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この春、この本で読むべき池井戸潤の小説

この春、この本で読むべき池井戸潤の小説

村上 貴史

TVドラマ化『花咲舞が黙ってない』解説 #2

出典 : #文春オンライン

この春、池井戸潤作品が熱い――花咲舞の物語、東京第一銀行の物語〉から続く

4月13日からスタートのドラマ『花咲舞が黙ってない』

 今田美桜が演じる花咲舞が、大手銀行を舞台に不正を見逃さず、弱い立場の人たちのために立ちあがる痛快インターテインメントだ。

 放送を記念して、池井戸潤の原作『花咲舞が黙ってない』(中公文庫/講談社文庫)と『不祥事』(講談社文庫/実業之日本社文庫)に収録されている、文庫解説を全文公開する。(全3回の第2回)

『花咲舞が黙ってない』(講談社文庫)

不祥事

 ときは二十世紀の終わり頃。

 東京第一銀行事務部臨店指導グループに、ひとりの女性がいた。

 ときとしてぶちキレることから“狂咲”との異名を取る花咲舞である。

 極めて有能な銀行員ではあるが、彼女には、上司を上司と思わない言動も多々あった。その点では“問題社員”である。しかしながら、銀行を良くしようというまっすぐな気持ちは人一倍強い。銀行内部でのみ通じる価値観やロジックに蝕まれておらず忖度なしに突っ走るので、一部の人間からすると煙たくて仕方がないのだが、その想いは本物なのだ。

 そんな花咲舞が、上司である臨店指導グループ調査役の相馬健とともに、いくつもの謎を解きつつ、大きな“敵”と闘う姿を描いた小説が『不祥事』だった。

 本書『花咲舞が黙ってない』は、その続篇である。続篇とはいえ、もちろん単体で読んでも愉しめるように書かれているのでご安心を。

花咲舞が黙ってない

 花咲舞が所属する臨店指導グループとは、事務処理に問題を抱える支店を訪問し、指導を行う部署である。所帯は小さく、事務部次長の芝崎をトップとし、実際に現場に足を運ぶのは相馬と花咲という三人体制だ。

 本書で最初に相馬と花咲が訪ねるのは、赤坂支店である。顧客の内部情報が東京第一銀行から外部に流出しているのではないかとの疑いがあるのだ。それが事実なら大問題である……。

 第一話「たそがれ研修」で相馬と花咲は、臨店指導という名のもと、情報漏洩の犯人を特定すべく動く。関係者を訪ね歩き、証言を求め、さらに別ルートでも情報収集を進め、そして考えるのである。さながら探偵のように。そう、この短篇は、銀行と取引先を舞台とする短篇ミステリとして愉しめる構造になっているのである。もちろん構造だけではなく、解明に到る道筋もきちんと作られている。短篇ミステリとしての驚愕、つまり見えなかったものが見えてくる瞬間の衝撃が、しっかりと宿っているのだ。しかも、驚愕と衝撃の先には、ある人物の物語が浮かび上がってくる様に書かれている。人間ドラマとして、その“物語”と対峙する花咲舞を含め、魅力的な一篇なのだ。

 短篇ミステリとしての読み応えという点では、第二話「汚れた水に棲む魚」も素晴らしい。花咲舞の銀行員としての有能さが、事件の謎を解くうえで有効に機能しているのである。これぞ銀行ミステリ、だ。

 

 その花咲舞の探偵眼は、第四話「暴走」でも発揮されている。彼女は手掛かりに潜む不自然な点に着目し、そこから“なにがあったか”に推理を拡げていくのだ。この不自然な点(花咲舞が着目した点)から結果(つまり事件として目に見えるかたち)までの飛距離が素晴らしい。ミステリファン要注目である。

 その探偵眼の使い方も適切だと感じさせるのが第五話「神保町奇譚」だ。ある銀行口座において、持ち主の死後もお金の出し入れがあったという奇妙な出来事の真相を追う作品なのだが、実に佇まいがよい。保身やら出世争いやらではなく、誠実さが作品の中心に宿っているのだ。もちろん犯罪も作中に存在しているのだが、それでも伝わってくるのは、人の誠実さである。舞台設定も含め、素敵な短篇だ。第五話がこうした味わいを備えられたのは、主な登場人物たちが銀行の外側の人々だったことが理由なのだろうか。つらつらとそんなことを考えさせられたりもする。“突撃一辺倒”ではない花咲舞の一面も知ることができて嬉しい。

 こうした具合にミステリとして魅力的な短篇の並ぶ『花咲舞が黙ってない』は、短篇を重ねつつも、全体としては一つの大きな物語になっている。前作の『不祥事』もそうだったし、『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』や『シャイロックの子供たち』『七つの会議』など、池井戸潤が得意とする連作短篇のスタイルだ。

 このスタイルの特徴は──特に池井戸潤がこのスタイルを用いる際の特徴は──それぞれの物語のページ数は短篇パートと長篇パートで当然ながら違うが、登場人物一人ひとりには、しっかりと重みがあるという点である。短篇パートに軸足を置く人物も、長篇パートに軸足を置く人物も、それぞれが確かに生きていると読み手に伝わってくるのだ。そこに相違はない。その人物を小説としてどう切り取るか、どう見せるかが異なるだけだ。だからこそ、短篇も心に刺さるし、その積み重ねである長篇も胸に響くものとなるのである。ちなみに本書では、第六話と第七話を、それまでの五話より長めの作品とすることで、より長篇としてのクライマックス感を味わえるようになっている。これは、新聞連載の途中で「もっと連載を続けて欲しい」と要望されたことの副産物ではあるが、結果としては、全体として嬉しい進化となった。

 そんな具合に長篇として進化した本書は、もちろん、長篇ミステリとしての刺激を宿している。とりわけ第六話「エリア51」から第七話「小さき者の戦い」で示される問い(具体的には三九二ページ)の凄味は極上。目の前にありつつも、それが謎であることに気付かなかったことを思い知らされるのだ。ゾクゾクする。そこから先の決着は、人間関係も含めてそれまでの伏線をしっかり活かしたものとなっており、満足度は極めて高い。

 そんな長篇を花咲舞とともに支えるのが、東京第一銀行企画部の特命担当調査役、昇仙峡玲子である。本書で初登場したキャラクターだ。彼女は、いってみれば銀行のダークサイドに属する人物として登場した。なにしろ彼女が上司から指示された“特命”とは、銀行の不利益を探し出して潰し、潰せなければ永遠に隠すという仕事なのだ。つまり、銀行を良くする、という花咲舞の想いとは、正反対の役割なのである。もちろん、玲子はその任務を命じられるほどに有能だ。そんな二人の女性が本書をグイグイと引っ張っていく。冷たい/熱い火花を散らしながら。ページをめくる手が止まるはずもない。

 また、そうしたストーリーのなかで玲子の人となりが少しずつ理解できていく愉しみも味わえる。さらに、そうして理解が深まるタイミングと、本書のクライマックスが同期するという造りは、いやはや流石に池井戸潤。お見事である。

半沢ロス

 本書が刊行される二〇二〇年といえば、池井戸潤原作のTVドラマ『半沢直樹』(新シリーズ・主演:堺雅人)が、前作に引き続きお化けのような人気を博した年でもある。七月から九月まで、令和で最高の視聴率で人々を魅了したことは記憶に新しい。

 その放送が終了し、いわゆる“半沢ロス”に陥っている方も少なくないと思うが、そんな方にも本書はお薦めだ。というか──ロスの今だからこそ、本書を読むべきである。

“半沢ロス”に陥るような方なら、香川照之演じる大和田暁のライバルとして登場していた紀本平八(段田安則)という常務取締役のことをよく覚えていらっしゃるだろう。その紀本常務が、本書では東京第一銀行の企画部長として重要な役割を果たしているのだ。どれほど重要かは、前述した昇仙峡玲子への隠蔽指示を出したのが他ならぬこの紀本だと書けば伝わるだろう。そんな彼が東京中央銀行の常務に出世するまでに銀行員としてなにを行ってきたのか、そしてこうした指示を出すに到る背後にどんな想いがあったのか。それを深く味わうという愉しみは、“半沢ロス”の方々ならではの特権といえよう。

 そればかりではない。やはり『半沢直樹』(新シリーズ)に登場した牧野治(山本亨)も、本書に登場している。彼は本書において、東京第一銀行の頭取として、一つの極めて重大な決断を下している。『半沢直樹4 銀翼のイカロス』もしくはTVドラマ『半沢直樹』を通じて彼の最後を知っている方にとって、本書で牧野が下した決断は、より深いものとして心に刺さってくるであろう。本書は、牧野が、あの最後に到る道を歩み始めた第一歩を描いた作品でもあるのだ。これもまた是非味わって戴きたいポイントである。

 まだある。

“半沢ロス”に陥った方は、おそらく、本年九月に刊行されたシリーズ第五作『半沢直樹 アルルカンと道化師』に救いを求めたのではないかと思う。それによって渇きを癒やすと同時に、シリーズの新たな魅力にも気付いたのではなかろうか。江戸川乱歩賞を受賞してデビューした池井戸潤が、ミステリ作家としての才能を注ぎ込んだ、ミステリとしての魅力である。そして、この『花咲舞が黙ってない』も、前述したように、ミステリとしての魅力をたっぷりと備えているのだ。

 目の前にある疑問。どんな角度から凝視しても解けない謎。ところが、そこに図形問題でいうところの“補助線”を一本引くだけでパッと視界が開け、真相が見えてくる。そうした鮮烈な刺激が、本書のそこかしこに宿っているのだ。その“補助線”を、花咲舞は銀行員としての知識で見つけ、あるいは足で見つけ、あるいは忖度しない心で見つける。そんな彼女の“探偵っぷり”を愉しめるのだ。そしてそれと同時に、花咲舞が辿りついた真相を潰そうとする紀本・昇仙峡ラインに代表される組織内権力の怖さも、併せて実感することになる。この複雑な美味を、とことん堪能して戴ければと思う。

 本稿では、“半沢ロス”の今だからこそ本書を読むべき理由について、三つほど記させて戴いた。この『花咲舞が黙ってない』を探せば、さらに理由が見つかるはずだ。読了された方なら、もうおわかりだろうが。

犬にきいてみろ

 さて、花咲舞の初登場作『不祥事』の刊行は二〇〇四年(最初の短篇が雑誌に掲載されたのは二〇〇三年)だった。続篇となる『花咲舞が黙ってない』が読売新聞に連載されたのは、前述の延長も含め、二〇一六年の一月一七日から一〇月一〇日にかけてのことであり、中公文庫から刊行されたのは二〇一七年九月であった。おおよそ一三年の間隔を空けて、続篇が発表されたことになる。

 その間には、皆様ご存じの通りTVドラマ化が行われた。前作『不祥事』刊行から一〇年後の二〇一四年に『花咲舞が黙ってない』(主演:杏)として放送され、翌年には第二シーズンも放送されるほどの人気だった。その第二シーズン終了後に新聞連載が始まり、さらに小説『花咲舞が黙ってない』の刊行へと到るのである。つまり、このタイトルは『不祥事』のTVドラマの題名として先に誕生し、それを、『不祥事』の続篇の小説が採用したという流れなのだ。少々入り組んでいるが、誤解なきよう。

 そうした来歴で世に送り出された『花咲舞が黙ってない』は、今回講談社文庫での刊行にあたり、もう一段階進化した。二〇一〇年一一月から翌年六月にかけて日本金融通信社『ニッキン』に連載され、その後大幅に改稿、電子書籍(Kindle Single)として刊行された短篇「犬にきいてみろ」が巻末に収録されたのである。これもまた一人の男の成長と、ダイイング・メッセージ的な謎解きの両方に花咲舞が関与するという一篇で、本書にしっくりと馴染む小説である。

 結論。

 本書は、ミステリとして、人間ドラマとして、池井戸潤の小説を読む満足感を十二分に与えてくれる。

 本書は、“半沢ロス”の今だからこそ深く味わえる愉しみを備えている。

 本書は、「犬に聞いてみろ」を未読ならば特に、“この本”で読むべきである。

 そんな一冊なのだ。

2020年12月
(むらかみ・たかし 書評家)

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