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植物はかおりで天敵を呼び寄せる? 目に見えないネットワークが張り巡らされた世界

植物はかおりで天敵を呼び寄せる? 目に見えないネットワークが張り巡らされた世界

上橋 菜穂子,髙林 純示

上橋菜穂子×髙林純示 対談 #2

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #小説

植物同士の“おしゃべり”が実は… 『香君』の著者・上橋菜穂子も魅了された植物研究の魅力〉から続く

上橋菜穂子さん

 植物が出す “かおり”、そこには実に興味深いストーリーがあります。作家であり、川村学園女子大学特任教授の上橋菜穂子さんの最新作『香君』ではその点がまさに鮮やかに描かれます。

 学術変革領域研究(A)「植物気候フィードバック」の領域アドバイザーで、“かおり”を介した植物や虫たちのコミュニケーション研究の第一人者である京都大学(生態学研究センター)の髙林純示名誉教授と上橋さんの対話から、植物や生物が織りなす世界の豊かさ、研究と創作のふしぎな関係についてお届けします。(全3回の2回目/最初から読む

※「植物気候フィードバック」主催、2024年11月23日、横浜市立大学みなとみらいサテライトキャンパスで開催されたクロストークを3回に分けて公開します。

◆◆◆

植物のかおりの役割

上橋 先生にシンポジウムのお知らせをいただいて、オンラインで拝聴していたとき、先生が「植物が天敵を呼ぶために出すかおりのタイミングは、危機を感じてから数時間~1日後である」と、おっしゃっているのを聞きながら、ふと、そういえば、こういう反応は防御にしては時間がかかるなあ、随分悠長で、非効率的だなあと気になったのです。

 

髙林 確かに「最初から生合成しておけば良いのに」という話ですよね。植物のかおりにも、食われてすぐに出るものはあるんですよ。緑のかおりと呼ばれていまして、草刈りのときの青臭いかおりがそれです。それらは、植物のコミュニケーションという文脈では、人間の言語に置きかえれば「ウー!」とか「痛っ!」とか、単にそういう単純な情報なのだと思います。緑のかおりは、それらを作る酵素がすでに準備されているので、傷さえつけば直ぐにできます。上橋先生がおっしゃった「出すまでに時間のかかるかおり」は、もう少し複雑な分子で、虫の食害を受けてから、それを生合成する酵素を、遺伝子レベルから一から立ち上げて作ります。それですこし時間がかかるんです。その代わり、そのようなかおりは、「機械傷じゃなくって虫に食べられてるんだ」というような特別な情報を内包していることがわかっています。

上橋 なるほど、だから時間がかかるわけですね。ただ、青虫に葉を食べられているときに、寄生バチを呼び寄せて、青虫のからだに卵を産ませ、青虫を死に至らしめる、という防御方法も、効果が現れるまでに、かなりの時間がかかりますよね?

 そういう事実を思うとき、いつも頭に浮かぶことがあるんです。この世界の生態系には“生存に有利になる力”だけでなく、“生存に不利になる力”も同時に働いているのではないかしら、と。ある存在にとっては害になる生き物でも、他の存在にとっては利益になる側面もあったりしますから、ある存在――例えば、植物にとっての害虫――が殺し尽くされないように、一人勝ちするものが生じないように、抑制する力も働いているのではないかしら、と。

人間と昆虫では時間軸が違う?

髙林 そうですね、植物はいつ来るかわからない害虫に対する防衛にたくさん投資できない、という事情もあるのだと思います。それよりも成長に投資しなくてはと。防衛と成長に対する投資のバランスはいわばトレードオフの関係にあるので、それはある意味で抑制する要因ではと考えています。

 あとはもうひとつ、殺し尽くされないように、ということでは、植物と害虫と天敵という三者の相互作用に「防衛のかおり」が加わることも重要だと思うんですね。簡単な数理モデルでは、植物が害虫に食われた際に初めて作られる「防衛のかおり」が三者の存続に重要な要素になるという結果が得られてます。つまり、このかおりがあることで、三者のシステムがより安定するわけです。それは、別に植物や虫たちが、それぞれ考えているわけではなくて、結果的に、先程の「時間のズレ」をもって関係性の中で一から発生してくるかおりという要素が重要なのかなと思っています。

髙林純示さん

上橋 それは、すごく興味深いです! それぞれが考えてやっているわけではなくても、植物と害虫と天敵、それぞれにとって必要なことが、時間のズレのおかげで、うまい具合に行われているとするなら、薬剤で効率よくバッと殺虫するのとは随分違う感覚がありますね。

髙林 そうですね。天敵をかおりで呼ぶというのは、ある程度の被害が前提の防衛戦略なんです。時間がかかるので、少々の虫食いは致し方ない。そういう形の進化ですね。でも、農業としては、それでは虫食い野菜になる、ということになりますね。

上橋 人間の事情が関わって、「虫食いがない綺麗なキャベツ」が必要になって、効率的な害虫駆除のシステムがここに加わると、先生がおっしゃった三者のバランスは崩れてしまうのかもしれませんね。自然界本来の復元力と言いますか、均衡を保つには、ある程度、非効率な、ゆったりとした時間が必要なのかもしれませんね。

 

高校生 ゆったりした時間というお話が出てきましたが、そもそも人間と昆虫では時間軸は異なるのでしょうか?  

髙林 とても良い質問ですね。時間はすべての生物に共通ですが、空間スケールを加味して考えると、時間軸はすごく違うと思います。例えば、私が研究している寄生バチは体長が2ミリぐらいなんですね。2ミリの寄生バチが50メートル移動するのは、身長165センチの陸上選手が42.195キロ走るのと、比率的には同じになります。ですから、移動にかかる時間軸も相対的になります。また、ミツバチの例ですが、有名な話があって。ミツバチが普通に飛んでいる速度を人間の空間スケールに戻すとしたら、その速さはF-15戦闘機のそれだと。だから、彼らの一生という時間は人間からするとすごく短いんですけれど、彼らは、その中でF-15ばりに花から花へと飛び移って生をまっとうしているわけですね。

上橋 うわ~、それはまた、すっごく面白いですね!

植物たちの“盗み聞き”

上橋 もうひとつ、ぜひ先生にお伺いしたいことがありまして。塩尻かおり先生が『かおりの生態学』という本で、セージブラシの研究についてお書きになっていますね。血縁がある個体同士のかおりのやり取りは、血縁関係にないものよりもコミュニケーションしやすい、と。それは遺伝子の観点からは納得がいくんです。でも、一方で、髙林先生と塩尻先生が出演されていたNHKスペシャル『超・進化論』という番組では、確かマツとカシ――つまり、血縁どころか種類さえ違う植物のコミュニケーションを紹介されていて。

髙林 イスラエルの研究ですね。マツの木の両脇に、黒い布で覆って光合成できないようにしたカシの木を植えるという。

上橋 そうです、そうです。土の中に作った仕掛けが重要で、片方のカシの木はマツとの間をメッシュで仕切って、根は通れないけれど菌糸は伸ばせる状態にする。もう片方は、マツとカシの間をプラスチックの板でバシッと遮ってしまう。

髙林 その状態で半年間置くんですよね。

上橋 ええ。黒布に覆われたカシの木は光合成できずに枯れるはずで、実際プラスチックでマツとの間を仕切られていたカシの木は枯れてしまったけれど、なんと、メッシュのほうは生きていた。マツの木の根から菌糸が伸びて、カシの木に養分を与えていた、と。マツとカシ、別の種類の植物ですよね。こういうことが自然界で行われているのなら、異なる種類の植物とも助け合うような、多様で広いネットワークが、この世界には存在しているのかもしれませんね。

 私たち「人」の物の見方で考えていては、なかなか気づくことができないことが、この世界には存在しているのでしょうね。

 

髙林 おっしゃるとおりですね。我々は目が2つ、心臓は1個、肺は一対といった一定数の機能分化したユニットからできている生物です。対する植物は、葉と枝のモジュールの組み合わせでできた生物です。ユニット生物がモジュール生物を直感的に理解するのは基本的に無理なんです。上橋先生の描かれるファンタジーには「異世界」というキーワードがよく出てきますよね。実際この世には、我々にはわからない「植物の世界」があるのだろうと。その世界では、植物の同種もしくは異種間でコミュニケーションをやっているけれど、私たち人間からすると、植物は静かに佇んでいるだけにしか見えない。

上橋 そのお言葉がもつ意味は、とても深いですね。「ユニット生物がモジュール生物を直感的に理解するのは基本的に無理」であるがゆえに、この世には私たちにはわからない「植物の世界」がある……。私たちは「人間には理解しがたくて、想像もつかないものがこの世界にはあるのかもしれない」と常に心に置いていなければ、ですね。

髙林 そうですね。しかし、全然違う世界ではあるけれども、概念としては人間も植物も通じ合うところがあります。例えば助け合うとか、だますとか、立ち聞きするといった相互作用の概念です。植物間コミュニケーションってもともとは“立ち聞き”だったと考えられてます。お隣さんが出した「害虫に食われているから助けて」という「におい=声」を隣の植物が立ち聞きして、「ヤバそうだから早めに対策しておこう」と防御モードに入る。これがご近所さんではなく血縁関係だと、親が子を保護するような、より複雑なコミュニケーションが発生します。

植物同士のやりとりを、昆虫も盗み聞き

高校生 『香君』では、オアレ稲が出すにおいをバッタが“盗み聞き”して異世界から飛んでくる描写がありますよね。

髙林 そうですね。異世界から、というのが興味深い描写です。現実においても、同時に並行して存在している我々の世界と、それと重なる植物の世界。その異世界の間を行ったり来たりできるのが、例えば昆虫なんですね。『香君』の場合は、オアレ稲が本来伝えたい相手ではなく、バッタがそれを盗み聞きした。

高校生 においを盗み聞きするというのは、実際の自然界でも行われていることなんでしょうか?

 

髙林 それを示す研究論文はわりとあります。情報の出し手と受け手の両方が得をする相互作用が進化するというのが大前提なんだけれども、そのような相互作用が成立すると、その情報を盗み聞きすることで一方的に得をするという、搾取系の相互作用も進化してくるわけです。本来の発信者ではないのに相手を騙す「オレオレ詐欺」とかね、人間がやっていることは、植物と昆虫、あるいは昆虫間でも割と行われているんですよ。

高校生 人間チックな行為でいうと、さっきお話しされていたマツとカシの木の話は「贈与の関係」だなと思いました。今は相手からの見返りはもらわず、取りあえず死にそうやから助けると。その恩を覚えておいていつか助けてくれるというのは植物でもあるんでしょうか?

髙林 生物は基本的に「自分の遺伝子を残す」ことが進化の原動力なんです。植物もそうです。だから、自分と違う遺伝子セットを持つ異種の植物個体のために、自分を犠牲にして何かをするというのはちょっと考えにくい。ただ、見返りがあると仮定すれば、贈与の関係も起こり得ますよね。今の質問は、これまで注目されてこなかった非常に面白い視点だと思います。今後の植物間コミュニケーション研究において、とても重要なサジェスチョンになると思いますね。

上橋 今後、研究されていくと、これまで捉えきれていなかった筋道や、意外な意味が見えてくるのかもしれませんね。高校生のみなさん、すごいなあ。すごくいい質問をありがとうございます。


構成:岩嶋悠里
撮影:深野未季

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