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「私の反論がカットされていた。これが編集というものかと」田嶋陽子が90年代の『TVタックル』で繰り広げた“戦い”のウラ側

「私の反論がカットされていた。これが編集というものかと」田嶋陽子が90年代の『TVタックル』で繰り広げた“戦い”のウラ側

田嶋 陽子

『わたしリセット』より #2

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

田嶋陽子「途中で頭にきて、水差しの水をかけてやろうと…」どんな番組か知らずに出演した『いいとも!』生放送後に感じた“混乱”〉から続く

「日本でいちばん有名なフェミニスト」として、長年テレビ番組などのメディアで活躍してきた田嶋陽子さん(83)。近年、SNSを中心にフェミニズムへの関心が高まるにつれ、その功績を再評価する動きも出てきています。

 ここでは、そんな田嶋さんが9月20日に上梓した『わたしリセット』より一部を抜粋して紹介します。『ビートたけしのTVタックル』で繰り広げた男性出演者たちとの激しい議論、その裏側には一体どんな感情ややりとりがあったのでしょうか――。(全4回の2回目/最初から読む

田嶋陽子さん Ⓒ文藝春秋

◆◆◆

『ビートたけしのTVタックル』での戦い

 1990年代のテレビには、女の側から本音を言える番組が全くありませんでした。だから、もし今後も出るようなことがあるなら、必ず女の話をしようと決めていました。

 そしたら、今度は『ビートたけしのTVタックル』に呼ばれました。私はまたしても番組を見たこともなければ、たけしさんのことも知らなかった。たまたま、たけしさんが雑誌に書いた記事を見つけて読んでみたら、「男女平等なんていってるけど、女なんて一発やればこっちのもんだ」なんて書いてある。だから、それをコピーしてスタジオに持っていって、「これはおかしいよ」ってガンガン言ってやりました。

 そのときは対等に議論できたつもりでしたが、2時間半の収録が45分に編集されると、私の反論がカットされていました。しかも、どのコーナーもたけしさんの言葉で終わっていますから、見てる人はたけしさんが正しいと思うでしょう。私が「でもね」と反論したところから全部なくなっていて、私が言い負かされているように見えるわけです。そうか、これが編集というものかと思いましたね。

 あとで、ディレクターのひとりが「あいつは誰のテレビに出てると思ってるんだ」と言っていたと聞いて、よく分かりました。番組には主人がいて、私はその主人をよりよく見せるための素材でしかなかった。結局は、たけしさんという主人を立てるために編集があるのです。

 番組が放送されたら案の定、フェミニストの人たちから批判されました。私のところへわざわざファックスを送ってくる人もいて、「なんでもっとはっきり反論しないの」と書いてあった。でも、現場ではちゃんと言い返しているのです。悔しいからテレビ局に証拠として生のテープをもらいに行ったら、せっかくだから出てくださいと言われて、そんなこんなで何度か出ているうちにレギュラーになりました。

 私のテレビ出演は、編集との戦いでもありました。制作側にしつこく文句を言い続けたら、編集で私の発言をスパッと切ったり、たけしさんに遠慮して何かしたりすることはだんだん少なくなりました。比較的、ものが言いやすい環境になった。それでも、共演者の暴言があまりにもヒドくて頭にきたときは、収録の途中で席を立って帰ったこともありました。

議論の風向きが悪くなると「半端者」呼ばわり

 民放のテレビは視聴率がすべてです。女のことを取り上げてくれたとはいえ、議論の相手にゴリゴリの保守派のオジサンばかり連れてきて、私と対決させようとする。つまりは、番組を盛り上げて視聴率を取るために、私を怒らせたかったのでしょう。

 そのころは女の人が人前で怒るのは「女らしくない」ということで御法度で物珍しかったのです。だから、私が怒ったり、きつくなったりしていると、そのぶん女の人の評判が下がるわけです。誰も私のことを女と思ってなかったかもしれないけど、女の人たちがイヤがりましたね。

Ⓒ文藝春秋

 その一方で、男の人は私を攻撃した方が自分のファンが増えると思っていますから、やっつけようと必死でした。議論の風向きが悪くなると、私が独身だということに目をつけて、「半端者」呼ばわりしてきました。結婚や出産を経験していない女は、半人前だから対等にものを言う資格がないと言いたいわけです。

 ある音楽家なんてよっぽど悔しかったのか、突然、「あんたと寝たいとは思わない」と言い出しましたからね。むしろこっちが心配になったほどです。やれ文化人だ、やれ評論家だといっても、女と男の問題になるとすぐに男は馬脚をあらわします。

 当時、舛添要一さんも議論に負けそうになると、私のことを「ブス」と言いましたよ。だから、私はお返しに「ハゲ」と言ってやりました。最近も番組でときどき会いますが、「お久しぶりです。ますますお変わりなく」なんて、なんだか豹変しちゃってますけど。

 石原慎太郎さんは、収録が終わってから陰で謝ろうとしてくるんだけど、自分では絶対に直接言わない。阿川佐和子さんを通じて「田嶋さんに謝っといてくれ」って。謝るのならその場で謝ってほしかったですよ。

 他にも、ずるい男は議論で負けそうになると「田嶋さんは最近、キレイになったね」などと言ってきました。容姿を褒めれば、相手が一瞬、ものを言えなくなると知っているからです。口封じのための褒め言葉ですよ。相手が男だったらそんなこと言いませんから、それもやはり女を議論の相手として対等に見ていないということです。

 最初のころは、たけしさんも「差別差別と言ってないで、男は勝ち取ってきたんだから、女も自分たちで勝ち取らなくちゃ」と言うから、私は「じゃあ、その足どけてよ」って言い返していました。男が女の足を踏んづけている限り、女は能力があってもそれを発揮するのに倍の力がいるわけですから。

ゾマホンさんと仲良くなって、たけしさんは変わった

 でも、何年か経って、たけしさんがアフリカから来たタレントのゾマホンさんと仲良くするようになってから変わりましたね。あるとき、たけしさんが「先生が女に下駄をはかせなきゃいけないと言ってたのが、よく分かったよ。アフリカ見てると、抜け出そうと思っても抜け出せないもんな。ある程度、下駄をはかせないとダメだよ」と言ってくれました。それはすごくうれしかった。たけしさんは実は感性の鋭い人。私の言うことを一番わかってくれていたと思います。

ビートたけし Ⓒ文藝春秋

 私は『タックル』に出ているときは、なるべく他の番組には出ないようにしていました。スタッフにも出ないでほしいと言われていましたから。私がいろいろな番組に出ると、視聴率が上がらなくなるからでしょう。そもそも、私は『タックル』だけで精一杯で、他の番組には出る気もありませんでした。

 私が『TVタックル』にレギュラー出演するようになったのは1991年、ちょうど50歳のときでした。90年代は『TVタックル』にはじまり、『TVタックル』に終わった感じがします。

「スカートのなかで太ももを革のベルトで縛りつけて」テレビ出演したことも…田嶋陽子が振り返る、“バカにされても頑張れた”理由〉へ続く

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