十代後半の知人女性には、小学生の子供が二人いる。上の子供が生まれたときから、一年に一度、写真館で家族写真を撮影し続けている。幸せな家庭はこういうものだと、
「それは記念になっていいわね」
といったら彼女が、
「それが最近、いやでたまらないんです」
と顔をしかめた。夫は記念になると喜んでいるだけだし、子供たちは緊張しつつも、ふだんと違う自分たちの姿を楽しんでいるようだ。しかし問題は母の立場の彼女なのである。
「最初は初めての子供が生まれて、女の子だし記念写真を撮影するのがうれしくてたまらなかったんです。そのためにかわいい服も買ったりして。下の子が生まれると、男の子なのでそれなりにかわいくて。撮影のときも、どれだけ子供たちをよく撮ってもらえるか、そればかりを考えていたんです」
それは母としての当然の気持ちであろうと私はうなずいた。
「でも、今は違うんです」
子供たちが幼いときは、何をさておいても子供が優先になった。ところが四年前、出来上がった記念写真を見て愕然とした。それまでは何とも思わなかったのに、急に、
「私、老けてる!」
と認識したというのだ。子供の成長と共に、親が歳を取るのは当たり前だが、彼女は、
「歳を取ったんじゃなくて、明らかに老けていたんですっ」
といい放った。たしかに前に比べれば、ちょっと皺も増えたし、顔だってたるみ気味になった。それは五十代を目前にした世の中の人、ほとんどがそうなのだ。衝撃を受けた彼女は、よせばいいのにこれまでの記念写真を、ずらっと並べてみた。そこで二重にショックを受けた。
「自分が鏡を見たときに、老けたと感じるのと、記念写真で毎年、見せつけられるのとでは全然、違うんです。その残酷さといったらないんです」
生物は老いるものであるから、それは仕方がないのではと慰めても、
「絶対にいやだ」
と彼女はいう。自分が想像していたよりも、老ける度合いが早かったのが、我慢できないというのだ。
不満爆発の彼女が取った行動
そして彼女は思い切った。記念撮影のときに、子供を切り捨てたのである。それまでは、
「子供たち、かわいく写ってますか」
とカメラマンに何度も確認していたのに、衝撃を受けてからは、子供なんかどうでもよくなり、どうやったら自分が若く細く写るかだけを考えるようになった。なるべく細く見えるように、椅子に座った子供たちの脇で、体を正面に向けずに斜に構え、顔もむきだしにならないように横向きにしていると、
「お母様、もうちょっとお体とお顔をこちらに向けていただいて」
とカメラマンに指示される。しかしそれも頑としてつっぱねるので、撮影時にはカメラマンと攻防が繰り広げられる。
「でも記念写真って、みんなのありのままの姿を撮影するものでしょう」
私がそういうと、彼女の顔は暗くなり、
「そのありのままの姿っていうのが、いやなんです。もう記念写真なんてやめたいです。これ以上、自分が老ける姿を延々と晒し、おまけに末代まで残すのはいやです」
夫の反応
自分の気持ちを夫にぶつけると、
「そんなことないよ、よく撮れてるよ」
といってくれた。いい夫である。
「よく撮れてるわけがないです。あの人はそういわないと、どうなるかがわかっているから、私の機嫌を取ろうとしただけですよ」
記念写真は室内できちんとライティングしてくれるので、顔の影はできないけれど、陰影が感じられない、のっぺりとした特殊な写り具合になる。それが写真館で撮影する、記念写真の王道といえなくもない。
「私の顔、ただでさえ凹凸がないのに、真っ平らに見えるんです。ヘアメイクもしてもらったのに、写真をみると明らかにしみ、皺、たるみの顔の変化がわかるんです。絶対に二割方、顔もたるんで太って見えるんです!」
カメラマンの腕がいいのか悪いのか、私にはわからない。ただ私より若い世代は、プロに写真を撮ってもらうとなると、まずファッション雑誌のグラビアを、思い浮かべてしまうのではないかと思う。
家族と一緒の喜ぶべき記念写真でも不満が爆発。被写体をどう写そうかと考えるよりも、とにかく写真を撮れば仕事が終わると、カメラマンがライティングを無視して撮影すると、目の下、頰の下に影ができて、子泣きじじいができあがる。更年期の女性はどうやって写真に写ればいいのだろうか。現実を見よという声もかすかに聞こえるが、それも含めて、
「何と難しいことよ」
と私はため息をついたのである。
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