北方謙三さん14年ぶりの現代小説『黄昏のために』刊行を記念して、北方作品の愛読者であるカズレーザーさんとの対談が実現しました。「ハードボイルドの流儀」に肉迫する濃密な語らいをお届けします。(写真:原田達夫)
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最寄り駅のハードボイルド
カズ 北方先生と最初にお会いしたのは、二〇一六年のテレビ朝日さんの『アメトーーク!』という番組の「読書芸人」の回でしたね。
北方 カズさんたちが神保町の三省堂書店でロケをやっている日に、ちょうど私のサイン会があったんですよ。それで、書店の人が「不意打ちしましょうよ」と悪戯をもちかけてきて。
カズ ロケが終わって下の階に降りていったら、怖そうな方がこっちに背を向けていらっしゃったので、たまにロケで遭遇するおっかない人かな、ロケを追っかけてくるだけじゃなくて、三省堂の店内まで入ってくるって、相当、地元で幅を利かせてるとんでもない人なのかなと思ったら、北方先生だったんです。そこでごあいさつさせてもらって。
北方 私だとわかったカズさんが、「駄目だ、どうフォローしていいかわからない!」と叫んだのをよく覚えています(笑)。
カズ 叫んだだけじゃなくて、ちゃんと本の感想も言わせてもらいましたよ(笑)。今日も先生の新刊『黄昏のために』を読んできました。すごいハードボイルドなんだけど、そもそもハードボイルドって何だろうとあらためて考えたんです。僕はハードボイルド作品をたくさん読んできたわけじゃないんですけど、イメージとしては、手に汗握るとか、命の取り合い、切った張ったの世界、男臭くて、銃弾とか、いろんなアイテムが出てきそうですよね。でも、先生の新刊はそれらのアイテムを極限まで減らしていって、最後、男とお酒ぐらいしか残っていない。それでもやっぱりハードボイルドなんだと感じられたのが、僕には衝撃的だったんですよ。
北方 ハードボイルドの定義ってないんです。私が書けばハードボイルドになる。
カズ 定義ってないんだ……。物語に出てくる場所も、どこにでもある普通の場所、何なら僕らも住んだことありそうな地域。言ってみれば、「最寄り駅のハードボイルド」なんですよね。ハードボイルドは何を書く物語なんだろう、何を書くジャンルなんだろうとずっと思ってたんですけど、出てくる人が自分の生き方に恥ずかしさを感じてなければ、ハードボイルドなのかなと。
北方 あるいは、一生懸命生きていればね。
カズ ことさらに言わなくても、別に誇ることもなく、てらうこともなく、自分らしく生きていることが、ハードボイルドなんだと途中で気づきました。
商売人の言葉
北方 主人公は絵描きですから、ある部分では私が小説を書く行為と重ね合わせることはできるんです。ただ、絵と小説はずいぶん違います。そのあたりで、自分の想像力を使う余地がある。キャンバスに向かって絵の具を塗ることは、原稿用紙に字を書いているのとはだいぶ違う行為ですからね。
カズ でも、似てる部分もあるわけですよね。
北方 あります。
カズ 主人公を見て、ここは先生ぽいなと感じるところも少しありましたけれど、でも、同じ「かく」という言葉にはなるけど、絵を「描く」のと文字として「書く」のとは全然違うんですね。画商の吉野さんの「商売には難しい言葉が必要なんだ」という言葉は、小説というものに対して一石を投じるように感じられたんです。僕も話すことを商売にしていると、あえていっぱい言葉を足しまくっていたりするんですよね。そのほうがウケがよかったり、お客さんの反応がよかったりするけど、その言葉を足していくのとは真逆のところが絵じゃないですか。
北方 だから、絵のことについて画家本人は語らないんです。ただ、吉野はそれを取り扱う業者なわけで、あえて、業者と言ってしまえば――商売人には言葉が必要になってくる。介在する人には言葉が必要になり、それは難しければ難しいほどいいんです。小説も、作家は語らないんですよ。編集者がつべこべ言って、難しく解釈してくれて語ったりすると、いい作品かなと思えてきちゃう。
カズ 吉野さんが、自分には商才はあるけど、なんと言っても「作品がなければ」と言っていますよね。「俺らの商いは、人の褌で角力(すもう)をとっているってことだ。それは忘れちゃならない」と。
北方 僕は編集者にも言います。「書くのは俺だ。君は本を出してくれるけど、そこでどういう勝負になるかというと、君は俺の褌で角力をとってるんだ」と。
カズ 僕が吉野の立場だったら、これもハードボイルドな言葉だなと思うんです。確かに人の褌は使ってるけど、角力を取ってるのは俺なんだっていうプライドもあるじゃないですか。だからこそかっこいい言葉だし、それを主人公じゃなくて周りの人物に言わせてるのが面白かったんですよ。
無限の嘘
カズ 「開花」も読んでいてすごく痺れた一篇です。主人公が、老女と夜顔の開花を待ちながら、ちょっとしたやり取りをしますよね。それで、老女が「そろそろ、黙ろうか。話してると、恥ずかしがって、開かないかもしれない」と言う。人に面と向かって「黙れ」と言えるのがいいし、「開かないかもしれない」というのも、ずるい言い方だと思うんですよね。話してるから花が「開かない」って根拠が薄いじゃないですか。自分が言われたらもっと腹立つ気がするのに、読んで納得してしまうのは、やっぱり人間の説得力が出るんだなと思って。
北方 そこは全然考えなかったな(笑)。
カズ すごく印象に残ってる言葉なんです。真似したいけど、実際に言ったらたぶん相手に怒られる。これはやっぱり文字じゃないと出せないセリフだなと思ったんですよね。
北方 絵は言葉を飛び越えて、直接的な感性、絵画観がパッと浮かぶ。小説の場合は、必ず言葉、論理を介在させなきゃいけない。言葉を組み合わせて、文章を作るところが、一呼吸、絵とは違うんですよ。この本で、その違いをあえて私は楽しんだとも言えます。
カズ たぶんこの絵描きの主人公も、自分の意思が本当に伝わっているかわからないところがあるじゃないですか。絵は自分が作品にした時、離れていっちゃうから。文字はまだ自分と相手との間に入る余地がある。自分の言葉で説明できる余地があるじゃないですか。そこって似てるようで、全然違うような……。
北方 違う表現物なんですよ。絵はチラッと見たらそれでわかっちゃう。つまり、俗に言えば勝負が早い。小説は読まないとわからないから。
カズ でも、生む苦しみは似ている部分もありますよね。
北方 それは何でもそうでしょう。カズさんが何か新しいことをやろうと思われた時は、やっぱり苦しまれるでしょう。
カズ 読んでて自分のことを反省した部分があって。「このところ、知っている店に行くことしかしない」というくだり。僕も同じ店ばかり行っちゃうんです。
北方 ああ、あったな。想像力がない時は、つい、同じ店ばかり行ってしまうんですよ。
カズ あと、夜中にふらふらと何の意思もなく歩いているのに、結局、見覚えのあるところに戻ってきているという文章もすごくいいなと思って。自分の体は居心地がいい場所をやっぱり覚えてる。それが人間としてはいちばん楽な反面、楽ばっかりしちゃってると新しいものが生まれなくなるジレンマもありますよね。人間は、どこかで腹をくくらないと新しいものを絶対作れないから、苦しむんだなって感じました。でも、僕は今、結構同じことばっかりやってしまってる自省があるんです。気がつけば同じ飯ばっかり食ってますし。
北方 私もそうですよ。
カズ でも、小説家は、同じ仕事とは違うじゃないですか。毎回違うものを生み出されるじゃないですか。
北方 いや、書くという行為は同じですよ。カズさんだって、しゃべるという行為は同じでも、違うことをしゃべってるじゃないですか。
カズ ああ、それでいいものなんですかね……。先生の本を読んで、自分はずっと同じところにいることに気づいてしまったんですよね。
北方 私は「同じ場所」ということについてよく考えます。『チンギス紀』は舞台が延々と広いわけです。それで、「広い小説を書きましたね」と言われたんだけど、たかがユーラシアだよ。
カズ たかがユーラシアですか。
北方 どんなに広くても、たかが地球だよ。それ以上大きくならない。だけど、人が一人ここに立っている。ちっぽけな足でね。これは個人ですよね。個人の心の中は無限でしょう。
カズ 地面に着いている部分なんてこれだけの足のサイズしかないけど、その中に無限がある。
北方 それは心に通じているからなんですよ。僕らが見たり感じたりできるものの中に無限はない。どこにあるかといったら、心の中なんですよ。
カズ それは小説の登場人物が多ければ多いほど無限も広がっていくということじゃないですか?
北方 無限と無限だったら足しても二にならないんじゃないですかね。
カズ なるほど。無限は無限なんですね。
北方 表現のことを考える時、心の中は無限だと思っていれば、舞台がどんなに広くても恐れることはないし、逆に、ずっと同じ街の中で同じところをチマチマ行ったり来たりしてるだけでも、それを恐れることはない。物理的な広さなんて関係ないから。
カズ ということは、全部無限なんですね。
北方 私は心を書いているからね。だから、カズさんだって、言葉で心を表現すれば無限なんです。
カズ 俺、嘘ついてばっかりなんですよ(笑)。
北方 俺もそうですよ(笑)。俺だって嘘ついてる。嘘つく商売だもん。
カズ 確かに。嘘ついてますもんね。でも、嘘も無限なわけじゃないですか。
北方 嘘も無限です。心の中から出てくるんだから。無限の嘘、いいですね。
カズ 確かに。無限の嘘をついて飯食えたら最高なんですよね。
北方 カズさん、呼吸するように嘘が出てきません?
カズ 調子いいとずっと出てきます。
ハードボイルドの世界観
カズ 「赤い雲」に、昔、絵描きで、今は居酒屋をやってる親父が出てくるじゃないですか。主人公と居酒屋の親父が会話するシーンを読みながら、我ながら嫌な考え方だなと思いつつも、自分の周りにも、少し共感できて、でも、自分よりちょっとだけ不幸なやつがいたら、俺もハードボイルドっぽい世界観に浸れるんじゃないかって思っちゃったんです。やっぱりハードボイルドの主人公には、ずっとかっこつけててほしいんですよ。そして、傷ついてる人が周りにいたら、そういう世界観が広がるな、ハードボイルドっぽい世界だなと思ってしまった。でも、自分の周りにちょっと傷ついてる人が欲しいなんて、メッチャ嫌な発想じゃないですか。自分って嫌なやつなんだなと思いながら、先生の短篇を読んでたんです。
北方 でも、それは本当に嫌な発想かな。現実だったらそうかもしれないけど、小説を構成するうえにおいては、やっぱりちょっと駄目なやつが要ります。
カズ 「アローン」の玉置もそうですかね。友人の玉置から電話がかかってきて、主人公は「いきなり飲もうと言ってくるのは、めずらしいことだ」と思いますよね。その時点でうっすら、よくない話がありそうだなとにおわせてる。主人公と玉置の関係性だったら、たぶん何も言わなくても結末のシーンは成立したと思うんです。玉置が若い女房との間に何かあったらしいことはわかる。でも、最後、「もう、いないんだよ」と玉置に言わせたじゃないですか。残酷だけど、やっぱり彼も言いたかったんだろうなと思いました。
北方 だからタイトルが「アローン」なんですよ。よく読んでるなあ。なんか俺、居心地悪くなっちゃった(笑)。
カズ いえいえ、玉置の立場になって考えた時、急に電話したのに、主人公が一緒に飲むと言ってくれただけで、うっすら感じ取ってくれたんだなと思うじゃないですか。だから、最後まで黙って飲んでてもいいはずなのに、玉置は言うんだなって。これがハードボイルドかと。
北方 黙って飲むと、男どうしで傷をなめ合う格好になるもんな。
カズ 玉置にひと言だけ言わせて、でも、泣いてるところまでは主人公は見ずに、グラスの氷を見つめて、飲んでるんですよね。
北方 そこで、バーテンがスッと離れていく。私はああいうバーテンダーが欲しいんです。
カズ メチャクチャかっこいいんですよ。あの話に出てくる人は、バーテンも含めて、全員プロですよね。そこがかっこよくて、ハードボイルドだなと。
北方 カズさんにとっては、ちゃんと整理されて書かれた小説というのはハードボイルドなんだと思いますよ。ハードボイルドというのはグチャグチャ心理を書かずに、ふとした瞬間、一言だけしゃべらせるから、人間を理解しやすい。
カズ それこそ画商の吉野みたいに、難しい言葉を次々に出してくれたほうが、「こうなのかな」と勝手に思えるというか、正解っぽいことを見つけられるんですけど。先生の小説は、書かれてない部分が多いから、ほんとはどうなんだろうと迷っちゃう。結局、自分がこうあってほしいなという一番かっこいい状況を文章から読み取っていくから、僕はハードボイルドにメチャメチャあこがれてるんだなって読んだ後に思ったんです。
北方 本当のハードボイルドは、書かないことなんですよ。だから、行間ですね。行間だけがある。私の新刊をハードボイルドと読まれるとは思わなかったから、意外ですけど、そうやって読んでいただくとうれしいですね。
カズ かっこいい小説でした!
北方謙三(きたかた・けんぞう)
一九四七年佐賀県唐津市生まれ。八一年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。二〇一六年「大水滸伝」シリーズで第64回菊池寛賞、二四年『チンギス紀』で第65回毎日芸術賞ほか、受賞多数。一三年に紫綬褒章、二〇年に旭日小綬章を受章。
カズレーザー
一九八四年埼玉県生まれ。同志社大学商学部卒。二〇一二年に結成したお笑いコンビ「メイプル超合金」のボケとして活躍するほか、クイズ研究や読書など、多ジャンルに造詣が深い。著書に『カズレーザーが解けなかったクイズ200問』。
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