- 2023.09.06
- 特集
「ナベツネはこう言いました」「復讐をするつもりでした」――芥川賞受賞作『ハンチバック』を書いた市川沙央さんの、ユーモアと決意に満ちた受賞スピーチを完全プレイバック!
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#小説
8月25日、東京・帝国ホテルで第169回芥川賞・直木賞の授賞式が行われました。
芥川賞受賞作は市川沙央さんの『ハンチバック』(文藝春秋)。ミオチュブラー・ミオパチーという難病を抱える市川さんが、自身を投影した主人公を描いての受賞が話題となったこともあり、数多くの出版関係者が参加する賑やかな式となりました。
選考委員を代表してお祝いのスピーチを行った川上弘美さんは、受賞作『ハンチバック』について、その優れた部分をいくつかのキーワードで読み解いていきます。
まずは「当事者」である、ということ。
「当事者であることを小説に書くことはとても難しいことです。当事者としての実感を描きうる、という点では有利なんですが、当事者であることがマイナスになることがあります。
小説は客観性を必要とします。ところが当事者であればあるほど、客観性を持つことが難しくなるのです。『ハンチバック』はこのマイナスな部分を見事に超克していました」
次に、「構成力」。
「市川さんは、難病の実態を、小説の言葉として克明に描写し、当事者の思いや困難や記憶、さまざまな感情をユーモアを交えて書き切った。小説の中には、えぐられるようなつらい感情描写もあるのに、妙な言い方ですが、読者はその描写や表現を、小説として大いに堪能し享受することができる。これは書こうとするさまざまな要素を、生の形で差し出すのではなく、組み立て直し、削ぎ落とし、肉付けするという作業を行い、最終的に小説として構成しきる体力を、市川さんが持っている証拠にほかなりません」
「市川さんは、小説に自分のもっているものを惜しみなく注ぎ込んでいる」
そしてもう一つのキーワードは、「すべてを注ぎ込むこと」。
「もう一つ、市川さんの小説の素晴らしい点だと私が思うのが、惜しみなく自分の持っているものを小説に注ぎ込んでいるところです。たとえば次の小節のために何かをとっておこう、と思った時、その小説は痩せてしまいます。たとえ10枚の短い小説を書いているときでも、書いている瞬間に自分が持っているものすべてを注ぎ込まなければダメだ、と私は思っています。その点、市川さんは、まったく物惜しみしていない。一人の人間の持っているものなど、ささやかなものですから、全部を注ぎ込んでしまうと、次には何も出てこないのではないかと心配になることもあります。けれども不思議なことに、すべて注いで、空っぽになればなるほど、そこに新しい何かがよりたくさん満ちてくるように思います。
市川さんはきっとそのことをよく知っていらっしゃるのだと思います。
いま、ハンチバックを書いた後の市川さんに、どんなものが満ちてきているのか、楽しみです。あらためて市川さん、おめでとうございます」
最大級の賛辞、といっていいだろう。
そして、ドルチェ&ガッバーナのブラウスを身にまとった市川さんが、電動車いすで壇上に上がった。
「私がしゃべると炎上するので、気をつけたいと思います。昨日もなにか、物議をかもしていました。(先日の)受賞会見で叩かれ、『バリバラ』(NHKEテレ)に出ては叩かれ、まあ叩かれる叩かれる。『文学の普遍性を壊した』とか、『芥川賞を凌辱した』とか、『文学を名乗らないでほしい』とも言われました。
でも、昔、ナベツネは言いました。
『悪名は無名に勝る』と。
だからまあ、話題になるだけ、ありがたいと思っております」
「ハンチバック」で、復讐をするつもりでした。
炎上のこと、そしてナベツネの名言。作品同様、少しどぎつくも絶妙なユーモアを交えてのスピーチに、会場の空気が一気に和みます。
しかし、それだけで終わりません。
「私は、読書バリアフリーを訴えています。そろそろできますか? 今日は、出版界のみなさんが勢揃い、ということで、改めて環境整備をお願いしたいと思います。私は電子書籍を出さない作家さんに、お手紙したことがあるんです。私がお手紙したのは、(直木賞選考委員の)宮部さんとか、高村さんじゃないです。私がお手紙したのは、XXXXX(ピ―――!)先生です。
『ハンチバック』は私が生んだ小説ですが、種付けをした“父”という存在が、二方(ふたかた)います。
一方(ひとかた)は、その私の懇願のお手紙を、スルーなさった、出版界。
もう一方は、私のライトノベルを、20年落とし続けた、ライトノベル業界。
この場をお借りして、御礼を申し上げたいと思います。
その方々がいなければ、私は今、ここにはいません。
怒りだけで書きました。
『ハンチバック』で復讐をするつもりでした。
私に、怒りを孕ませてくれて、どうもありがとう」
本作の芥川賞受賞で、ようやく衆目の知るところとなった感のある読書バリアフリー問題。『ハンチバック』で文學界新人賞に応募するまでの20年間、ライトノベル作品を書き続け、賞に応募してきたがずっと落選を重ねてきたこと。それらに触れた上で、「怒り」「復讐」という強い言葉を使った市川さん。会場は一転、ピンと張り詰めた空気に包まれました。
少し息を整えたあと、市川さんは、こうスピーチを締めくくります。
「でもこうやって今、みなさまに囲まれていると、復讐は虚しい、ということもわかりました。
私は愚かで、浅はかなんだ、と思います。
怒りの作家から、愛の作家になれるように、これから頑張っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
本日はありがとうございました」
自作への批判を相対化し笑いに変える一方で、自身が抱える怒りを昇華させ、新たな一歩を踏み出そうとする市川さん。その決意表明に、会場は大きな拍手に包まれました。
川上さんの選考委員を代表しての言葉、そして市川さんの力強い言葉を手がかりにして、ぜひ受賞作に触れてみてはいかがでしょうか。