『ソーシャルジャスティス 小児精神科医』をめぐって、著者の内田舞さんと中田敦彦さんが「中田敦彦YouTubeトークライブ」で対談をしました!この本の担当編集者も含め、高校の同級生。
40歳で考える「ソーシャルジャスティス」について、「沈黙を破る」ことについて、本書の読み解きとともに深くて希望のある対談となっているので、ぜひご覧ください。また、対談と関連する「沈黙は共犯」について、本書の7章から一部抜粋してお届けします。合わせてお読みください。
2017年のアメリカを表す言葉「フェミニズム」と「共犯」
アメリカでは、メリアム・ウェブスター辞典 (Merriam-Webster)という英語の辞書が、 「今年の単語」として、毎年その年を表す言葉をいくつか発表しますが、2017年のアメリカを表す言葉に選ばれたのはFeminism”(フェミニズム)で、それに次ぐ言葉に、“Complicit”(コンプリシット、共犯的な、悪い流れに逆らわずに乗る)がありました。この二つの言葉は、トランプ前大統領の時代以降、いま現在まで続くアメリカの不条理に抗う波と、そこから生まれたムーブメントを体現するものです。女性たちが変化を求めた声、それに賛同して沈黙を破る声。時計の針を巻き戻して、その声がうねりとなり始めた2017年時点に立ち戻ってみたいと思います。
2017年1月、トランプ大統領が就任した翌日、アメリカ全土でウィメンズ・マーチ(Womenʼs March)という名のデモ行進が行われ、何十万人もが参加しました。同意なしで 「女性器を掴んでやる」という発言をしたり、不倫相手のポルノ女優に口止め料を払った事実などが発覚しながらも当選したトランプ大統領に、広く抗議の声を上げるデモンストレーションでした。
2022年には人工妊娠中絶の権利を認める米連邦最高裁判所の「ロー対ウェイド (Roe v. Wade)」判決が覆される前代未聞の事態になりましたが、この2017年のデモで掲げ られたスローガンに、いかなる理由であっても人工妊娠中絶を違法にすべきという一部のトランプ支持層の考え方への反対意見として“My Body, My Choice”(私の身体、私の選択)がありました。
性交や妊娠、そして中絶など、女性の身体に関する選択は(倫理と健康の範囲内で)女性 個人に選択権があるという主張。これはロー対ウェイド裁判で訴えられ、獲得された権利だったのですが、トランプ政権下で危うくされるのではという危機感と予兆がすでに広く共有されていたために、奇しくもウィメンズ・マーチの大きなテーマになっていたのです。
一方で2017年 10月には、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインのセクシャル・ハラスメントが告発され、#MeToo のSNS投稿とともにフェミニズムのムーブメントに火が付きました。
#MeTooとは、もともとはアメリカの市民活動家タラナ・バークが黒人若年女性の性暴力被害者支援の草の根活動を組織した際のスローガンでしたが、2017年にニューヨークタイムズ紙と雑誌「ザ・ニューヨーカー」が、ハーヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクシャル・ハラスメントを告発する記事を発表すると、女優アリッサ・ミラーノが「私もセクシャル・ハラスメントや性暴力を経験したことがある」と告白し、同様#MeToo(私も)というハッシュタグとともにSNSで共有するよう呼びかけた ことで、広く知られる運動になったのです。
芸能人、アスリート、様々な職業の一般人や学生や母親たちがそれぞれの体験を# MeToo というハッシュタグをつけてSNS上でシェアし、いかに被害者の多い問題かが 可視化されました。一つひとつの告発は、自分の体験をオープンに語った被害者たち(多くは著名な芸能人だった)の勇気を表しており、被害者たちの行動には感動せざるを得ません。当時、私のタイムラインにも知人の #MeToo の投稿がたくさん流れましたが、その中には女性だけではなく男性の友人の性被害体験の告白もありました。
それまで言葉にできずに被害者たちが長年抱えていた苦しみも、加害者も目にするだろう発信をする際の恐怖もまた、想像を絶するものだったはずです。レイプ体験を公開することで、 「あなたの思い込みだ」 「あなたのせいだ」などと被害者が批判されるカルチャー が未だに残る中での恐怖。さらに加害者側は、その加害行為によって長年の間、特段の影 響を受けずに済む一方で、被害者の多くにおいては、性被害の恐怖と怒りと不安と屈辱の感情を、何十年間も背負い続けなければならないという非対称性。SNSの悪質な書き込みやいじめとも似たこの構造によって、被害者は心に消えないダメージを受けることが多いのに対し、加害者は相手に与えたダメージを認識すらしていないことが多いのです。
そのように告発のリスクが高く、訴えも難しいがゆえに性暴力や性被害が見過ごされて きた土壌を変えようという大きな機運が生まれ同意や、身体の自己決定権を男女ともに大切にする基盤が作られ始めたのが2017年でした。この年を表す言葉が“Feminism” だったことは不思議ではありません。
イヴァンカ・トランプが流行らせた言葉 “Complicit ”(共犯的な)
さて、一方の“Complicit” はというと、メリアム・ウェブスター辞典はトランプ前大統領の娘のイヴァンカ・トランプの写真とともに紹介しました。政治的なコメディで知られるバラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』の一コマがこの言葉を広める原動力だった、とメリアム・ウェブスター辞典は記しています。SNLがハリウッド女優のスカーレット・ヨハンソンがイヴァンカに扮する、香水の偽CMを作って放送しました。「どんな男性も彼女の名前を知っている。どんな女性も彼女の顔を知っている。彼女が部屋に入るとみんなの視線が注がれる。そう、彼女はイヴァンカ」というナレーションとともに振り返って正面を向くのは、イヴァンカに扮したヨハンソン。
さらに「フェミニスト、代弁者〝女性の活躍を支持するチャンピオン〟と自称しているけど、彼女はどんな女性支援をしてるの? アメリカの方向性を変えられるはずなのに、変えない人」というイヴァンカを批判するナレーションとともに、手にした香水が紹介されるのですが、その香水の名前が“Complicit”(共犯的な)でした。
イヴァンカ・トランプは政治の経験も知識もないにもかかわらず、トランプ政権の要職をあてがわれ、国際会議などの席については、さも何かを考えているような顔で写真に写るが、実際のところ会議の内容に貢献できるような知識や独自の考察など何も持ちあわせず、ただSNSに載せる絵になる写真を撮るためだけに参加しているようなものだと批判の対象になっていました。
本来、彼女のポジションには能力や経験のある女性が就いて実務的な発言をしてしかる べきなのに、ただのお飾りに過ぎない彼女のような人がメディアに取り上げられることで、むしろ女性の社会進出を後退させてしまっているのではないかと懸念する声が聞かれたのです。
大統領補佐官として、アメリカの女性の地位向上のために貢献するなど、社会の方向性 をより良く変えられるポジションに就きながら、その力を行使しない人。娘であり女性蔑視のトランプ大統領に苦言を呈することができる要職に就いていながら、逆らわずに悪い流れに乗る「共犯者」という意味で、彼女の立場を表す言葉として“ Complicit” が使われたのです。
さらに背景には、そもそもトランプとヒラリー・クリントンが争った大統領選における 発言をめぐって、イヴァンカが大きな批判を受けていたという文脈があります。イヴァン カが父ドナルドの応援演説で、「アメリカが誰でも有給の育休を保障される国になるために」などと発言したにもかかわらず、彼女がCEOを務めた洋服ブランド、「イヴァンカ・トランプ」では、従業員たちの産休も育休も保障されていなかったことが指摘されたのです。
選挙運動中のインタビューにおいても、有給の産休・育休の保障や女性の賃金上昇を訴える言葉を並べては「ヒラリーはこのために何も努力してない」と対抗馬のヒラリーを批判したイヴァンカ。対するインタビュアーが、ヒラリーは職場での女性の地位向上のための具体策を1年前より提示していて、しかも30年前から各分野で女性をサポートする政策を実現していることを指摘したうえで、「あなたが言うヒラリーが何も努力してないというのはどの点についてですか?」と聞き返すと、イヴァンカは「ネガティブなトーンのインタビューには答えられない」とさっさとインタビューを切り上げてしまいました。
アメリカ国内だけでなく世界の趨勢にも大きな影響を与える米国大統領選において、具体的な政策の中身や対抗する候補者の実績に見識を深めるどころか、ただポーズとして相手の候補者を批判するだけの中身のなさと、まるで私生活をめぐるインタビューに答えるかのような甘い態度と責任感の低さが批判を受けていたのです。
香水“Complicit” の偽CMの中で使われたフレーズ、 「フェミニスト、代弁者、“女性の活躍を支持するチャンピオン〟と自称しているけど、彼女はどんな女性支援をしてるの?」とは、まさにこのような彼女のフェミニスト気取りの空虚さを指摘したのでした。
“Silence is Complicity ”(沈黙は共犯)
それから3年後の2020年、この言葉は“Silence is Complicity. “ (沈黙は共犯)というフレーズで、コロナ禍のBlack Lives Matter 運動のなかで広く使われることになりました。無実の黒人が警察によって殺害される事件が相次ぐアメリカで、構造的、組織的な差別を無くすにはどうしたらいいか、といった議論が多く交わされる中で、「bystander(バイスタンダー、横で見ている人)ではなくally(アライ、本当の意味でのサポーター)、あるいは antiracist(アンチレイシスト、人種差別反対主義者)になるためにはどうしたらいいか」という議論も広く起こり、“Silence is Complicity.”(酷いことが起きているときに沈黙していることは、共犯だ)といった表現がされるようになったのです。
Silence is Complicity.”とは、 「誰かの人権が侵害されているときに、他者が何も言わないことは、人権侵害の共犯になっている」という意味ですが、今までに多くの人権運動家が語ってきた事実です。死刑廃止運動などを行う国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルを支えたイタリア生まれのアメリカ人の人権運動家ジネッタ・セーガンは、“Silence in the face of injustice is complicity with the oppressor.” (不正に直面して沈黙する ことは人権侵害者との共犯に他ならない)と言い、ホロコースト生還者で差別や虐殺に反対する人権運動家としてノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼルも、“Silence encourages the tormentor, never the tormented.”(人権侵害における沈黙は加害者に力を与えるが、被害者に力を与えることはない)と言いました。
公民権運動で活躍し、ジョージ・フロイド殺害事件の翌々月の2020年7月に亡くなったジョン・ルイス下院議員の言葉はもっと具体的でした。“When you see something that is not right, not fair, not just, you have to speak up. You have to say something;you have to do something.”(不正、不公平、不正義が起きているのを目にしたときには声を上げな ければならない。何か言わなければならない。何か行動を起こさなければならない)
Black Lives Matter 運動の中で、このフレーズがソーシャルメディアで拡散されたこともあり、無実で無抵抗の黒人が警察によって殺されている不正を目にして何も声を上げない、行動を起こさないことは、このような人権侵害や殺害を許容し、助長する一因になっているという考えが広く受け入れられていきました。その結果、家族や友人間や職場の人間関係のなかでの声かけに止まらず、2020年5月以降は多くの企業や学校などの組織も声を上げるために行動を起こしたのです。
実社会を動かしたBlackLivesMatter運動
レディット(Reddit)というオンライン掲示板型ニュースサイトを運営する会社の元CEOのアレクシス・オハニアンは、大企業の中で決定権がある地位に黒人が入らなければ 組織は変わらないという考えから、レディットの取締役を辞任し、その席は黒人に埋めてもらうと発表しました。オハニアンは史上最強と言われるテニス選手のセリーナ・ウィリアムズの夫ですが、黒人と白人のミックスの娘に、「お父さんは、黒人差別を撲滅するために何をしたの?」と将来聞かれたときのために、羞じることのない行動を取らなければと思った、と語っていました。
オハニアンはレディットの役員会の席を黒人に譲るだけでなく、NFLの試合前、無実 跪くパフォーマンスをしたコリン・キャパニック(第1章参照)の人種差別反対運動に1億円相当の寄付をすることを発表しました。
私の勤めるマサチューセッツ総合病院もこの流れを受けて変化を遂げた組織のひとつです。人種差別を許容しないという提言を発表し、人種間における医療格差(人種によって 受けられる医療の質に差が生まれる状況)を解消するため、医療情報の啓発活動を推進する部署を設立し、コロナ禍で一番被害を被った黒人、ヒスパニック、移民へのコロナの科学情報発信をさっそく強化しました。
新型コロナのワクチン接種が始まる際も、ワクチン忌避傾向が特に強いと言われた黒人 コミュニティのために、黒人医師と黒人のフットボール選手による質疑応答の企画を実施して心理的な不安の解消に努めたり、移民の多い地域からアクセスしやすい場所にワクチン接種会場を設置するなどの具体的な対応が実行されました。また、人種差別を改善するために毎年行われるレクチャーは、例年以上にその内容がきめ細やかにアップデートされ、これまでに私が受けた人種差別の講義のなかで一番いい講義だったと感じたほどです。
Silence is Complicity.” というフレーズとともに、Black Lives Matter 運動は、個人の倫 理に留まるのではなく、企業や組織が行動を起こすことに繋がりました。 激動のトランプ時代、大統領の人種差別発言やセクシャル・ハラスメント、科学を無視したコロナ対策がアメリカのみならず世界に与えた負の影響は、想像以上に大きなものでしたが、振り返ってみるとその反面、その負の影響を是正しようと団結して声を上げる動きも高まり、個人のみならず組織としての人権運動への取り組みが進み、実質的な変化に繋がった「アドボカシーの時代」でもあったのです。この期間に大きく前進した#MeToo、Black Lives Matter、Stop Asian Hate 運動は特に多くの人に気づきを与え、個人や社会への変化をもたらしたアドボカシーでした。アライやバイスタンダーとは何かといった議論も盛んに行われ、多くの人が人権を侵害されている人やハラスメントを受けている人に対してアライになろうと考えるきっかけになったのです。
「第7章 沈黙を破る 「沈黙は共犯」の後で」より
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