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『RRR』をご存じか? 極上のエンタメ映画で学ぶインドの深い魅力

『RRR』をご存じか? 極上のエンタメ映画で学ぶインドの深い魅力

笠井 亮平

『『RRR』で知るインド近現代史』(笠井 亮平)

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

『『RRR』で知るインド近現代史』(笠井 亮平)

「『ナートゥ』をご存じか?」

 インド映画『RRR』の中でもっとも印象的な台詞は何かと聞かれたら、これを措いて他にはないだろう。

 時は一九二〇年、舞台はイギリス植民地統治下のインド・デリー。主人公のビームは、英国人総督夫妻に連れ去られた村の娘を救出するためデリーに潜伏していたが、あるきっかけで英国人女性のジェニーと知り合い、一目惚れする。そのジェニーからダンスパーティーに招待され、もうひとりの主人公で兄貴と慕うラーマを伴い、洋服に着替えて会場に赴く。初めての西洋式ダンスに戸惑いながらもジェニーにリードされて踊るビームだったが、それを快く思わない英国人男性、ジェイクに足を引っかけられて転んでしまう。会場が静まる中、ジェイクは西洋式の踊りを見せつけ、こんなことがインド人にできるかと言い放つ。

 そのときだ。後方にいたバンドの中から、派手なドラムの音が鳴った。ラーマである。彼はステージに向かい、ジェイクにこう言い返すのだ。「サルサでもない、フラメンコでもない、『ナートゥ』をご存じか?」

 そこから数分間にわたって繰り広げられる、キレ味抜群のインド式ダンス「ナートゥ」は圧巻の一言だ。踊るビームとラーマにジェイクは「出て行け!」と言うが、ジェニーはじめ白人女性たちは「どうぞ!」と逆に「ナートゥ」を続けるよう二人に促す。ダンスが再開されると、ビームとラーマに負けてなるものかとジェイクら白人男性たちが加わるが、激しいステップについていくことができず、次々と脱落していく。そして最後にはビームが勝ち残り、歓喜に包まれる──。

 このシーンの劇中歌「ナートゥ・ナートゥ」は二〇二三年三月に発表されたアメリカのアカデミー賞で歌曲賞を受賞しており、インドだけでなく世界中に絶大なインパクトを及ぼしたことがわかる。YouTubeの公式動画では、再生回数が一億八〇〇〇万回(二〇二三年一二月時点)というとてつもないレベルに達しているし、ファンが踊った様子を投稿した動画も無数にある。

 筆者も『RRR』を何度となく見てきたが、その度にこのシーンでは気分が大いに高揚したものだった。だが、このシーンは単なる「派手なインド式ダンス」の披露に留まるものではないとも感じていた。これは、イギリスに代表される西洋に対するインドの異議申立てではないか、と。自分たちのスタイルの正当性と優位性を疑わず、それを押しつけてくる相手に対し、インド独自の手法で真っ向から立ち向かうさまは、一九二〇年だけでなく百年後の二〇二〇年代においても通じるところがあるのではないかと思ったのだ。

「ナートゥ」のシーンでは、最初戸惑い気味に、あるいは斜に構えて眺めていた白人が、しだいに激しいダンスにのみ込まれるように加わっていく。これは「台頭著しい」と言われる現代インドへのアナロジー、あるいはインド人の自信の表れであるかのようにも映る。この作品を製作したS・S・ラージャマウリ監督が実際にこのような現代的な意味合いまで意識していたかはわからない。だが、『RRR』が公開され、本国のみならず日本やアメリカなど多くの国で大ヒットした二〇二二年から翌二三年にかけての時期は、かつてないほどインドが世界から注目を集めた時期でもあった。G20の開催を通じた国際的なリーダーシップの発揮、相次ぐ外資の大型投資案件、IT分野をはじめとするグローバル人材の輩出、無人探査機の月面着陸──。かつて「貧困」や「後進性」、「停滞」で語られがちだったインドは、いまや米中に次ぐ「第三の大国」にならんとしている。インドが世界に目を向け、世界もまたインドに熱い視線を注いでいるのだ。

 同時に『RRR』はインドの近現代史、とりわけ反植民地闘争史を理解する上でもきわめて興味深い作品と言える。もちろんこの映画はフィクションである。第1章で詳述するように、「悪役」として描かれる英国人総督夫妻は架空の人物だ。ラーマとビームはいずれも実在のインド人民族運動指導者がモデルになっているが、史実では二人が出会ったことは確認されていないし、両者ともデリーに出てきて活動を展開した形跡もない。一九二〇年前後に大規模な武力闘争が行われたというわけでもない。『RRR』で描かれた内容が当時のインドを忠実に再現したものではないことは、大前提として踏まえておく必要がある。

 しかしその一方で、この作品には多くの史実が織り込まれてもいる。映画は冒頭で、拘束されたインド人指導者の解放を求めて民衆が大挙して郊外の警察署に押しかけ、それを植民地警察側のラーマがひとりで撃退するというシーンで幕を開ける。この指導者は、インド民族運動の中で重要な役割を担ったひとりで、実際に当局に拘束されたことがある。イギリスが植民地インドに対する締め付けを強化したのもこの時期だった。一九一二年には、日本とも深いつながりを持つことになる、あるインド人革命家がデリーで英国人総督を暗殺しようとする事件も起きた。作中でラーマとビームが繰り広げた戦いは、インド人の怒りを結晶化させたものと言える。

『RRR』の楽しみ方はいくつもあるが、インド近現代史という観点からすれば、作中での描かれ方と史実を比較することにあるのではないかと筆者は考えている。ここが違う、あれは実際にはこうだとあげつらうのではない。作品で取り上げられた人物やエピソードを入口にして、当時のインドで起きていた反植民地闘争の実態に迫るということである。

『RRR』を見ていて思うのは、シーン毎に歴史や社会、文化の面で重要な意味が込められているという点だ。何気ない背景やアイテムからも、さまざまな情報を読み取ることができるのである。物語の序盤で、ラーマとビームが川の上で火に囲まれた少年を奇想天外なアクションで助け出すシーンがある。そのときに彼らが持っていた三色旗、あれは独立前のインドで考案された民族旗のひとつなのだ(ただし、若干のアレンジは入っている)。

 同時に、『RRR』で“描かれなかった”側面についても考える必要がある。この頃、インドの近現代史のみならず世界史レベルでも巨大なインパクトを残す指導者が斬新な活動を展開していた──マハートマ・ガンディーである。一九一五年に南アフリカからインドに帰国したガンディーは、「非暴力」という当時は他に誰も考えなかった手法で、イギリスに戦いを挑んでいた。ガンディー、そして彼が率いていたインド国民会議のもとで、インドの民衆は苛烈な植民地統治に異議申立てを行っていたのである。

 ところが、『RRR』にはガンディーはまったく登場しない。エンドロールで「八人の革命家・指導者」の肖像が次々と登場する。この人選が作品の隠れた見どころだと筆者は思っているが、そこにもガンディーは含まれていない。ストーリーを考えれば「非暴力」のガンディーを入れ込むのは流れに水を差すことになるという判断があったのかもしれない(ガンディーを軽視しているわけではないことは、ラージャマウリ監督がインタビューで語っている)。それはそれでひとつの考え方として受け止めるべきだろう。ただ同時に、インドの民族運動の全体像を知っておくことも必要であり、そうすることで『RRR』の世界をより深く理解できるのではないだろうか。

 もうひとつ重要なのは、『RRR』で描かれた時代の「前」と「後」だ。当時イギリス植民地政府がインドを統治していたわけだが、そもそもそれはいつから、どうやって始まったのか。一九二〇年以前に、反植民地の武装闘争はなかったのか。インドは一九四七年に悲願の独立を達成するが、そこまでの道のりはどのようなものだったのか。その間に起きた第二次世界大戦はインドにいかなる影響を及ぼしたのか。

 こうした「『RRR』以外のインド」についても実は豊富な映画作品があり、日本公開されたものやDVDあるいは配信で視聴可能なものも少なくない。たとえば、「インドのジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、一八五七年に起きたインド大反乱の頃にイギリス植民地政府に対して武装蜂起した王妃ラクシュミー・バーイーの生涯は、何度も映画化やドラマ化されている。一九四七年のインド独立をめぐる大混乱をテーマにした作品もある。イギリスがインドから撤退することが確実になったとき、もうひとつ大きな問題があった。ムスリムがインドとは別に独立国家を要求していたのである。この結果、ヒンドゥー教徒が多い「インド」とムスリムが多い「パキスタン」という二つの国が英領インドから分離するかたちで誕生することになった。これに伴い大規模な民族移動が起き、未曾有の大混乱がもたらされた。これもまた、映画や文学作品で取り上げられてきたテーマだ。

 さらに、インド独立運動に日本が大きく関わっていたことも重要なポイントだ。戦前の日本国内での活動や戦時中のインド国民軍(INA)への支援は知られているが、実は映像面でも注目すべきものがある。そのすべてが作品として完成したわけではないが、その試みを通じて日本はどのような意図を持っていたのか、何が伝えられたかを検証する作業はこれまでほとんど行われてこなかった。

 映画に限ったことではないが、作品が対象とする時代だけでなく、それが製作された時点での背景を理解することも重要になってくる。『RRR』について言えば、インドが急速な成長を遂げ、政府や国民が自信をつけ、対外的な主張を強めている二〇一〇年代後半から二〇年代という時代と無縁ではないだろう。では、インドの政治や社会、宗教で何が起きているのか。それは一昔前のインドと何が違い、これからどのように変わっていくのか。

 本書は、こうした激動のインド近現代史に対して、『RRR』をはじめとする映画を通じてアプローチする試みだ。歴史のすべてを映画で説明できるわけではないし、事実をもとにした作品でもフィクションが織り込まれていることは少なくない。それでも、映像がもたらすインパクトはきわめて大きいことを『RRR』の大ヒットは証明している。映画で取り上げられた人物や事件、出来事を説明することで、インドの近現代史に対する関心が深まり、解像度が高くなるはずだと筆者は確信している。なお、取り上げる作品はインド映画が主体だが、イギリスや日本など他国で製作されたものにも適宜触れていく。


「序章 『RRR』をご存じか?」より

文春新書
『RRR』で知るインド近現代史
笠井亮平

定価:1,100円(税込)発売日:2024年02月16日

電子書籍
『RRR』で知るインド近現代史
笠井亮平

発売日:2024年02月16日

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