〈池井戸潤・創作の秘密「レースも小説も、筋書きなしで」〉から続く
いよいよ発売となった池井戸潤さんの最新作『俺たちの箱根駅伝』。「週刊文春」連載時から話題沸騰の重厚な作品を、池井戸さん史上初となる単行本上下巻組で展開します。
発売を記念して、池井戸さんに創作秘話をたっぷり伺うインタビューを敢行! 物語の種はどこから? なぜ箱根をテーマに? などなど、池井戸ファンはもちろん、「池井戸作品はじめの一歩」を踏み出すあなたにも、必読の全3回です。
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背景とセリフで構築する“スーパー群像劇”
――ランナーにスタッフ、テレビ局の関係者と、心情や背景が描かれる主要な登場人物は、ざっと50人近く。名前だけ紹介される人物を合わせると140人以上が登場しますが、書いていて混乱しませんか?
池井戸 そういう“スーパー群像劇”、好きです。これまで書いてきた作品も常に50、60人くらいは登場していたはずで、今作だけが特別じゃない。たくさんの人物を書き分けるのはとてもスリリングで興味深い創作です。
混乱なく読んでもらうためには、名前に特徴があったり、言動が印象的だったり。ひとりひとりに印象的なエピソードなどをきちんと書く必要があります。そういう肉付け作業がおもしろいですね。
――確かに、数々いるランナーたちも、「箱根好きの祖父に育てられた子だな」とか「名前が晴なのに雨に強い」など、知らずに知らずのうちに覚えてしまいます。
池井戸 背景とセリフがキャラクターを形成すると考えていますが、とくにセリフが大事だと思っています。どんなしゃべり方をするかも含めて、読者の心の整理棚にきちんと収まるように気を配っています。
一方で、背格好とか、どんな服装をしているとか、外見のことはほとんど書いていません。あるとき、別の作品をドラマ化しようとしたテレビ局の方が、「登場人物の外見を小説から拾おうとしたら、ほとんど書いてなくてびっくりした」と言っていました。読んでいると想像で補っているから気がつかない方が多いんですが、実際に書いてないんです。むしろ、意識的に書かないようにしている。読者の皆さんが、それぞれの経験にそった想像力でイメージを造形してくれたら、それが一番うれしいです。
青春のラストラン。それでも、人生は続く
――書き上げて、あらためて実感した箱根駅伝の魅力とは?
池井戸 名だたる学校が競う伝統のレースでありながら、本当に何が起こるかわからない予測不可能なドラマだということでしょうか。何しろ、10人のランナーがおよそ20キロずつ走るというレースというのは他にはありません。特別なレースなんですよ。そこでタスキを繋ぐだけでも大変な偉業で、だからこそ想像を超えた感動も生まれるわけですね。他にはない魅力だと思います。
――小説の中でもそうですが、箱根駅伝を最後に競技人生を終えるランナーも多くいます。青春のひとつのピークを見届ける感もありますね。
池井戸 考えてみると、ラストランで、あそこまでの大舞台が用意されている若者って、ほとんどいません。自分にそんな瞬間があったかというと、やはりなかったわけで……。私に限らず、ほとんどの人がそうでしょう。そういう意味では、結果はどうあれうらやましい限りです。
もうひとつ、箱根駅伝では、優勝チーム以外はみんな“敗者”になります。つまり敗者の物語でもあるわけで、そこも美しい。私たちの心に刺さる所以です。
――作中でも、テレビマンのひとりが、「青春を賭して挑んだ若者たちが敗れ去るその姿にこそ、人間ドラマがある」と語ります。
池井戸 敗退して本選に出ることすらできなかった人たちにも、当たり前ですが人生がある。この本を、箱根駅伝が行われる冬ではなく4月に出すことにしたのも、そのためなんです。
春は、入学や就職で新しい出発をする人たちがたくさんいます。でも、誰もが第一希望の場所からスタートできるわけじゃない。心のどこかで「本当はここじゃなかったんだけどな……」と思っている人は、たくさんいると思います。この小説に出てくるランナーたちも、そうした結果を受け入れるという意味では同じです。望んだものではない、第二希望の選択肢しかない。それでも前を向くんだという若者たちの物語は、春という季節にぴったりです。
作家も、もっともっと挑戦しなければ
――最後に、甲斐監督の台詞の中で印象的なのが、勝敗を左右するポイントとして選手に語る「メンタルが七割」があります。これには、何か裏付けがあるのですか?
池井戸 残念ながらありません。でも、真実かどうかの小説は要らないと思います。問題は読み手に納得してもらえるかどうかですから。
――なるほど。では、作家のメンタルはいかほどでしょう。
池井戸 同じかも。でも、そのメンタルはしょっちゅう揺らぐ。小説を「よし、書くか」と決意するまで随分と長かったり(笑)。そしてメンタル以外に必要なのは、やっぱり体力ですね。今回も、『俺たちの箱根駅伝』を書き終えてから半年間グッタリしてしまい、次の小説を1枚も書けませんでした。
あとは、絶えず挑戦するメンタルも大事だと思います。たとえば、もっと売れる小説を届けたい、とか。最盛期の『少年ジャンプ』と同じくらい、受け入れられるような小説があるとすればどんなものだろう、とたまに考えたりします。こういうプラス思考は創作の原点になり得ると思います。
――『少年ジャンプ』! 最盛期は653万部です。
池井戸 そうですね。日本だけでも1億2000万人以上の人がいるんだから、たとえば100万部ぐらい売れたって不思議じゃないはずなんですよ。実際マンガは売れているでしょう。ならば小説だって売れるはずです。そもそも小説は、エンタテインメントのひとつのコンテンツとして、大きな可能性を秘めているんですから。
ただ書店がどんどんなくなっていることを考えると、これまでのやり方では通用しないことは明白です。必要になるのは、今までにない新しい工夫と挑戦なのだと思います。
(取材・構成/大谷道子)
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