昨年5月に刊行した小林エリカさんの『女の子たち風船爆弾をつくる』は第78回毎日出版文化賞を受賞しました。その他、年末の各新聞での年間ベスト企画にも多数選出、また、第46回野間文芸新人賞の候補作にも選出されるなど、大きな話題となりました。このたび、受賞を謳った新帯での第3刷が決定した(1月22日発行)のを機に、受賞式会場で大きな感動を呼んだ、小林エリカさんの受賞スピーチを公開いたします。
この度は、このような歴史ある素晴らしい賞を、本当にありがとうございます。
この賞が著者と出版社の双方に与えられる賞であることが、私にとってとても嬉しいことです。文藝春秋社のみなさま、おめでとうございます。248の脚注と膨大な参考文献つきという我ながら常軌を逸した小説を、挑戦を、信じ、つくり、届けるためにご尽力くださったおひとりおひとりに心からの感謝をお伝えしたく思います。
また、この本を読み、選んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。私は、この受賞を何よりも嬉しく思っています。というのも、いま、ここに立っているのは私ではありますが、この賞は、この本の中に書かれた、ひとつひとつの声を、言葉を、聞き、記憶し、書きとめ、保存し、私に手渡してくれた、ひとりひとりに与えられたものであると、考えているからです。
風船爆弾や宝塚少女歌劇について本や文を記してくださった方々にはじまり、かつて東京宝塚劇場での風船爆弾づくりに動員された雙葉、跡見、麹町高等女学校の校長様、先生、卒業生やご家族、ご友人、そして、かつて風船爆弾開発をおこなったその場所を40年以上にわたり歩きつづけ、その歴史の究明と保存を続けてきた明治大学平和教育登戸資料館の渡辺賢二さんはじめみなさま(今日会場にいらしてくださっているみなさまに拍手を。ちなみに、このコサージュは、かつて風船爆弾をつくった少女が戦後旦那様を亡くされた後、アトリエをたちあげその手でつくったというものをご家族から譲っていただいたものです)。おひとりおひとりの為したことは、かつて生きた少女たちを、ひとりひとりの人間を、その生を、存在を、大切だと信じる、強い意志とたゆみない努力のたまものです。
わけても、私にとって大切な一冊の本についてお話したいと思います。南村玲衣さんによる『風船爆弾 : 青春のひとこま : 女子動員学徒が調べた記録』です。それは、かつて雙葉高等女学校の生徒として東京宝塚劇場に動員されていたひとりの少女が、後に自身の手で風船爆弾について、調べ、書き、自費出版したというものでした。私が知るかぎり、東京宝塚劇場での風船爆弾づくりについてまとまった本は、この一冊しかありません。
私は、生前の南村玲衣さんに、一度だけお会いすることができました。その時、私は「なぜこんなにまでしてご本をつくられたのですか?」と、お尋ねしました。すると彼女はこう言ったのです。「どうしてわたしは知らされていなかったんだろう。」「秘密にされていたことへの抵抗。」
戦後、結婚し、主婦として子育てをしていた彼女は、戦後40年が経ったとき、本屋のショウウィンドウの向こうに並ぶ本の表紙に、かつて自身がつくっていたのと同じ巨大な風船の写真を見つけたといいます。そしてその本のタイトルから、それが風船爆弾、人を殺す兵器であった、という事実をはじめて知ったというのです。それから彼女は、防衛庁へ通い、調べ、かつての経験を記すことをはじめたというのでした。
私は、彼女から「抵抗」という言葉を受けとってしまいました。ひとたびそれを聞いてしまったからには、何としてもこの本を完成させ、それをさらに先へと手渡さなければならない、と考えるに至りました。
かくしてこの本のためにと、風船爆弾の材料となるコンニャクを育て、楮を剥き、宝塚少女歌劇のスターブロマイドを集めているうちに、6年以上の年月がかかってしまいましたが。
この本を書きすすめてゆくなかで、私は、私の祖母のことを何度も考えました。
雪深い新潟の村に生まれた彼女は、16歳で東京へでてきてからずっと東京に暮らし、まだ幼かった私の面倒をよくみてくれました。
彼女の家にはブラウン管テレビの横に、たった1冊だけ本がありました。それはローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな町』です。その本を英語から日本語に翻訳した鈴木哲子さんのもとで、彼女が住み込みの家政婦をしていたときに貰ったというものでした(ちなみにこのドレスもそのとき貰ったと後生大事にしていたものです)。けれど、彼女がその本を読むことはありませんでしたし、その本を読むことはできなかったのだと思います。というのも、彼女は小学校を六年までしかでていなかったし、畑や家の仕事も忙しかったし、名前やメモ程度は書くことができても、文字の読み書きができなかったからです。
私はしばしば、まだ幼い私が眠る前に彼女が話してくれたことを、思い出すようになりました。
庭にあった大きな杉の木のこと、鍋に豆腐と生きたどじょうをいれて火にかけるとやがて豆腐にびっしりどじょうがつまった料理ができあがること、片目が見えない姉を落とし穴に突き落とした同級生の男の子がやがて戦争で兵隊にとられ戦地で死んでざまみろと思ったこと。
それは、いわゆる歴史書に刻まれるようなものではないかもしれません。けれど、私にとってはその話のひとつひとつが、彼女の存在が、どこまでも重要で、尊く、大切に思えるのです。
かつて高等女学校へまで通うことができた女の子たちは、ほんのひとにぎりです。この本の向こうには、書かなかった、書けなかった、女の子たちもまた、存在していたのだということを、私は、刻みたい。
そんな祖母から三世代、いま、ここに文字を書くことができる、私がいます。
いまや文学賞からその名を外されたローラ・インガルス・ワイルダーですが、彼女のアメリカの西部開拓、植民地化を描いた作品が、遥か遠い日本で翻訳され、出版され、読者たちに読まれ、ひとりの日本人の家政婦の少女の稼ぎと生活を助け、やがてその少女の娘の娘が作家になったのです。そうして、書いた本というのが、日本から飛ばされアメリカの西部へ到達した風船爆弾についてであろうとは、彼女たちのうちのひとりも想像できなかったでしょう。
いま、私がこうしてここにあるのは、そのようにして、これまでひとりひとりが積み重ね、支えてきてくれたもの、出版、そして文化のおかげに他なりません。
そしてそれには、長い時間と、たくさんの人の力が必要です。
いまを生きるひとりとして、これからの時へむけて、私はできるかぎり尽力したいし、この場でひとりひとりが、その力であるよう、お願いしたい。
また、私が書くことを、私なりの「抵抗」を、続けられるよう、今後とも、お力をいただけたら嬉しく思います。
あらためて、わたしたちの、このわたしたちの「歴史」のなかにある、ひとりひとりの生を、存在を、決してなかった、ないことにしないために、歩みつづけるものたちに、おめでとうを贈り、私の言葉を終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
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