『居るのはつらいよ』『心はどこへ消えた?』『ふつうの相談』などが多くの読者に読まれている、われらがカウンセラー、東畑開人さん。
『野の医者は笑う』は、30代に入ってほどなくして刊行された、若き心理学者の初めての一般書にして規格外のエンターテインメントです。
文庫版特典の『8年後の答え合わせ、あるいは効果研究――文庫版あとがき』が泣かせます。
ここでは、『文庫版まえがき』を公開します。あとがきは、ぜひ、決定版となった本編と一緒にお読みください!
この本が出版されたのは2015年で、私が32歳のときだから、もう8年前になる。
文庫化するにあたって、久しぶりに読み返してみたところ、中学時代の自分の日記を偶然目にしてしまったときのような、強烈な物狂おしさに襲われた。未熟で、危うくて、スベっていて、空転している自分がそこかしこにいたからだ。
だけど、それと同時に、やっぱり次のようにも思わざるを得なかった。
『野の医者は笑う』は、私を私にしてくれた本だ。
これは、今まで書いた本の中でも、飛び抜けて私らしい本だ。
この本以前の私と、以降の私には深い断絶がある。考え方も、見え方も、文章の書き方も、まるで変わってしまった。
以前の私は臨床心理学教の敬虔な、そして熱烈な信者だった。
教会(大学院)に熱心に通い、司祭(教授)の話に真摯に耳を傾け、功徳を積んで(臨床をし、論文を書いて)、コミュニティの一員として信心深く生きていきたいと願う若者だった。
私は心というものに魅入られていた。心理学によってなんでも説明できるし、世のあらゆる不幸はカウンセリングによって究極的には解決しうる、とどこかで思っていた。
今思うと、とてつもない(そして危険な)おめでたさなのだが、卵から出てきたばかりのヒナが、最初に目にしたガチョウを愛し、後ろをついて回るのと似ている。学問に目覚めたときに、最初に出会ったのがそういうタイプの臨床心理学だったのだ。
私は深い帰依の中にいた。
だけど、この本で描かれた時期を通じて、私は臨床心理学教から片足を抜くことになった(両足ではないのがミソだ)。
私なりの社会・経済的な人生の危機があり、スピリチュアルな野の医者たちと出会い、「ありのままの私」や「ほんとうの自分」を発掘しようとする数多(あまた)の治療を受け、愛と光と笑いを大量に注ぎ込まれることで、私は転向せざるをえなくなった。
熱狂的な信者は懐疑的な信者になり、教会を離れて無教会主義者になり、以前あった業界の人間関係は気まずいものになり、疎遠になった。
多くのものが失われた。
しかし、そのことで得たものもあった。
心の内側だけしか見えなかった、あるいは見ようとしなかった私は、心の外側に広がっていて、そして心を支えたり、損なったりするものたちを垣間見ることになったのだ。
こういうことだ。
心や文化というソフトなもののことばかり考えていた私が、経済や社会というハードな力に気がついていく。心を根底の部分で規定し、ときに暴力的に粉砕する社会構造の力を知っていく。
この本で描かれているのは、その萌芽のプロセスだ。
野の医者たちが負っていた傷つきに触れ、そしてそれでも生きていこうとする心と交流することによって、最後の最後に、ようやく、そしてほんの少しだけ、しかし確かに、私はそのような現実を知ったのだ。
だから、読み返すと物狂おしくなる。このとき、私は未熟で、危うくて、スベっている。何が「現実」なのかを見失って、鬱になり、躁になり、空転している。
しかし、そうでもしなくては、私は臨床心理学と出会い直すことができなかった。深い沼に目までズブズブにハマっていた私が、縁に手をかけ、片足を抜き、外側から臨床心理学を睨(にら)むためには、どうしてもこの混乱が必要だった。
そして、その結果として、私は「心と社会」をめぐる膨大な問いたちを得た。この視点から、私は「心の治療とは何か」を考え直しはじめ、そうすることで臨床心理学を愛し直していくことになった。
私のその後の人生とはそういうものであり、その副産物がその後に書かれたすべての本たちである。
だから、『野の医者は笑う』は、私を私にしてくれた本だと思うのだ。
ああ、おかしい。文章がどうにも堅苦しい。
この軽躁的で、楽しいはずの本のまえがきが、こんなにも抑うつ的で重たいトーンになってしまうことに愕然とする。
自分はもう昔みたいに、興奮剤を飲んだブンチョウのような文章を書けない。自由に空転することができない。
でも、しょうがない。
この本は、誰もが一度は書けるけど、一生に一回しか書けない類の本だ。
ここに描かれているのは、愚かな若者が愚かな自分に気がつき、そして世界の広さに打ちのめされる物語だ。
そう、『野の医者は笑う』は青春物語だということだ。ということはつまり、青春の終わりについての物語だということだ。
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