〈池井戸潤インタビュー「箱根駅伝中継の舞台裏にあったドラマ」を掘り起こすまで〉から続く
いよいよ発売となった池井戸潤さんの最新作『俺たちの箱根駅伝』。「週刊文春」連載時から話題沸騰の重厚な作品を、池井戸さん史上初となる単行本上下巻組で展開します。
発売を記念して、池井戸さんに創作秘話をたっぷり伺うインタビューを敢行! 物語の種はどこから? なぜ箱根をテーマに? などなど、池井戸ファンはもちろん、「池井戸作品はじめの一歩」を踏み出すあなたにも、必読の全3回です。
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セオリーはない。ならば、自由に想像できる
――駅伝ランナーたちの物語を書くにあたって、どんな取材をされたのでしょうか。
池井戸 ある大学の陸上競技部の監督を訪ね、学生たちが普段、どんな日常を送っているかを伺いました。本当に親切に教えていただき、大変助かりました。
それまで、駅伝のチームには、共通した練習方法や寮生活、チーム内の雰囲気やルールがあるんだろうと思っていました。
でも、そうじゃなかった。各大学それぞれに練習方法やルールがあって、カラーがある。寮ひとつとっても様々で、有るところもあれば無いところもあるんですね。それぞれのチームの事情や環境をふまえ、より速く走るために、強くなるためにどうすればいいのかと各チームが知恵を絞っている。ものすごく手作り感があるんですね。逆にいえばそれは、僕が自由に想像して書く余地があるということです。
――学生側の主人公となるのは、明誠学院大学の4年生・青葉隼斗。この架空のチームを中心に物語は進行していきます。青山学院、早稲田、駒沢、東洋など実在の学校とのやり取りに、リアリティーがありますね。
池井戸 熱烈なファンの多い箱根駅伝ですから、やはり架空の大学だけではもの足りないだろうと思います。ですが、前述したような理由で、舞台となるチームやライバルたちは架空の大学ということにしました。
物語の中にはかなり破天荒なランナーも登場しますが、箱根駅伝と、それに挑む選手たちへのリスペクトは絶対に忘れないようにしようと肝に銘じました。ここに登場する全ての人物は、本当に生きている人と同じです。なにかを心に抱え、悩み、なにかと戦いながら生きている。それぞれの登場人物が紡ぎ出すドラマに光を当てようと考えました。
うまくいかないレースほど書きやすい
――1冊まるまる、箱根駅伝の本選レースが描かれる下巻。10区間、217.1キロを走るレースを想像で書くのは大変な作業だったと思われます。事前に「どこで何が起こる」というような設定はされていたのですか?
池井戸 断片的なイメージのようなものはありますが、予定調和にはしたくないので、あまり詳しい設定はしません。
小説で大切なのはまず、世界観というか枠組みなんです。それさえしっかりしていれば、物語は自然に動き出していきます。プロットを立て、その場その場で起こることを最初に準備しておく書き方では、どうしても辻褄合わせのようになってしまい、結果、展開が嘘っぽくなる気がします。だいたい、人間の頭で1000枚もの長大なストーリー展開を、書く前に網羅できるわけがない。書いていれば必ず、想定していなかった登場人物の動きやセリフが飛び出して、物語は予想外のほうへと動いていきます。小説は生き物と同じなんです。自分もランナーと同じように走りながら書いていくほうがいいと思っています。
何が起きるかは、それを書くときに「考える」というか、「わかる」感覚です。勝手に進んでいく。物語の次の展開は、物語が教えてくれる。伏線も考えて張るのではなく、それまでに書いていたことが後になると、最初から考えて張った伏線のように回収されていきます。たまに書いている本人が驚くような展開もあって、決して予定調和になりません。
――まさに“筋書きのないドラマ”に。
池井戸 書き始める前、「こんな場面があったらいいな」と勝手なイメージを膨らませていたものもありましたが、そうは問屋が卸さないとばかり、連載中、6区を終えた時点で在庫が尽きました。箱根駅伝というスケールの前に、うっちゃられた感じです。
でも、とにかく書き続けなければならない。ショー・マスト・ゴー・オンです。ランナーは1区走ったら終わりですが、僕は10区を独走です(笑)。7区から先は、真剣勝負で小説と向き合う展開で、こんなに気力と体力を使った小説ははじめてかもしれません。
――書いていて気分が乗ったのは、どの場面ですか? 逆に、難しかったのは。
池井戸 トラブルやアクシデントが起こる場面は、書いていても面白いですよね。難しいのは案外、優秀なランナーが調子よく走っている場面だったりします。
あとは、屈折していたり悩みを抱えたりしている人物も書きやすい。小説は、善人や、成功していて順調な人を書くよりも、苦労していたり失敗したり、うまくいかない側の描写のほうが圧倒的に書きやすいです。きっと、その人の背負ったものや心の中の葛藤が、書き手の興味をひくからだと思います。それは同時に、読者が読みたい場面でもあるはずです。
天才監督の言葉は“刺さる”?
――レース中のアクシデントなど、ランナーにとって苦しい局面で響いてくるのが、監督・甲斐真人の声です。「ひとりで戦ってるんじゃないぞ」「仲間を信じろ」「お前がやるべきことは、自分に誇りを持って走る、ただそれだけだ」など。
池井戸 天から声が降ってくる感じですね。天才肌で、ちょっと現実離れしていて。
――陸上競技部OBで一流商社に勤務していたものの、「本当に信じられるもののために働きたい」とグラウンドに帰ってきた異才の人。「現状を疑え」「考える力は、打開する力になる」「本気で戦わないレースからは何も得られない」など、ランナーだけでなく多くの人に“刺さる”言葉を発します。
池井戸 他のキャラクターと違って、彼が自分を語る場面はほとんどありません。そうすると彼の何というか……神々しい部分がなくなってしまうから。なので、彼の発した言葉や、周囲の人物が彼の背景を語ることで、甲斐というキャラクターを浮き立たせています。あえて言うなれば、“聖書方式”ですね。弟子たちが伝える言葉で神が輝くという。
でも、そういう台詞も、あらかじめ用意しておいてどこかで言わせようというやり方では、やっぱりダメで。キャラクターを生かすためには、それに応じた生っぽい台詞が必要なんです。そういう台詞が自然に出てくるときは、たいていその小説はうまく書けています。そうじゃないときもありますけどね。
(取材・構成/大谷道子)
(#3に続く)
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