〈サザンオールスターズはどのように結成されたのか? “国民的ロックバンド”誕生前夜《当初は「温泉あんまももひきバンド」だった》〉から続く
1977年のデビュー以来、“国民的バンド”として人気を集めている「サザンオールスターズ」。彼らの半世紀近くの歩みを綴ったノンフィクション『いわゆる「サザン」について』(水鈴社)より一部抜粋し、代表曲の一つ「TSUNAMI」が生まれた瞬間を振り返る。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
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名曲「TSUNAMI」の“作曲前夜”
2000年を目前に、「TSUNAMI」がお披露目されたのは、TBS系列の人気番組『ウンナンのホントコ!』の「未来日記」のコーナーだった。テーマ曲に採用されたのだ。「未来日記」は、その後のテレビ業界で一世を風靡する“恋愛リアリティショー”の先駆けであり、視聴者から絶大な支持を得た。
ライブにおいては、この年の年越しライブ『晴れ着DE ポン』で初披露。年が明け、元旦からバンドの公式サイトで試聴が始まる。シングルとしてリリースされたのは1月26日。
店頭に並んだ限定版パッケージは、発売日に完売する。すごい反響だ。人気に拍車がかかったのは、「未来日記」の次のシリーズでも、引き続きこの曲が採用されたからだった。
このタイアップが実現するまでには経緯がある。実は「イエローマン~星の王子様~」の時は、仕事も人間関係も、「さほど上手くいっていなかった」と桑田は言うのである。そもそも「イエローマン~星の王子様~」はセールスも芳かんばしくなかった。「当時、自分のラジオ放送で、レコード会社の宣伝の人に対して、“全然売れねぇ~”とか愚痴を言ってしまった。言い過ぎたかなと思いつつ、本音でもあった。でもそのあと、みんなが“次は絶対、ヒット曲を作るんだ”という気持ちでひとつになり、共に頑張ってくれた」。その努力の結果が「未来日記」とのタイアップでもあったのだ。周囲のスタッフから力をもらい、そして書いたのが、「TSUNAMI」なのである。
桑田はこの楽曲を、ジャズ・シンガーのような正確さと、ロック・ヴォーカリストのエモーションと、ふたつを併せ持つスタイルで歌っている。メンバーもまさに演奏することで“歌って〞いた。情感豊かなストリングスも加わり、弦のアレンジは、島健が担当する。[見つめ合うと素直に]からの、実にドラマチックなサビが、ひときわ印象深い作品である。この部分を思いついた時のことを、桑田はよく覚えている。
長いあいだ曲を作っていれば、どうしても、「前にこれ、やったよな」みたいなことも多くなる。そのまま進めても、過去の自分の模倣になってしまう。そんな壁が、しょっちゅう立ちはだかるのだ。それでも粘り強く、やっていくしかない。そこを抜けると、これまでの記憶にない、新鮮な感覚と巡り合うこともある。実は「TSUNAMI」を作ったときも、そんな経験をしている。
「[見つめ合うと]の“合ぁ~うと~”のsus4(サスフォー)みたいなところは、出てきた瞬間、すごく新鮮に思えた」。しかし、自分が過去に、既に他の曲でやっていたことかもしれない。「だから、周りにいたスタッフ4人ぐらいに、“これ、前にあったっけ?”と訊いた。みんな、口を揃えて“無い”という」。そこで新曲の一部として、採用することにしたのだ。
なぜ「TSUNAMI」と名付けられたのか
この楽曲は、なぜ“TSUNAMI”と名付けられたのだろうか。大きく関わるのが、サーフィンだ。接待ゴルフや接待マージャンはあっても、接待サーフィンは存在しない。この趣味は特別だ。周囲の雑音を遮断し、一人になれる貴重な時間が、サーフボードの上にあったのだ。桑田はこのスポーツを愛した。
そんなある日、『TSUNAMI CALLING』というドキュメンタリー作品と出会う。サーファー達の姿を描いたものだが、この楽曲のタイトルは、実はここから来ている。プロのサーファーは、波を通じ、地球のヴァイブスと一体となり多幸感を得る。彼らは勇敢で、時には死を覚悟で、津波にだって立ち向かう。「そのパラドックスは凄い。ロマンチシズムを感じた」。やがて桑田は、歌のサビで歌われる、重要な表現へ行き着いた。[津波のような侘しさ]だ。ちなみに、まだタイトルが決まる前、当時のビクターのディレクター・松元が、この曲のマスターテープの入った箱に勝手に「TSUNAMI」と書き記していた、というエピソードもある。
この歌の主人公は、若き日の叶わぬ恋を懐かしんでいる。でも、聴き終わってみると、若き日、というより、今現在の自分にピントが合うのである。見た目よりも[打たれ強い僕]。そこに気づいて、胸に灯りが点る。
「TSUNAMI」で吹っ切れた。様々なことが整理され、この曲に行きついた
イントロなしで、いきなり歌が始まるのも特徴だ。サーファーのシンプルな生活様式に倣ならい、そうしたという説もあったが、もともと桑田は、この時、イントロのない曲を意識的に作ろうとした。90年代からの試行錯誤もあり、行き着いた境地ともいえる。
90年代はテクノロジーの進化により、音楽制作における選択肢が、格段に増えた。「俺にはなんでも出来るんだ、と、調子に乗ってたら、贅肉が増える結果になった」。ひとつの例が、曲のイントロ。シンプルなものでも用は足りるのに、凝りに凝って、ワン・ツー・スリーと、三段階もある大げさなものを何曲も作った。そういう意味では、「TSUNAMI」で吹っ切れた。さまざまなことが整理され、イントロを必要としない、この曲に行き着いた。
いざ世の中に問うてみたら、浸透力は絶大だった。時代の気分を確実に捉え、ヒット曲の枠を超え、「TSUNAMI」は社会現象にもなっていく。サザンオールスターズの、新たな代表曲となる。
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