わたしが『実利論』について初めて知ったのは、二〇年ほど前のことだ。古代インドにおける統治の要諦を記した古典で、原典はサンスクリット語で記されたものだという。この書の「著者」として名前が挙げられているのは、カウティリヤなる人物だ。紀元前三一七年頃に成立したマウリヤ朝で、宰相としてチャンドラグプタ王を補佐したと伝えられる。マウリヤ朝といえば、インド史上はじめて国家統一を成し遂げた王朝である。それまでインド亜大陸の各地には小王国が点在していたが、それを統べてひとつの帝国を築き上げるのは、並大抵のことではない。その大事業の立役者となった人物の手になる書と聞けば、関心が湧かないわけがない。
『実利論』が紹介される際に必ずと言って良いほど言及される、有名な西洋の学者による評がある。以下にその部分を引用しよう。
「インドの倫理では、政治の固有法則にもっぱら従うどころか、これをとことんまで強調した──まったく仮借ない──統治技術の見方が可能となった。本当にラディカルな『マキァヴェリズム』──通俗的な意味での──はインドの文献の中では、カウティルヤの『実利論』(これはキリストよりはるか以前のチャンドラグプタ時代の作といわれる)に典型的に現われている。これに比べればマキャヴェリの『君主論』などたわいのないものである」(脇圭平訳)

こう記したのは、ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーである。この言及は『職業としての政治』に出てくるものだが、同書が刊行されたのは一九一九年のことである(上記引用は岩波文庫版から)。いまから一世紀以上前のヨーロッパでもこの書の存在が知られていたことがわかる。ウェーバーの評もあってか、著者とされるカウティリヤも「インドのマキャベリ」や「インドのビスマルク」と呼ばれることもしばしばだ。それにしても、ウェーバーが権謀術数のかぎりを尽くす『君主論』を「たわいのないもの」と言い切るほどの『実利論』なのだから、よほど冷徹な内容にちがいない──わたしはそう感じた。
ウェーバーから約一世紀近くを経た後、アメリカでも『実利論』に注目した知の巨人がいた。彼はウェーバーの『実利論』評にも言及しながら、次のように論じている。
「カウティリヤはマキアヴェリとはちがい、よりよい時代の美徳への感傷を示さなかった。カウティリヤが認める美徳の基準はただひとつ、勝利への道についての自分の分析が正確かどうかということだけだった」
「カウティリヤは、ヴェストファーレン平和条約(引用者注:近代国際関係の基盤となった条約。ウェストファリア条約とも呼ばれる)よりもはるか昔に、ヨーロッパの構造に匹敵するものをインドで築いた。恒久的に紛争をつづける可能性のある国の集合を、カウティリヤは描いている。マキアヴェリとおなじように、自分が目にした世界を分析し、行動の指針として規範ではなく実利を提案した」
「国土を強化し、拡大するには、地理、財政、軍事力、外交、諜報、法、農業、文化のしきたり、道徳、世論、噂、伝説、人間の悪徳と弱みを、賢明な王が──現代のオーケストラの指揮者が、自分が指揮する数多い楽器を整った音楽にまとめるように──ひとつの統一体にまとめる必要がある。いわばマキアヴェリとクラウゼヴィッツを組み合わせたような理論だった」(伏見威蕃訳)
これはヘンリー・キッシンジャーが二〇一四年に著した『国際秩序』(邦訳は二〇一六年)からの引用である。キッシンジャーと言えば、国際政治学者からニクソン大統領の国家安全保障担当補佐官となり、ヴェトナム戦争終結で中心的な役割を担い、フォード政権では国務長官を務めた超大物だ。二〇二三年に一〇〇歳で死去するまで、精力的に言論活動や海外訪問を行っていた。
本書で詳述するように、『実利論』で説かれる「マンダラ的世界観」は王(自国)を中心に置き、周辺諸国にどう接し、支配下に収めていくかを論じており、勢力均衡の信奉者として知られるキッシンジャーの考えとは必ずしも一致するものではない。その彼が多くの紙幅を割いて──上記引用も含め約六ページにわたる──論じているのは、『実利論』に否が応でも注目したくなる魅力があることの証左だと言える。
ウェーバーを唸らせ、キッシンジャーの興味をこれでもかと引きつけた『実利論』。この書は原題を『アルタシャーストラ(Arthashastra)』という。「アルタ(artha)」はサンスクリット語で「実利」を意味する。古代インドでは、「法、理想」を意味する「ダルマ(dharma)」、「享楽」を意味する「カーマ(kama)」、そして「アルタ」が人生の三大目的とされてきた。これを「トリヴァルガ(trivarga)」と言う。その中でもっとも重要なのが「アルタ」とされる。「シャーストラ(shastra)」は「論」の意味なので、『実利論』というタイトルは「アルタシャーストラ」をそのまま訳したものになる。
ありがたいことに、この書物は日本語で読むことができる。『実利論 古代インドの帝王学(上下)』として、一九八四年に岩波文庫から初版が刊行された(後述するが、戦時中の一九四四年にも別の邦訳が刊行されている)。訳者はインド哲学やサンスクリット文学が専門で東京大学教授を務めた上村勝彦氏である(二〇〇三年没)。わたしがはじめて『実利論』の内容に触れたのも、この上村訳である。なお、本書で『実利論』の本文を引用する場合は、基本的に同書にもとづく。

上巻四六一ページ、下巻四四八ページ、合計すると九〇〇ページ超というボリュームだけに、さすがに気軽に読めるものではない。しかし、いざ読み始めると、その豊穣な中身と、全編を貫く徹底したリアリズムにわたしは衝撃を受けた。統治者の視点から、いかに臣下をコントロールするか、腐敗を防止するか、罪を犯した者をいかに罰するかといった施政のあり方から、詳細な行政の機関、外交戦略と戦争、さらにはスパイの活用にまで言及している。さながら、あらゆる分野を網羅した古代インドの統治マニュアルのようだ。いまから二〇〇〇年以上前、紀元前のインドという広大な領域を支配した統一国家樹立のノウハウの数々に、わたしは驚かずにはいられなかった。個別に聞き慣れない用語や背景が登場するものの、上村氏の卓越した翻訳もあって、個々の文章もけっして読みにくくはない。
と書くと、こう思う読者もいるだろう──『実利論』について知りたければ、この邦訳を読めば良いのではないか、と。たしかにそれはそうだ。しかし、そう簡単にはいかない。ひとつはボリュームである。岩波文庫版は前述したとおりだし、各種英語版はだいたい一巻本だが、ちょっとした辞書並みの分厚さになる。しかも図版等はいっさいなく、最初から最後までひたすら文章がつづく。これを読み通すのは相当な忍耐力が求められる。
もうひとつは、時代背景についての理解だろう。「古代インド」と言われて、読者は何を思い浮かべるだろうか。もっとも知られているキーワードは、「インダス文明」にちがいない。乾いた大地にそびえ立つモエンジョ・ダーロの遺跡や神像といったイメージを思い浮かべるかもしれない。だが、ひとくちに古代インドと言っても、カバーする時間はかなり長い。インダス川流域に文明が栄えたのは、紀元前二六〇〇年頃から紀元前一八〇〇年頃までのことだ。仏教の創始者、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が活動していたのが紀元前六世紀頃。マウリヤ朝が成立するのはそこからさらに数百年後のことなのである。では当時のインドはどのような状況にあり、どうやってマウリヤ朝が成立したのか。それを成し遂げたチャンドラグプタ王、彼を宰相として補佐し、そのエッセンスを『実利論』に注いだとされるカウティリヤはいかなる人物だったのか。こうした部分を踏まえておかないと、せっかくのテキストが無味乾燥なものになってしまいかねない。
より根本的には、『実利論』を知ることで何が得られるのか、という点がある。実はわたし自身も同じ問題に直面したことがあった。『実利論』を一通り読んだのはいいが、そこで論じられている内容が持つ意味の深いところまでは実感できなかったというのが正直な気持ちだった。古代インドにおける統治の要諦、と言えばたしかにもっともらしく感じられる。だが、それだけでは何が重要なのか、いまひとつ伝わってこない。
こうした印象が変わり始めたのは、二〇〇八年から一〇年にかけてインドの首都デリーで勤務したときのことだった。わたしは在インド日本大使館で、専門調査員という、研究者が在外公館の職員として館務に従事するとともに研究・調査を担当するポストに就いていた。そのなかでインド側の大学やシンクタンクの研究者、政府関係者とインド外交や国際情勢をめぐり意見交換をしたり議論を交わしたりしていると、カウティリヤの名前や『実利論』の内容に言及されることが時々あった。とりわけ、自国を中心に置き、その周囲に円環が幾重にも広がる「マンダラ的世界観」が話題に上ることが多かった。たしかにその視点でインド外交を見直すと、腑に落ちる点が少なくないように感じられたのだ。
それをさらに強く実感することになったのは、この一〇年のことである。『実利論』からインド外交の真髄を読み取ろうとする研究プロジェクトが始まったのだ。主体となったのは、インドの防衛問題研究所(IDSA)(現在の名称は「マノーハル・パリカル防衛問題研究所」。略称はMP-IDSA)。国防省傘下で、外交・安全保障問題に関してインドを代表するシンクタンクのひとつと位置づけられている。二〇一四年四月九日にはIDSAで「カウティリヤ国際セミナー」が開かれ、インドだけではなく多くの国々から研究者が集結し、『実利論』の中身と現代的意義について議論が行われた。翌一五年には続編となる国際セミナーが開催されたほか、同研究所から関連書籍も刊行されており、関心の高さがうかがえる。
インドの外交実務に携わる立場からも、『実利論』に言及されることが増えてきた。IDSAの国際セミナーでは、当時国家安全保障担当補佐官(NSA)を務めていたシヴシャンカル・メノン氏が基調演説を行い、『実利論』の重要性を強調していた。また、マンモーハン・シン政権期に外務次官のほか、原子力や気候変動担当特使を務めたシャム・サラン氏は、著書『How India Sees the World(インドは世界をどう見ているか)』〈未邦訳〉でカウティリヤについて論じている。「疑いなく、国家統治に関してインドでもっとも重要な書物である」というのがサラン氏の見立てだ。
とくれば、職業外交官からモディ首相によって外相に抜擢されたS・ジャイシャンカル氏も『実利論』に触れるのは至って自然なことと言えるだろう。同氏は初の著書『インド外交の流儀 先行き不透明な世界に向けた戦略(The India Way: Strategies for an Uncertain World)』(二〇二二年に拙訳で白水社より刊行)で、「インドの戦略思想、なかでももっとも特筆すべきカウティリヤによる『実利論』では、政治的問題にアプローチしていく際に、『連合、補償、武力、策略』が重要であることを強調している」と記している。また、二〇二四年一月に上梓された次著『Why Bharat Matters』(『インド外交の新た戦略 なぜ「バーラト」が重要なのか〈仮題〉』(二〇二五年に拙訳で白水社より刊行予定))でも、『実利論』の名前こそ出していないものの、インドの「マンダラ的世界観」にもとづいた外交論を展開している。
もうひとつ興味深い現象がある。インドの書店に行くと、カウティリヤや『実利論』からビジネスや人生のヒントを読み取ろうとする本が増えてきているのだ。日本でも「『孫子の兵法』に学ぶビジネス成功の秘訣」といった類の本は少なくないが、それとよく似た傾向と言える。さらには『実利論』をどう活かすかについての青少年向けの本まで出ている。カウティリヤ自体はそれ以前からインドでは連続テレビドラマになるなど、人口に膾炙した存在なので、とっつきやすいのかもしれない。
インドでのこうした動きは、日本にも及んでいるようだ。二〇二三年に、なんとカウティリヤとチャンドラグプタを主人公としたコミックの連載が『ヤングマガジン』(講談社)で始まったのである。タイトルは『ラージャ』(「王」の意)。二〇二五年一月現在で連載をまとめた単行本も二巻刊行されている。これまでのところ『実利論』そのものは取り上げられていないが、古代インドで知勇をふるい覇権をめざす若き二人の活躍が描かれている。
こうした展開を踏まえ、本書では「そもそも『実利論』とは何なのか、何が記されているのか」という根本的な問いを掘り下げてみたい。「マンダラ外交論」から国内の統治、さらにはスパイの活用まで、具体的にはどういうことなのか。ほんとうに『君主論』が「たわいのないもの」と言えるほどなのか。『実利論』では戦争の戦い方に関しても多くの紙幅が割かれているが、『孫子』と比較するとどのような特徴を見出すことができるのか。
また、『実利論』は最近になってにわかに関心が高まったわけではない。実は、二〇世紀前半にこの書は一躍脚光を浴びた。それ以降、古代インドの統治における体制や理念、社会の状況を知る上で必須の文献と位置づけられてきた。インドには『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』という二大叙事詩がある。これが物語を通じて今日までつづくインドの価値や感情といった観念を描いたものだとすれば、『実利論』は歴史書ではないものの、よりリアルな側面を克明に記したものだと言えるだろう。
これらを踏まえた上で、『実利論』というレンズを通して現代の国際情勢やインド外交を見たとき、どのような像が浮かび上がってくるのか。それは従来の一般的な見方と何が違うのか。さらには、われわれが汲み取れる教訓はあるのか。こうした問いについては本書の終盤で論じていく。
前述したように、『実利論』を理解するためには同書が描いた当時のインドの状況を把握しておくことが不可欠だ。著者とされるカウティリヤや彼が補佐したチャンドラグプタ王はいかなる人物だったのか。彼らが広大なインド亜大陸の大部分を統一するまでは、どのような王国が割拠し、その中でマウリヤ朝が勝ち抜けたのはなぜだったのか。まずは手はじめに、読者を『実利論』とカウティリヤに大きな関わりを持つ、二つの都市の物語に誘うことにしよう。
「序章 マックス・ウェーバーとキッシンジャーを唸らせた『実利論』」より
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