文春新書の新刊『第三の大国 インドの思考 激突する「一帯一路」と「インド太平洋」』(税込・1,100円)は、在インド、中国、パキスタンの日本大使館に外務省専門調査員として赴任したアジア情勢研究の第一人者である笠井亮平さんが、現在のインド、さらには中国も徹底的に分析、解説した充実の一冊。世界の政治経済の動向や、今後の日本の進む道を構想し、ビジネスを優位に進めていくにあたっての情報や分析が満載です。
今回は、発売を機に、本書に掲載されたコラム「インド北東部と日本――インパール作戦の舞台から開発の焦点に」を公開します。
インド北東部のインパール。第2次世界大戦で日本軍が英印軍と激突し、多くの犠牲を払い撤退を余儀なくされた、苦い記憶に彩られた地です。その地がいま、今後の日印関係の進展の象徴的な場所となっているのです。
「無謀な作戦」の代名詞となったインパール
インドは「多様性の国」だと言われる。北インドと南インドでは文化も食事も気候も大きく異なるし、西部や東部でも他にはない特徴がある。だが、北東部ほどインドの中で違いが際立っている地域はないだろう。
北東部は、アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、マニプル、ナガランドなど8つの州の総称だ。北は中国やブータンと、東はミャンマーと、南西はバングラデシュと国境を接している。14億という母数の中では必ずしも多くはないものの、人口は北東部全体で約5000万人に上る。各州でもさまざまな民族がいるので一括りにはできない部分もあるが、総じてインドの他の地域よりも、東南アジアや東アジアに近い。ミャンマーと国境を接している州では、日本人とよく似た顔立ちの人びとも多く見かける。
日本にとって、インド北東部は特別な意味を持つ地域である。1944年に日本軍がビルマ(現ミャンマー)から国境を越えて北東部の軍事拠点であるインパール攻略を目指した、「インパール作戦」がこの地で展開された。第一五軍司令官だった牟田口廉也中将の独断専行、希望的観測にもとづく作戦計画、補給の途絶や感染症の、遅すぎた撤退の決断などから「無謀な作戦」の代名詞になっている、あの作戦だ。緒戦こそ順調に進んだが英印軍の反撃を受け、モンスーンによる豪雨にも連日見舞われるなか、日本軍と友軍・インド国民軍の数多くの将兵が命を落とした。撤退路には遺体が放置され、「白骨街道」と呼ばれた。
一方のイギリス軍(英印軍)にとっても、これは「絶対に負けられない戦い」だった。インパールはじめ北東部の軍事拠点は背後に広がるインドを守る防波堤だった。そこで、あえてインパール平原に日本軍を引き込み、補給線が伸びきったところで反撃に転じるという作戦をウィリアム・スリム司令官が立てた。日本軍はその術中にはまってしまった格好だったが、それでも要衝コヒマを一部占領したほか、各地で激戦を繰り広げた。それゆえに、この戦いはイギリスで「東のスターリングラード」と呼ばれることもあるほどだ。この戦いの詳細については、拙著『インパールの戦い』(文春新書)をお読みいただきたい。
治安が回復したことで、状況に変化が
こうした過去を持つインド北東部だが、近年脚光を浴びている。インド独立後、北東部では多くの州で反政府勢力が武装闘争を展開していたこともあり、外国人はおろかインド人にとっても入域には許可が必要な地域だった。それが近年、治安の回復傾向がつづいていることで、状況が変わってきた。モディ政権が進める「アクト・イースト」政策の下、東南アジアへのゲートウェイと位置づけられ、交通インフラの整備が行われているのだ。
筆者が2019年末にマニプル州の州都インパールを訪問した際も、ミャンマーとの国境とインパールを結ぶ国道─アジア・ハイウェイ一号線の一部でもある─を移動時に通ったが、山間部で道路の拡幅作業が行われていたのを目にした。インパールの空港は国内主要都市と結ばれており、日本から行く場合、最短で翌日の昼には現地に到着できるほどアクセスは改善されている。
日本は北東部開発に積極的にコミットし、202年までに総額2460億円を投じて「北東州道路ネットワーク連結性改善プロジェクト」や森林管理、上水道整備などに取り組んでいる。それは戦時中の経緯だけでなく、現代の文脈でもこの地域が重要な意味合いを持っていることが背景にある。
2017年12月には、在インド日本大使館とインド外務省によって「アクト・イースト・フォーラム」という協議体が立ち上げられた。初会合で日本側からは、インド北東部は「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)と「アクト・イースト」政策がする位置にあり、南アジア・東南アジアとのコネクティビティにおいて重要な地域であるとの認識が示されていた。インドをFOIPに関与させるための要のひとつという位置づけだ。インドと国境問題を抱える中国は手が出せない地域だけに、日本の協力が持つ意味は大きい。ただし、21年2月にミャンマーで軍事クーデターが発生したことで、インドから東への接続拡大は推進しにくい状況になっている。
安倍総理がインパールを訪問する計画も
2019年12月には、この北東部が日印関係の焦点になっていた。当時の安倍総理がモディ首相とともにインパールを訪問する計画が進められていたのである。年次首脳会談を北東部アッサム州のグワハティで行い、その後に「インパール平和資料館」を訪ねる予定だった。この資料館は日本財団と笹川平和財団の支援で建設されたもので、一九年六月のインパール作戦七十五周年式典に合わせて開館したばかりだった。「インパールの戦い」についてだけでなく、マニプル州の民俗文化を紹介する展示もあり、日本と現地の人びとの相互理解を促す施設だ。
実現すれば、日本の総理として、いや外国の首脳としても初のインパール訪問になるはずだったが、計画は不運に見舞われることになった。ちょうどこのとき、インドで一部の移民に国籍を付与する市民権法の改正をめぐり激しい議論が沸き起こっており、グワハティは抗議活動がもっとも活発に行われている場所のひとつだった。このため、安全面を考慮して安倍総理のインド訪問自体が延期されることになった。当時は現地の状況が落ち着けば近いうちに……という雰囲気だったが、翌二〇年になると新型コロナのパンデミック対応で、それどころではなくなってしまった。過去を忘れず、同時に相互理解にもとづいた未来志向の協力を展開していくための象徴として、日印首脳による現地訪問が近い将来に実現することを願っている。
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