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アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?

アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?

内田 舞,浜田 宏一

内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

 アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日発売の『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から一部抜粋してお届けします。(全2回の1回目/続きを読む

◆◆◆

なぜ心の病を語るのか

内田 お久しぶりです。浜田さんとは、私と同じく精神科医である私の母を通して知り合いました。私がまだ幼少時、イェール大学のあるアメリカ東部のニューヘイブンに家族で住んでいた頃からのご縁で、また研修医としてイェール大学で過ごした時期にも何度かお会いする機会がありました。

 当時、浜田さんはイェール大学経済学部の教授で、ゲーム理論を国際金融の具体的な政策問題に適用して、イェール大に招かれて教えられていました。その後、安倍政権下で内閣参与として日本の経済政策に関わられることになりました。アベノミクスの推進者でいらっしゃることはみなさんご存じの通りで。

内田舞(ハーバード大学医学部准教授、小児精神科医)

浜田 舞さんのお母さまの千代子ドクターとは友達でありながら、同時に千代子先生に精神科医としてアドバイスを仰ぎ、様々な面で助けてもらいました。イェール大学の入院生活を終えた後もうつが続き、どうしても母国語の日本語でないと本心が語れないと感じていた1987年頃に、ちょうど舞さんとご両親がニューヘイブンに越してきて、経済学部の研究員に日本人の精神科医である千代子先生を紹介してもらいました。

 千代子先生は当時イェール大学の客員研究員として臨床を勉強されていたので診察を受けることはできなかったのですが、たくさんの相談に乗ってもらったのです。その後もアメリカに主治医がいるものの、少し長めに日本に帰国する機会があったときには、千代子先生に日本の精神科の主治医として診ていただいた。「うつは患者のエネルギーが回復する治りかけが最も自殺のリスクが高く、危ないから油断してはならない」ということを適切な時に言ってくださったりして、本当にお世話になりました。知人にも「私のうつを治してくれた人の一人」と紹介しています。出会った頃の舞さんはまだ小さいかわいいお子さんでした。

浜田宏一(イェ―ル大学名誉教授、経済学者)

内田 浜田さんは社会的には成功されていると映るキャリアのその裏側で、躁うつ病で長らく大変な時期を過ごされてきたんですよね。これまであまりオープンにされてこなかったと思うのですが、今回、お話しになろうと決意されたのはどうしてでしょう。

浜田 拙著『エールの書斎から』(NTT出版)のなかに、そして友人の西部邁さんの追悼文のなかに少しだけは書きましたが、誰かのためになればと、いずれきちんと体験を語りたいと思ってきました。実は息子もうつ病で亡くしていましてね。ただ、私ひとりの闘病記というのは出版社に話をしてみてもなかなか出版はむずかしいらしい。

 舞さんは私と同じくアメリカに来られて、こちらでの暮らしも長いです。いまはハーバード大学で小児うつ病センター長をされていて、臨床医でありながら、脳神経科学を通して感情を理解する研究もされている「心の病」のプロフェッショナルです。日本で教育を受け、その後アメリカに学び、暮らし、日本とアメリカの文化の両方を知っているという意味で私とも境遇が似ているところがあります。

 そして昨年出版された『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)は、そんな舞さんのアメリカの生活に根差した視点で評判になったように、日本でも積極的に発信されている。精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと。

経済学と精神医学は似ている

浜田 さらに、これは追々お話ししてみたいのですが、私は経済学と精神医学、より正確には経済政策と医療にはどこか似たところがあるとも思うわけです。

内田 それは面白い視点ですね。どういうところでしょう?

浜田 英語で「うつ状態」は「ディプレッション(depression)」ですが、経済学では同じ言葉の「ディプレッション(depression)」は「不況」を意味しますから。英語で「大(だい)うつ病」は「メジャー・ディプレッション(major depression)」ですが、「グレート・ディプレッション(great depression)」と言えば「大恐慌」のことですね。わたくしは初診の医者にそう言う元気がありました。

 言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが(笑)、科学的でありながら、ひとつに解決策が定まらなかったり、患者さんや経済の変化を見ながら修正を重ねるところだったり、技法が科学というよりアートに近いと感じられるところなんかが共通していると思います。それはまた後々お話しすることにしますが、舞さんを聞き手にお迎えしたら、直接の主治医ではないからこそ聞いてもらえることもありそうです。学問や日米文化の比較や社会のことまで、多岐にわたるお話ができるのではないかと。それから、心の病は遺伝も大きいでしょうが、時代や社会など環境とも無縁ではないので、そのあたりも伺いたい。

内田 ありがとうございます。浜田さんのように経済学の研究実績もあって、日本の経済政策にも携わられた方が、ご自身の躁うつの闘病について、また、そこからの回復を語ってくださるのは本当に貴重だと思いますし、今回の対話の機会に感謝しています。

『うつを生きる 精神科医と患者の対話』

メンタルヘルスの現在地

内田 アメリカでは日常生活のなかでセラピーを受ける人も多いですし、メンタルヘルスで苦しんだ経験や精神科の受診について友達同士で語り合うのもごくごく普通のことになってきました。もちろん今でも偏見がまったくないわけではないにせよ、浜田さんがアメリカで精神科に最初かかられた1980年代半ば頃はおそらく今のようにオープンに語られることはなかったでしょうし、日本においてはなおそうだったのではないでしょうか。

 私は小児精神科医で、日ごろは子どもたちのメンタルヘルスの問題を扱っていますが、日本では小児精神科の確立が発達途上であることからも、まだまだ心の不調で医療にかかるのはハードルが高く、正しい知識も十分に伝わっていないのではないかと感じています。

 浜田さんがどのように躁うつ病とともに生きてこられたのか、アメリカでどのような治療を受けて何がきっかけで回復に向かわれたのか、そして息子さんをご自分も苦しまれたうつで亡くされるというつらい経験からどう立ち直られたのか。息子さんを亡くされるという体験、また、ご自身の闘病について浜田さんがつづられた手記を私は今回読ませていただきましたが、その手記の内容も交えてお話を伺いながら、心の不調とともに生きることのヒントも探っていけたらと思います。

浜田 手記というのは、いまの私の妻であるキャロリンが私の口述をもとにして2000年頃にまとめてくれたものです。前半の2章は息子の広太郎のこと、後半の2章は入院中のことを含め自分の闘病について語ったものです。自分のこととはいえ今では忘れかけていることもあり、本書が生まれたのはこの手記があったからとも言えます。私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します。

闘病を回顧することの意義

浜田 ところで、舞さんもご存じの私の主治医のボルマー先生に、今回の舞さんとの対話で当時のことを思い出して「またうつの症状が再発しないだろうか」と相談をしたら、「心配はないしないでよい」と言われました。舞さんにはそれどころか、「むしろ改善につながるかもしれない」と背中を押していただきました。

内田 もしかしたら途中でつらかった時期のことを思い出されて感情的になったり悲しくなったりされることもあるかもしれませんが、そのときはもちろん私もサポートしますし、休憩しながらお話しできればと思います。そして、今は以前と比べてもうだいぶうつの状態も安定されていて、ボルマー先生も近くにいらっしゃるからきっと大丈夫だと思います。

 さらに、ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります。この対話がそんなきっかけになってくだされば嬉しく思います。

浜田 私も88才になりますが、人から見れば学者としても政策アドバイザーとしても、大変恵まれた人生に生まれたと思われるかもしれませんね。他人に対してヒントになるかどうかわかりませんが、この本が少しでも人々のうつのつらさを和らげ、あるいは人生に思い悩んでみずから命を絶つ人を減らすことにつながれば嬉しいです。

内田 きっと多くの人を勇気づけてくれる本になることと思います。無理せずゆっくりまいりましょう。

内田舞(うちだ・まい)小児精神科医、ハーバード大学医学部准教授、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長、3児の母。2007年北海道大学医学部卒、2011年イェール大学精神科研修終了、2013年ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院小児精神科研修修了。著書に『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)、『REAPPRAISAL 最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法』(実業之日本社)、『まいにちメンタル危機の処方箋』(大和書房)。

 

浜田宏一(はまだ・こういち)1936年生まれ。元内閣官房参与、イェ―ル大学タンテックス名誉教授、東京大学名誉教授。専攻は国際金融論、ゲーム理論。アベノミクスのブレーンとして知られる。主な著作に『経済成長と国際資本移動』、『金融政策と銀行行動』(岩田一政との共著、エコノミスト賞、ともに東洋経済新報社)、『エール大学の書斎から』(NTT出版)、『アメリカは日本経済の復活を知っている』(講談社)ほか。

必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人、状況を改善するために働きかけるアメリカ人ーー病のときに医療とどう向き合うか?〉へ続く

文春新書
うつを生きる
精神科医と患者の対話
内田舞 浜田宏一

定価:1,078円(税込)発売日:2024年07月19日

電子書籍
うつを生きる
精神科医と患者の対話
内田舞 浜田宏一

発売日:2024年07月19日

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