北方謙三さんが14年ぶりに書き上げた現代小説『黄昏のために』。刊行を記念して、北方さんを「ダディ」と慕う村山由佳さんと語り合っていただきました。思い出話から小説の技倆、おふたりのこれからのお話まで、滋味溢れる会話をお楽しみください。(『文藝春秋』2024年7月号より抜粋。写真=石川啓次)
「村山、俺が間違っていた」
村山 北方さんには、文学賞の選考委員としても、たくさんの言葉をいただきました。私が直木賞を『星々の舟』で受賞した時に、最終章は父親が戦争に行く話だったんですが、「お勉強したことが書かれたようで、全体の均衡を崩している」という指摘があったんです。でも、北方さんはスピーチで「俺は作家が全体の均衡を崩してでも書きたかったものをしかと受け止めた」と言ってくださった。あの時、本当に嬉しかったんですよ。
北方 選考や選評は極めて真面目にやっているんですよ。
村山 でも、初めて選考委員をご一緒した時は、「俺に逆らうんじゃないぞ」が一言目でしたけど(笑)。
北方 そんなひどいことは言ってないよ。「俺と五木(寛之)さんがいるんだぞ」とは言ったけど。だいたい、最初の選考会から、俺ら二人は村山に滅多打ちにされたんだから(笑)。
村山 私と宮部みゆきさんが推して、北方さんが「俺は認めない」と反対した作品が受賞した時もあって。そうしたら翌年、「村山、俺が間違っていた」と頭を下げられた。北方さんが、その作家の二作目を読んで「こいつはすごいと気付いた」と。その作家本人にも謝られたそうで、そこには惚れましたね。
北方 惚れられちゃったか(笑)。
村山 新人賞受賞者の次の作品をきちんと読むなんて、実はなかなか出来ることじゃない。だから北方さんは「ダディ」「オヤジ」と後輩作家たちから慕われているんだと思います。
今回、北方さんの新刊『黄昏のために』を読ませていただいて、改めて勉強になりました。一編十五枚と決めて書かれた短編集ですよね。
私は小説を書く時、どうしてもメロディを歌っちゃう。A地点からB地点までの道のりをなるべくなだらかにして読者に差し出しちゃうんです。でも北方さんは一編十五枚の作品の中で、必ず一度は見事に跳躍なさっている。起承転結は必ずしもないけれど、そこから浮かび上がってくる質感や匂いがある。非常に心地よかったです。
文章で書かないで書く
北方 十五枚で起承転結を付けると形式的な小説になるからね。
村山 大人の男女の関係が出てきても、具体的な行為自体は書かれていない。だからこそ「いったい主人公はこの女と何をしているんだろう」と想像力が搔き立てられます。
北方 文章に書くと通俗的すぎるから、想像させるのが一番いい。
村山 「ナプキン」という短編がとても好きだったんですけど、久しぶりに食事をする女が「遊んで、二人でぎりぎりのところまで行こうよ」と誘う。最後にナプキンで口を拭うところが鮮やかで、口紅ではなく情欲の期待みたいなものが、そこに付くのがすごく素敵だった。
北方 その前の会話で、エッチになったら相当すごいことをすると、書いてあるからね。
村山 だって、拘束具の細い紐を持ってきているんですからね。私、これまで常々、作家は必ずしも自分が経験したことを書くわけじゃないのに、読者は作家がしてきたことだと思うのは何でだろうと思ってきたんですけど、やっぱり……。
北方 俺がしていると思ったんだろう(笑)。
村山 一人で顔を赤らめながら読みましたよ(笑)。画家が主人公ですが、作家に通じるところもたくさん出てくる。「技巧が目につく間は下手、それを感じさせなくなったら技倆が上がったということ」とか、「描かないことで描く」とか、文章にも同じことが言えますよね。
北方 文章で書かないで書く、省略すればするほどいい、という信念は確かにあります。
五味康祐の『柳生武芸帳』の中で柳生十兵衛が敵と向かい合っている場面の次の行では、二人の位置が入れ替わっている。相手は血を流しながら「やったな、十兵衛」と言うだけなんだけど、その行間には斬り合いの場面が書かずとも書かれているわけで、こういうのを読むと、もう何も書かないほうがいいんじゃないかという気もしてくる(笑)。
技倆の話でいうと、この間、伊集院静が亡くなって、若い時の『皐月』や『海峡』『乳房』なんかを読んだ。そうしたら、ここまでみずみずしい小説だったかと驚いた。だんだんそれを失うけど、代わりに巧さや達者さといったものを獲得するんだよな。
村山 両立はできないんですか。
北方 できない。だって小説って、意図しなくても書けてしまうものがあるのは確かでしょう。
村山 何かが降りてきて、書こうと思っていたわけじゃないのに、この一行が書けてしまったということはありますね。
北方 原稿用紙八千五百枚という大長編『チンギス紀』に比べると、『黄昏のために』では原稿用紙十五枚という制約を自ら課したことで、長編だったら四つか五つ使っていた言葉を一つしか使えない。言葉を選びに選んでいくうちに、緩んでいた文体が引き締まってくる。そうやっているうちに「書けるな」という気持ちになってきた。次は五千~六千枚の長編を書きます。まあ書くことが生きること、生きることが書くことですよ。
「お願いだから完成させて」
村山 時々、北方さんのVoicy(音声配信サービス)も聴かせていただいています。洗濯や料理をするそばで北方さんの声がするというのは妙な気分のするものですが(笑)。
北方 一人でスマホを前に立てて、喋って喋って最後の一分間は映画の話をする。ぴったり十分で喋ると決めているんだけど、夢中になると映画の話をする時間がなくなっちゃう。
村山 批評はほとんどしなくて、とにかく映画をまっすぐ勧めてくださるのがいいですね。男が病気の兄に会いにいくため芝刈り機に乗って旅する『ストレイト・ストーリー』とか、すごく懐かしかったです。
北方 デヴィッド・リンチ監督のあの映画には印象的なセリフがあって、若い奴らに「じいちゃん、年取っていいことあるかい?」と聞かれた主人公は「君たちみたいな若い人たちに優しくしてもらえる」と答える。「悪いことはあるかい?」という問いに「最悪なのは昔できたことが忘れられないことだ」と言うんだけど、俺はすごく身につまされた。
村山 でも北方さんはまだまだ現役として、切れ味の鋭い短編が書けて、これからさらなる大作を書かれるわけで。
北方 俺は七十六年間生きてきて、その人生だけが老いのよすがだし、そう思わないと人生に意味がない。自分の年齢は自分で受け止めるしかない。村山は、まだその境地には達してないだろう?
村山 私は今年で還暦になるんですけど、最近、残り時間を想像するようになってきたんです。以前はなかったことでした。
北方 俺が『チンギス紀』を書いている時、サイン会を開くとファンの三人に一人は「お願いだから完成させてくださいね」って言うんだよ。連載途中で死なれたら困る、というのは分かるんだけどさ(笑)。七十五歳で八千五百枚を書き終えた時、これで終わりかと思った。でも今は、何だかまた書きたくて、身体がムズムズしてきて、「もう一本書けるな」と思っている。
村山 かっこいいですね。
北方 惚れるなよ。俺に惚れたら低温火傷だからさ(笑)。
村山 「治りにくいんだぜ」って言いたいんでしょ(笑)。
プロフィール
北方謙三(きたかた・けんぞう)
1947年佐賀県唐津市生まれ。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。主な著書に『眠りなき夜』、『渇きの街』、『破軍の星』、『楊家将』、『水滸伝』(全19巻)、『独り群せず』、『楊令伝』(全15巻)など。2016年「大水滸伝」シリーズ(全51巻)で菊池寛賞を受賞。
村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。93年『天使の卵 エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。2009年『ダブル・ファンタジー』で柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞を受賞。2021年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。