実はサザンのデビュー以前からのサザンファンで、ちゃんとファンクラブにお金を払い続けていれば、ほぼ最古参だったというのが私で、これは自慢でなく書評を書かせていただく上での説得力の喚起である。
さて日本ロック界、もしくはポップス界の帝王ともいえる桑田佳祐が、鬼神の舞台、週刊文春で連載を持ったということ自体がまことにスリリングな奇跡だ。
炎上か、逆に文春の力で消火なのか、桑田さんは危険な山の稜線をある時は軽く踏み外しかけ、またある時は予防線を何重にも張りながら移動していく。その言動の振り子は左右に揺れながら、いかにも桑田節としてこちらの魂に響く。
令和の時代にアップデートすべきものは多いと評者は思うが、うっかりすると繊細に残し損ねる社会の余裕というものもある。ことにそれが表現の幅に関係する場合、桑田佳祐はそれを執拗に擁護する。それも例の「振り子」を多用して“古い”自分に常にツッコミを入れながら。
時代のトップにいる表現者が、ただ漫然と流行の波に乗ろうとはせず、肯定と否定とをひらりひらりと入れ替えながら、時の流れに逆らって今いる場所にとどまり続ける姿は、その意見が正しいか否かに関わらず、自分が納得するまで留保する姿として正しい。
そうやって流れの中に身を置いて絶えず考え続けることこそが、「大衆」のあり得べき倫理なのかもしれず、それこそがポップスの核心とも言えそうだ。
また揺れる倫理のあらわれの形として、著者はさかんに自分の文章にカッコを入れ、そこに(汗)とか(土下座)とか(泣)と入れる。それは例の「肯定と否定とをひらりひらりと入れ替え」る術でもあるのだけれど、読んでいるとそれがカウベルとかギターカッティングとか一発のシャウトに聴こえてくる。
そう、桑田佳祐はもう一人の桑田佳祐と、もっと言えばバンドのような人数の桑田佳祐と共にこのエッセイを書いたようなもので、それぞれが濃度の違う意見と感覚を持ちながら、しかしひとつの曲の中で各々の思いを演奏したのだ。
しかも時はコロナ禍の真っ盛り。毎週その話で始まるという特異な時代の中で、桑田佳祐はある意味で幸運にも書くことに時間をさき、ファンとしてはありがたいことに過去の音楽歴を細かくたどり直し、同時に現代の無観客ライブをいち早く敢行していく様子をレポートした。
逆にもしも、ミュージシャンとしてパフォーマンスありきの部分を封じられ、ただ室内で楽曲作りを要請されただけであったら、あれだけ揺れてしまう人は苦しかったのではないか。
2020年1月から約1年半にわたって、週刊誌で連載していた桑田佳祐のすさまじい強運。その運を音楽との出会い直しに注いだ姿を我々は見習うべきだろう。
くわたけいすけ/1956年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。1978年にサザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」でデビュー。以来、バンドのフロントマンとして、またソロアーティストとして、つねに日本のミュージックシーンのトップを走り続けている。
いとうせいこう/1961年、東京都生まれ。作家、クリエイターとして、活字/映像/舞台/音楽など、多方面で活躍。近著に『福島モノローグ』。